第二章
第8話 宿屋と居酒屋
森を出たリティーナたちが訪れたのは、近くの小さな村だった。すでに日は落ちかけていて、夕方の柔らかな光が牧歌的な風景を照らしている。体温がないので暑さ寒さはわからないけど、紅葉した木々といった景色を見る限り、今の季節は秋のようだ。惑いの森の木々は青々としていたけど、常緑樹だったのかな。
リティーナたちの歩みに合わせてぼくは村を見渡す。
畑には作物が実り、柵の中では牛がのんびりと草を食んでいる。
あちらと違って、こちらには魔物がいる。野生の獣はもちろん、魔物から家畜や作物を守るのは大変そうだ。そういうのって、冒険者の仕事だったりするんだろうか。それとも、国が兵士を派遣してくれるのかな。
ぼくはまだ、こちらの世界のことを全然知らない。知りたくても教えてくれる人がいないし、そもそも尋ねる手段がない。
とりあえず今できるのは、見聞きできる情報を逃がさないことだと思う。視覚と聴覚的なものが備わっているのはありがたい。
「おや、あんたら、惑いの森から帰って来たのか。流れ星の調査だかなんだかしらんが、よく無事だったな」
リティーナたちに気づいた年配の村人の一人が話しかけてくる。どうやら農民のようで、作業着っぽいものを着ていた。どういうわけか、リティーナを見る彼の目に若干の嫌悪が含まれているように感じるのは、ぼくの気のせいだろうか。返り血に染まった衣服はすでに着替えているんだけど。冒険者って、代えの衣服も大事なんだなと思う。血まみれで村や街の中を歩き回っていたら不審者確定だ。
「お陰様でな。くたくたなんで、今日も村に一泊させてもらうぜ。昨日の宿の居心地がよかったからな」
リティーナをかばうように前に進み出たアシオーさんが愛想よく笑いかける。
「……そりゃ、構わんがね」
村人は明らかに面白くなさそうだ。
「じゃあな。お互い、今日も一日お疲れ様」
会話はこれで終わりだと言わんばかりにアシオーさんは足早に歩き出す。リティーナたちも後に続いた。
アシオーさんがリティーナをかばったように見えたけど、リティーナが邪険にされる理由なんてあるんだろうか。考えられるのはリティーナが自分の目を指して王族の鼻つまみものと言ったことくらいだけど、それにしたって背景がわからない。
村の中心部らしき場所まで来ると、皆は大きな木造の建物に入っていく。母屋の他にも厩や納屋らしき建物も見えた。ここが宿屋なのかな。
中に入ると、どっと喧騒が押し寄せてきた。たくさんのテーブルと椅子、赤ら顔で楽しそうに飲み食いする人々。
現代でもよく見かける居酒屋の光景そのものだ。父さんに連れられて、何回か入ったことがある。もちろんお酒は飲まなかったけどね。雰囲気は嫌いじゃなかったし、料理もおいしかった。また食べたいな、って、この身体じゃもう二度と食べられないのか。それは悲しいかもしれない。
お客さんは村人の他に、リティーナたちと似た格好をした冒険者っぽい人たちもいる。
人々はリティーナたちに一瞬目を向けるが、すぐにまた飲み食いを再開する。その中に、不機嫌そうにリティーナをにらんでいる人たちがいた。奥の卓を囲んでいる四人の男性だ。皆さきほどの村人同様、年配の人だった。若い人たちはまるでこちらを気にしていない。
リティーナの謎は解けないままだが、リザードマンやエルフの組み合わせは珍しくないみたいだとわかった。でなければもっと好奇の視線を向けられているだろう。
「いらっしゃい! ああ、あんたたちか、無事に帰って来たみたいだね。よかった」
出迎えてくれたのは、恰幅の良い女性だった。肝っ玉母さんって感じだ。
「よう、おかみさん。今晩も泊めてもらっていいか。あと、晩飯も頼みたい」
一行を代表してアシオーさんが口を開く。ここは居酒屋兼宿屋みたいだ。馬小屋なら無料で泊まれたりするのだろうか。
「いいよ。部屋は昨日と同じで構わないかい?」
「構わない。飯はお勧めを適当に見繕ってくれ。六人分な」
六人? ケントニスさんやアシオーさんが多めに食べるのかな。
「飲み物はどうする?」
「エールを三つ、旬の果物のジュース一つで」
エールってビールの一種だっけか。果物のジュースは向こうと同じだろう。
「あいよ、空いている席に適当に座ってておくれ」
四人は隅っこのテーブル席に腰を落ち着けた。各々武器を外し、足元の大きな箱みたいな入れ物に入れる。なるほど、冒険者は武器を持ち歩くから、こういう場では武器入れがあるようだ。
ほどなくして、まず飲み物が運ばれてきた。木製のコップをたっぷりと満たす黄金色のエールに、ジュースはいかにもリンゴしぼりたてって感じだ。リティーナはリンゴジュースを、他の三人はエールを手に取る。
「んじゃ、ひとまずお疲れってことで」
アシオーさんがコップを掲げ、三人もそれに倣う。それから喉を鳴らして飲み始める。いい飲みっぷりだ。おいしそう。ありえないけど、なんだか喉が渇いてきた気がする。
「はぁ、生き返るわね」
早くも酔いが回ったのか、ルルディさんは少し赤らんだ顔になっている。未成年が飲酒していいのかと思ったが、エルフだったらたぶんとっくに二十歳は超えているだろうし、そもそもこっちにそういう法律があるのかどうか。リティーナはお酒を飲んでないけど、苦手なだけかもしれない。
やがて料理が運ばれてきた。大皿に乗ったたっぷりのパンに、野菜くずと何かの肉片の入ったスープ。麦のお粥に、あぶった肉やチーズ、新鮮そうな野菜のサラダ。どれもこれもおいしそうだ。人間だった時の名残りか、食べられないけど、食べてみたいと思ってしまう。
「いただきます!」
傍らでぼくがよだれをたらさんばかりになっているのには当然気づかず、四人は料理を平らげにかかった。
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