第13話 オニクマ(仮)さん

 そろそろ就寝かという雰囲気になった時、杖を手にしたケントニスさんが思い出したように言った。

「そうだ姫様、眠る前に傷の具合を確認させてください」

「大丈夫だと思うけど、お願い」

 リティーナは上衣をめくり上げた。白さが眩しい脇腹が露わになる。一見柔らかそうだけど、よく見ると引き締まっていて、鍛えているのがわかる。


「妙ですね」

 近づいてリティーナの脇腹を確認したケントニスさんは顎に手を当てる。

「なにが?」

「あれだけの蹴りを受けたというのに、アザにすらなっていません」

「骨が折れた感じはあったけど、それも含めてケントニスが治してくれたんじゃないの? 教会や治癒師に何回かお世話になった時は、きれいに治してもらえたよ。高くついたけど」

 上衣を戻し、こともなげにリティーナは言う。やっぱり骨折していたのか。怪我に慣れているみたいだけど、それはつまり何度も修羅場をくぐってきたということだ。ぼくと大して変わらない歳の女の子が、命がけの戦いの場に身を置いているという事実の重みを今更ながらに痛感する。


「私の初歩的な治癒魔法にそこまでの効果はありませんよ。せいぜい痛みを和らげたり傷を塞ぐ程度です。教会の神官や専門の治癒師みたいにはいきません」

「ケントニスが知らないうちに上達していたとか、わたしの治癒力が突然上がっていたとか」

「そんな、奇跡みたいなこと」

「リティーナの剣が刺さっていた場所ってさ、聖域みたいな所だったよね。だったら、魔素が特別濃かったんじゃない? それなら、ケントニスの魔法の効果が上がってもおかしくないと思うよ」

 眠そうな目をしたルルディさんが口を挟む。魔素って初めて聞くけど、魔法に関わりのある単語かな。

「そうですね。だとすれば、一応の説明はつきますが……」

「じゃあ、それでいいんじゃない? わたし、そろそろ限界だから先に寝るね。おやすみなさい」

 言うなり、リティーナは毛布をかぶってしまった。マイペースだ。自分の身体のことだってのに。


「俺らも寝ようぜ」

「どうにも腑に落ちませんが」

「あんまり気にすると、はげるよ」

「ケントニスに髪の毛はないだろうが。――暗くするぞ」

 ランタンのふたを開けると、アシオーさんは側にひっかけてあった布を光る石にかぶせた。途端、部屋が薄暗くなる。なるほど、こうやって調節するのか。

 

 みんながベッドに入り眠りについてしまうと、部屋は驚くほど静かになった。時折外で鳴いている虫の声が聞こえるくらいで、他に音はしない。階下の食堂も店じまいしたらしく、さきほどまでかすかに聞こえていた喧騒も消えていた。

 鎧戸の隙間から白い月光が漏れている。

 眠れないぼくにとって、夜は長い。

 岩に刺さっていた時と違って、ぼくは一人じゃなくなった。でも、ぼくの声はやっぱり誰にも届かない。使い手のリティーナにすら。

 

 まだクラスに馴染めなかったころ、休み時間の教室で、楽しそうにおしゃべりしているクラスメートたちを遠目に見ていた時と同じ気持ちだ。

 一言でいえば、寂しかった。

 クラスでは勇気を出して、話が合いそうな人たちに話しかけたっけ。好きな小説と映画が一緒で、意気投合できて、学校に行くのが楽しくなった。ぼくがバンに撥ねられたのは、そんな時だった。

 村雲くんと天野さん、元気かな。ぼくが死んで、悲しい気分になっていないといいけど。あの二人には爽やかな笑顔が似合うから。

 しまった。余計に寂しくなった。こうなったら気を紛らわせるために一人しりとりでもしようかしらとか、そんな、どうしようもないことを考えていた時だった。


『ねえ、きみ』

 突然、声が聞こえた。女性の声で、リティーナやルルディさんのものではない。え、なんだろう。寂しさをこじらせすぎて幻聴が聞こえたの? それとも、ゴーストがささやいているとか、そういう?

『ねえってば。少年、聞こえてるんでしょ。返事くらいしてよ』

 今度ははっきりと声の出所がわかった。ルルディさんのベッドの横、荷物入れに入っている戦斧からだ。


『え、あ、あの、ぼくの声、届いていますか?』

 恐る恐る、ぼくは『声』を発した。テレパシー的なものではなく、人の時と同じような感じで、『口』から出すイメージだ。

『うん、ばっちり。聞こえてるよ』

 戦斧さんが返事をしてくれる。

 嬉しかった。めちゃくちゃ嬉しかった。こちらに来てから初めてだ。初めて、会話ができる相手に出会えた。

『すみません、あなたは……?』

 いろいろ話がしたかったが、はやる気持ちを抑えてまず確認する。

『あたしはこの戦斧に宿っている――そうね、精霊的な存在かな。とにかくそんな感じ』

 ずいぶんふわっとしてるな。武器の精霊って認識でいいのだろうか。

『そうだったんですね。ぼくは――』

『知ってる。勇者の剣でしょ。全部見てたよ』

 そうか。ルルディさんと一緒だったんだから、道中の出来事は知ってるよね。

『……お恥ずかしい限りです。ぼくは何もできなかった』

『なんで? きみはこれからでしょ。だって、何もできなかったってことは、つまり可能性があるってことじゃない? 次に戦う時には、青騎士の鎧だって斬れるかもしれないよ』

 前向きな考え方だ。見習いたいな。

『そう、かもしれませんね』

『うんうん。だから元気出して行こうよ少年。リティーナと一緒にさ』

『――あの、戦斧さんに訊きたいことがあるんですが』

『なんでも聞いてって言いたいところだけど、戦斧っていう呼び方はやめて』

 しまった。それはそうだ。人間に人間さんって言ってるようなものだ。

『あ……。失礼しました。お名前は?』

『名前……。ルク――じゃなくて、ええと、実はないの。あたしは長い間使われているこの斧に、自然発生的に憑いた精霊だからね』

『付喪神っぽいですね』

『似たようなものかもね』

『名前がないのなら、なんてお呼びすればいいですか』

『そうだ、きみがつけてよ。あたしの名前』

『えっ、ぼくが?』

『ハートにビビっとくるような素敵なやつ、頼むよ』

 

 これは難題だ。どうしよう。戦斧の精霊に名前なんてつけたことないぞ。大抵の人はないと思うけど。そういえば、ルルディさんが連呼していたのって確か――。

『鬼熊さん』

 考えなしの一言が頭から滑り出た。迂闊な自分が恨めしい。名字ならともかく、女性? の名前に鬼熊て。

『……オニクマ?』

 ああ、これは怒ってらっしゃる、すぐさまフォローをと思ったら、

『いいね、そのネーミング、イエスだね』と、オニクマ(仮)さんは楽しそうに言った。

『いいんですか?』

『いかにも強そうでいいじゃない。魔物どもをぶった切って恐怖のどん底に陥れるあたしにふさわしい名前だね。ありがと』

 さすがはルルディさんの振るう戦斧の精霊と言うべきか。思考は持ち主に似るんだろうか。


『で、訊きたいことって?』

『リティーナのことです』

『だと思った。スリーサイズね? このすけべ』

 ちょっと酒の入ったほろ酔いのおっさんかな? 

『違いますよ。そんなベタな』

 といっても知りたいか知りたくないかで言えば、ちょっとだけ知りたい。ちょっとだけね。モデル体型のルルディさんの隣だと目立たないけど、リティーナのスタイルもいいと思う。

『っていっても、訊かれても知らないけど』

 知らないのかよ! と思わず突っ込みそうになるが堪えた。突っ込み待ちの罠かもしれない。

『冗談はさておき、リティーナね。気づいていると思うけど、あの子は混血の王女よ。深緑の民と、ウェリス人のね』

 一転、真面目な口調になってオニクマさんは言った。


『お父さんが国王なんですよね。この、ウェリス国の』

『そうよ。お母さんは深緑の民で、正式なお妃様じゃないの。側室ね』

 リティーナのお母さんがどんな人なのかも気になったが、今はそれより――。

『あの、深緑の民って、どういう……?』

 ウェリス人とはつまりウェリス国に住む人々のことだろう。オニクマさんの言い方だと、深緑の民はその分類には含まれないみたいだ。

『――それね、今話してもいいけど、きみがもうちょっとこの世界に馴染んでからの方がいいと思うよ。話すと長くなるし、あたしの話せる時間も有限だしね』

『いつでも話せるわけではないんですか?』

『うん。月の光の満ちている、今晩みたいに魔素の濃い夜だけ』

 それは残念だ。これからずっと話せると思ったのに。でも、一緒にいるわけだし、話せる機会はまだまだあるよね。

 だったら、今はリティーナについて訊こう。

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