第14話 月明かり

『なら、質問をリティーナに戻します』

『オッケー。そっちのがいいよ』

『リティーナは、神託を受けた勇者なんですよね』

『神託っていっても、絶対じゃないけどね。リティーナは、魔王を倒せる可能性を持った存在ってだけ。あくまで可能性で、現に、同じような神託を受けたカリュプスは負けてしまったわけだし』

『そんな、女神様の加護とか、あるんじゃないんですか?』

『ないわよ、んなもん。女神は必要以上に干渉しないの。最低限の手助けはするけど、あとは基本人任せ。それがあの女神のやり方だから』

 オニクマさんの言葉は事実だと思う。だって、もし本当に女神様の加護があったのなら、先代勇者のカリュプスさんは魔王に負けていない。

 そこでふと気になった。


『――なら、リティーナのあの強さは』

 人間離れした強さは、どうなのか。

『全部彼女の実力。小さい時から気の遠くなるような研鑽を積んで、数限りない実戦を潜り抜けたうえで身に着けた強さね』

 うそだろと思った。人があれだけ強くなるのに、一体どれほどの努力が必要なのだろう。小さい時からということは、勇者に選ばれる前から努力していたということだ。何が彼女を駆り立てているのか、ぼくには想像もつかない。


『リティーナは神託を受けた勇者。でも、それを知っているのは国王や大司教を始めとした国の要人の中の要人だけなの。なぜだかわかる?』

『――いえ』

『彼女が勇者だと知れ渡ると、必ず彼女を害そうとする存在が現れるからよ』

『そんな、だって、魔王って人類共通の敵なんですよね?』

『そうよ。魔王は魔物を操って人々を殺している。ウェリス国どころか、このガゼレード大陸の敵ね』

『だったら、皆で協力して、勇者の手助けをするべきじゃないんですか?』

『そのとおり。もっともな意見ね。一致団結、手を取り合って立ち向かうべきよ』

『じゃあ、なぜ、リティーナを害そうだなんて……』

 ぼくの疑問は、ただの一言で片づけられた。

『リティーナは、深緑の民の血が入った人間だからよ』

 やっぱり、そこに行きつくのか。


『彼女が魔王を倒した英雄になったら面白くないって人は、残念ながら少なからずいるの。王族だしね。その影響は計り知れない』

 面白くないというのはもちろん理由のすべてではなくて、裏に政治的なごたごたや、国益や、民族的な問題が潜んでいるのだろう。だけど、だからといって――

『本当は味方であるはずの人間たちが勇者の足を引っ張るんですか。深緑の民の血が入ってるってだけで』

 不意に、腹の底に燃えたぎるような熱を感じた。なぜ、リティーナがそんな目に合わなきゃいけないんだ。

『ええ。だからリティーナは強くならなきゃいけなかったの。勇者に選ばれる前からね』

 熱は、ぼくの刀身を焦がすような怒りに変わる。

『生まれつき、リティーナは理不尽な戦いを強いられているってことですか』

『そうよ』

 ふざけるなと思った。リティーナ一人に魔王討伐という重要な役割を割り振って、そのくせ理不尽な苦労を背負わせる。いくら勇者には苦労が付き物といっても、あんまりすぎる。リティーナは勇者である前に一人の人間なのだ。彼女にそんな運命を押し付けたのがあの女神様だとしたら、ぼくは女神様を許せないかもしれない。


『でもね、リティーナは一人じゃないの。仲間がいるし、なにより、きみがいる』

 オニクマさんの言葉で、沸騰していたぼくの頭が冷めていく。

『ぼく、ですか』

『カリュプスはみんなに祝福されて旅に出たけど、一人を選んだ。そして、それが彼の唯一にして致命的な間違いだった。でも、リティーナは違う』

『ケントニスさん、アシオーさん、ルルディさんがいる。――ぼくも』

『その通り。――ねえ、最後まで忘れないで。魔王を倒せるかどうかはリティーナと仲間たち、そして、きみ次第よ。女神なんて当てにしない方がいい』

 オニクマさんが淡々と言う。

 ぼくは。心のどこかで、リティーナは勇者なんだから最終的に魔王を倒せるだろうと楽観していたのだと思う。そんな保証なんて、どこにもないのに。

 彼女と仲間たちが負けてしまう可能性だってあるのだ。

 そんなの、絶対に嫌だ。そう思ったら、自然と質問が湧いて出た。

『あの、ぼくは、どうすれば強くなれますか?』

『そうね。まずは――』

 そこで、横のベッドで寝ていたはずのリティーナがそっと起き上がった。上衣を羽織り、音を立てずにぼくをつかみ取る。

『リティーナに、付き合ってあげて』

『え?』

 どういう意味なのか、訊く暇はなかった。ぼくを持ったまま、リティーナは部屋を抜け出した。中庭に出る。トイレじゃなさそうだけど、なんだろう。

 リティーナは鞘からぼくを抜き放つと、呼吸を整えて正眼に構えた。それから、素振りを始める。

 剣術の型とでもいうんだろうか。素人目にも美しい、舞のような動きだ。洗練された動きは、彼女がそれを何百回、ひょっとしたら何千回、いや、何万回も繰り返し、身に染み込ませたもののように見えた。

 リティーナの剣舞によどみはなく、昼間の疲労など感じていないのではないかと思う。そんなはずはないのに。

 当たり前だけど、リティーナは人間なのだ。あれだけ戦って、疲れないはずがない。

 ほどなくしてリティーナの額に玉のような汗が浮かんできた。呼吸も段々乱れてくる。それでも彼女は剣舞を止めない。一心不乱にぼくを振る。悔しそうに、唇を引き結んで。

 そうか。みんなの前では平気そうにしてたけど、負けて悔しくないわけがないよね。

 オニクマさんが言っていた付き合ってって、こういう意味か。

 わかったよ、リティーナ。疲れを取るために寝た方がいいとは思うけど、きみはそれじゃ納得しないだろう。今はただ見守ることしかできないけど、朝までだっていい、一緒にいよう。眠れない『身体』にも利点があってよかった。

 リティーナに寄り添うことで、少しでもいいからぼくの気持ちが伝わればいいと願う。何があっても、ぼくはきみの味方でいるよ。

 そして月明かりの下で、少女は剣を振り続ける。

 ぼくはその姿を、純粋にきれいだと思った。


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