第2話 邂逅、勇者様ご一行

 最初に浮遊感があった。わずかな間の後、ぼくはとんでもない勢いで落下していくのを感じた。さっきまでの女神様とのやり取りは死ぬ前に見る走馬灯の親戚みたいなもので、現実に戻ってバンに撥ね飛ばされて落下しているところなのかと思った。

 

 違った。

 眼下に見えるのは島、いや、大陸だ。ぼくが知っている世界地図のどこにも載っていない、未知の大陸。本当に違う世界に来てしまったらしい。

 分厚い雲を突き抜け、あれよあれよという間にぼくは地上に近づいていく。感覚的にはジェットコースターに近いが、速度は比べ物にならない。激突したらぺちゃんこコースだ。

 

 ほどなくして、ぼくは爆音と共に森の中に着陸、というか突き刺さった。

 そう、まっすぐに突き刺さったのだ。大きな岩に。

 痛みはなく、この時にはもう、ぼくは自分が剣になっていることを自覚していた。落下の衝撃で逃げていく鳥たちを見上げる。驚かせちゃったみたいだ。悪いことをした。

 

 身体は剣だけど、どういうからくりか、どうやら辺りを知覚することができるようだ。意識を向けた方の景色が目で見ているみたいに『見える』。

 ぼくの後ろには天を衝くほどの巨木がある。顔がついていて「よく来たのう、この世界について教えてやろう」なんて都合よく言ってくれるのを期待したんだけど、どうやらただの木のようだ。何の反応もない。

 

 で、どうすればいいんだろう。結構深々と突き刺さってしまったようで、身体を動かそうとしてもびくともしない。もっとも、自分の意志で動けるかどうかがそもそも怪しい。自分で動く剣ってきっと魔剣の類だよね。場合によっては勇者に退治される側になりかねない。

 だれかいませんかと声に出してみようとしたけど、残念ながら言葉を発することはできなかった。ファンタジー的に喋ることのできる剣ではないようだ。

 もしかしてこの状況、勇者が来るまで何もできないんじゃないか? それって、下手したら数百年とか数千年とかかかる可能性も――。

 考えないようにしよう。ああ勇者様、早くぼくを迎えに来て。


 日が落ちて月が上る。それを7回、何もせずに見ていた。蝉だったら死んでいる。あ、でも、蝉って実はもっと生きられるんだっけか。何かで読んだけど、忘れてしまった。調べたいけど、スマホもパソコンもない。といっても、この身体じゃ使えないけどね。

 

 月も太陽もぼくが前に生きていた世界と同じで、二つあったり顔がついていたりはしなかった。

 トイレにいきたくなったらどうしようという心配は杞憂だった。剣だから排泄の必要なんてないのだ。当然食欲もないし、眠くもならない。性欲はどうだろうか。よくわからない。武器の裸を見たいとか思わないし、そもそも武器って元々裸だよねとかなんかどうしようもないことを考える。

 

 それはそれとして、時折鳥の鳴き声が聞こえるぐらいで辺りは静かなものだった。誰も足を踏み入れない、神聖な場所なのかもしれない。生まれたてとはいえ、勇者の剣が眠る場所だし。

 これは本当に百年単位で時間がかかるのかもしれないと絶望しかけた8日目の朝、救いの手が差し伸べられた。

「――ねえ、見てよ、あの剣」

「おお、惑わしの森の中、真昼に流れ星の落ちたる場所。まさしく神託の通りですな」

「シチュエーションはともかく、なんかあの剣しょぼくないか」

「あたしの鬼熊殺しの方が強そう」

 木々をかき分け現れたのは、予算がかかった大作映画に出てくるような、中世ヨーロッパベースのファンタジーといったらこれ! といった格好をした四人組だった。喋っている言葉がわかるのは、女神様のサービスのおかげだろう。そこは感謝する。

 

 最初に声を上げた銀髪の女の子がぼくの方に駆け寄ってくる。

 近くで見ると、女の子はめちゃくちゃかわいかった。深緑色の瞳が印象的だ。年齢はたぶんぼくと近くて15前後で、身長は160あるかないか。

 きめの細かい白い肌、輝く銀色の髪は背中まである。服装は紺色のチュニックに緋色のスカート。肩に引っ掛けるタイプの小さめの背嚢と剣を背負っているが剣士なのだろうか。剣を振り回すようには見えないけど。

「姫様、急に走ると危ないですよ。木の根に足を取られて転んだら大変です。それでもって転んだ先に石があって頭を打ってぽっくり逝ったりしたらこのウェリス国どころか大陸の未来が真っ暗ですぞ」

 

 女の子の後に続いたのは、普通の人間じゃなかった。トカゲ人間? リザードマンって言うんだっけ、だ。魔法使いが着るような灰色のローブを身にまとい、長い杖を手にしている。身体が大きい、2メートルくらいあるんじゃないか。立派な尻尾を含めたらもっとあるな。

「いくらなんでもそこまでドジじゃないよ」

「身体能力に関しては心配しておりません。姫様の動きは野生の獣じみておりますからな。たとえるなら、猿と虎と狼を足して三で割ったような」

 バケモノかな? 姫様と呼ばれている女の子はぶぜんとした様子で腰に手を当てる。

「それ、ほめてないよね?」

 ぼくもそう思う。リザードマンは取り合わず続ける。

「姫様の場合、星の巡りあわせと言うかなんというか。道端に落ちている犬のうんこを回避したと思ったら脆くなっていたどぶ板を踏み抜くお方ですからね」

「偶然、偶然だから!」

 リザードマンは処置無しと言った感じで嘆息すると、ゆるく首を横に振った。


「にしても、あの安っぽそうな剣、古道具屋で二束三文の値段で売られていてもおかしくないよな」

 女の子とリザードマンのやり取りをよそに、腕を組んでぼくを値踏みするように見つめるのは皮の鎧っぽいものを装備している男性だ。

 年齢は30前後だろうか。ちょいワルって感じで、ワイルドな黒髪イケメンだ。

 なんかぼくのことをバカにしている気がする。そこら辺の古道具屋で売られているような剣だったら、最初の落下で砕け散ってるっての。

 あれ、そういえばぼくの刀身って何でできてるんだろ。オリハルコンとかヒヒイロカネとか、ファンタジー御用達の超スゴイ金属だといいな。


「あたしの鬼熊殺しの方が強いって、ぜったい」

 手にしたごつい戦斧を振り上げた女の子は、ああ、一目瞭然だ。

 尖った耳、エルフに違いない。

 驚くほどきれいな金色の髪、年齢は人間の見た目で言えば18くらい。エルフの特権といった感じで当然のように美少女で、若草色の動きやすそうなワンピースの上に胸当てを着けている。

 すらっとしていて、モデルみたいな体形だ。なぜか恍惚こうこつの表情を浮かべて斧に頬ずりしているけど、なんだろう、変態なのかな。


「にしても、やっとここまで来られたね。長かったよ」

 深緑色の瞳の女の子が感無量といった感じで拳を握る。

「リティーナが変なのに絡まれなければもっと早く着いてたのに」

 我に返ったらしいバトルアックス系女子のエルフがぼやく。

「ゴブリンの巣に突っ込むわ寝ているトロールを起こすわオークの群れに追っかけられるわ散々だったな」

 ワイルドイケメンが言って、リザードマンは諦めきったように、

「それが姫様ですから」と応えた。

「普通に歩いていただけなんだけど。全部わたしのせいなの?」

 

 どういう集まりかわからないけど、4人の目的がぼくなのは間違いなさそうだ。4人はぼくを取り囲む。なんだろう。まさかか寄ったかって変な儀式をするわけじゃないよね。ちょっと怖い。

「それで、わたしはこの剣を引っこ抜けばいいんだよね」

 銀髪の女の子――リティーナがぼくの柄に手をかける。いや、変な意味じゃないよ? 剣の柄だから。

「はい。神託の通りならば、姫様にしか抜けないはずです」とリザードマンが言った。

 え、ってことは何。この姫様って呼ばれているかわいい女の子が勇者なの? 物語に出てくる勇者って筋骨隆々の大男とか細マッチョなイケメンって印象だけど。

 といってもあくまでぼくの印象で、ゲームなんかでは女の子勇者は普通に見るけどね。ぼくの中には勇者はやっぱり男っていう固定観念があるんだと思う。


「ちょっと待て姫さん。先に俺が試す。神託がでたらめな御託っていう可能性もあるしな。これで抜けたらお笑い草だ」

 ワイルドイケメンがリティーナを押しのけ柄を握った。野郎のおさわりはできれば遠慮願いたいが、動けないぼくに拒否権はない。

「ふっ!」

 ワイルドイケメンの両腕が盛り上がる。細身だけど筋肉質で力もかなりありそうだ。

「ぐぐぐ……!」

 しかしぼくはびくともしない。そりゃそうだ。選ばれし者云々はひとまず置いておいて、これだけ深々と岩に突き刺さっていたら、まず物理的に抜けないと思う。

 力自慢のプロレスラーとか空手家をかき集めて、柄にロープを結んで皆で引っ張ればどうにかいけるんじゃないかなってレベルだ。そういう童話があった気がする。あれはカブだったっけか。


「アシオー、交代よ。あたしがやってみる」

 ワイルドイケメン、アシオーさんの肩を叩いたのはエルフの女の子だった。

 力自慢大会みたいなノリになっていないか。一応ぼくは勇者の剣なんですけど。

「任せるわ。俺たちの中じゃ、お前が一番力持ちだからな」

 ほっそい腕でウソでしょ、と思ったけど、得物が斧なのは伊達じゃないのかもしれない。

「よし。ぬん……どおりゃああああ!」

 可憐な顔でその声は反則だろ。どこから出してんのよ。

 どうせ無理だろ思ったんだけど、驚いたことに、少しだけ動いた。ぼくが刺さっている岩ごと。

 おいおい、どんだけ怪力なんだよ。岩ごと地面から引っこ抜いちゃうんじゃないだろうな。それじゃあ台無しだよ。岩ごと鈍器として振るわれるのは勘弁だ。

 あー! 困りますお客様! 助けて女神様! 乱暴にしちゃやだぁ! 壊れちゃう!


「むぐぐ……はあ、悔しいけど無理ね。ケントニスも試してみる?」

 ひとしきり頑張った後、ぼくの祈りが通じたのかエルフの女の子は諦めてくれた。ケントニスと呼ばれたリザードマンは口の端を持ち上げる。トカゲ顔なのでわかりにくいが苦笑したみたいだ。

「ルルディで無理なのに、私が抜けるはずありませんよ。剣よりも先に腰が抜けます。やはり姫様に任せましょう」

「よし、わたしの出番だね」

 リティーナがバキバキと指を鳴らしながら前に進み出る。柄に両手をかけ、深呼吸。ちょっぴり緊張しているみたいだ。こっちまで緊張してくる。

 リティーナが柄を引く。

 瞬間、光があふれ出すとかそういう劇的な演出はなかった。

 

 ぼくは抵抗らしい抵抗もなく、あっさりと岩から引き抜かれた。なんか薄味じゃないか。もっとこう、盛り上がるようなBGMとか欲しいよ。無理なのはわかってるけどさ。しかしどこからともなく楽団が現れて壮大なBGMを奏で始めてもそれはそれで怖いと思う。

「おお、姫様、やはりあなたは――」

 ケントニスさんは盛り上がってくれたみたいだ。いい人だね。

「おいおい、マジで姫さんが選ばれし勇者なのかよ」

 アシオーさんは驚いている。無理もない。ぼくもこの子が勇者っていうのはいまいち実感が持てない。今ぼくの目の前にいるリティーナは、華奢な女の子だ。

「やっぱりあたしの鬼熊殺しの方が強そうね」

 きみはそれしか言えないのか。

「これがわたしの剣――」

 みんなの声が届いているのかいないのか、リティーナはぼくの刀身を魅入られたように見つめている。前世から通して女の子にガン見されるのは生まれて初めてで、ちょっと恥ずかしい。

 リティーナのきれいな深緑色の瞳の中にぼくが映り込んでいる。

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