第16話 普通の生活
「迷宮探索に商売、呑気なものだよな。もう勝った気でいるのかね」
広場を見るともなしに見つめていたアシオーさんがぼそりと呟いた。
「ガーチェ近辺の
ぎくりとした。ぼくも同じだと思ったからだ。たとえば遠方の地で災害が起こったとする。一週間くらいはニュースを見て心を痛めるけど、それだけだ。時間が経てば、そういうこともあったなくらいの認識になってしまう。自分の目の前の生活でいっぱいいっぱいで、いつまでも気にかけていられないっていうのはあるけど――。家族や、家を失った人の戦いはその瞬間も続いているのだ。
「でも、これはきっと兄上が望んだ光景だよ。司魔将を倒して、この地に平和をもたらしたのは、紛れもなく兄上なんだよね。――戦争中に普通の生活を営むっていうのも、ある意味魔王に対する戦いなんじゃないかな」
「――は、お姫様はいい子ちゃんだな」
アシオーさんが棘のある口調で言った。
「なにが?」
「お前はそれでいいのかよ。みんな、お前が魔王を討つために戦ってるってことを知らないんだぞ。勇者に全部おっかぶせて、自分たちは一足先に日常生活に戻ってやがるんだ。勇者がきっと魔王を倒してくれるから大丈夫ってな」
アシオーさんの言い分もわかる気がする。リティーナは命がけで戦っているのに、人々は誰もそれを知らないのだから。
「わたしに必要なのは、わたしが魔王を倒したっていう事実だけだよ。深緑の民の血を持つ者が魔王を討伐した。それだけで十分。過程はどうでもいいし、誰も知らなくていい」
視線を落とし、リティーナは淡々と言う。アシオーさんが何か言いかける。その時流れてきたのは、勇者カリュプスを讃える歌だった。
吟遊詩人はカリュプスがいかに勇ましく司魔将を討ち取ったかを滔々と歌い上げる。カリュプスがいる限り大陸の未来は明るい。魔王を討ち取ったあと、カリュプスは次代を担う王となるだろう。そんな締めで歌は終わり、喝采が起こった。
「……突っかかって悪かったな」
アシオーさんは気まずげにそっぽを向くと、残っていたウーブリを口の中に突っ込んだ。まずそうに咀嚼して、飲み込む。
「いいよ、気にしてない」
リティーナの声には、若干の固さがあった。アシオーさんの言葉か、それとも歌の内容に思うことでもあったのか。両方かもしれない。
「リティーナが魔王を倒したら、きっとあの吟遊詩人も歌にするよ。もちろんあたしたちのこともね。その時は是非とも鬼熊殺しのことも歌ってもらわなくちゃ」
ルルディさんが笑みを浮かべて言う。それで場の緊張がほぐれた。
「ごっつい戦斧を振り回す女エルフの歌か。笑い話として面白そうだ」とアシオーさんが乗っかる。もう、いつものアシオーさんだった。
「笑い話じゃなくて武勇伝だよ!」
「はは、そうなるといいな」
「なるってば!」
「――さて、そろそろ行きましょうか」
頃合いを見計らっていたのか、ケントニスさんが立ち上がった。三人も腰を上げる。
「ここから先は私が案内しますよ。道がややこしいですからね。姫様が先頭だと指示を出しても確実に迷います」
「あのねケントニス。言っておくけど、わたしは方向音痴ってわけじゃないからね」
「ええ、知っていますよ。ただ、想定外の問題に見舞われやすいだけですよね。人懐っこい犬に追いかけられたり、猫の喧嘩に巻き込まれたり、蜂の巣が落っこちてきたり」
「……もう」
リティーナは言い返せないみたいだ。たとえじゃなくて、実話なのだろうか。
「さ、ちゃんとついてきてくださいね。アシオー、しんがりは任せましたよ」
「おう、引き受けた」
ケントニスさんの先導で一行は広場を抜け、居住区らしき区画に足を踏み入れた。冒険者たちの姿は消え、行きかうのはこの街の住民らしき人々だけになる。人間が多めだけど、エルフやドワーフの姿もあった。この街に住んでいるのかな。
迷路みたいに複雑な道を、ケントニスさんは迷う素振りもなく歩いていく。
やがて、ケントニスさんは一軒の民家の前で足を止めた。木造の家だ。ケントニスさんは扉に付けられた金属製のノッカーを鳴らす。
少しして中から、
「はーい」という返事があった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます