第8話:日向さん
ゴールデンウィーク最終日。山ほどあった課題を終えて息抜きに出かけることにした。
メイクをして、スカートを穿いて。鏡に映る俺はとても男には見えない。可愛い。髪も伸ばしてみたいが手入れがめんどくさそうだ。安くて普段使い出来るウィッグとかないだろうか。今度姉に相談してみるとしよう。
「ちょっと散歩してくる」
両親はこんな俺にすっかり慣れたらしく、この格好で外に出ることに何も言わなくなった。しかし——
「今の子、めちゃくちゃ可愛くなかった?」
「ん? うわっ、本当だ」
「声かけてみる?」
街ですれ違った男性二人からそんな会話が聞こえた。話してる可愛い子が俺のことではないことを祈りながら少し足を早めて歩く。足音が近づいてきて、先ほどすれ違った男性二人が回り込んできた。
「ねぇねぇお嬢さん、一人?」
「一人っすけど。なんすか」
返事をすると、男性二人は固まった。俺は見た目の割に声が野太い。喋ったら一発で男だとバレる。男だと分かれば去っていくだろう。そう思ったのだが——。
「えっ、声低っ! あ、ごめんなさい。びっくりしちゃって。風邪引いてる? 飴あるけど、要る?」
風邪だと勘違いされて心配された。意外と良いやつだなこのナンパ野郎。もう一人の方は苦笑いしている。
「いや、地声っす。こう見えて男なんで」
調子狂うなと思いながら事実を突きつけてやると、彼はきょとんとして「オト……コ……?」と初めて聞く単語だと言わんばかりの反応をした。
「そういうことなんで、じゃっ」
立ち去ろうとすると、腕を掴まれた。
「も、もしかして君! 男の娘ってやつ!?」
鼻息を荒くしながら俺の手を両手で握る彼。男だとわかったら諦めると思ったのに。思ってたのと違う。連れの男性もドン引きしているが、彼は気にせず早口で畳み掛けてくる。たじたじになってしまうと「ちょっと!」と聞き馴染みのある声が聞こえてきて、女性が俺から男性を引き剥がしてくれた。
「嫌がってるじゃんか!」
そう言って俺を庇うように目の前に立ってくれた女性の身体は震えていた。勇気を出して助けてくれたのだろう。
男性二人は素直に謝り、去って行った。女性はそれを見送るとホッと息を吐き、振り返る。
聞き覚えのある声だと思ったら、女性の正体は日向さんだ。
「お姉さん、大丈夫?」
俺だとは気づいていないようで、心配そうに顔を覗き込んできた。なんだかおかしくて笑ってしまう。
「助けてくれてありがとね。日向さん」
「へ? えっ? その声……えっ、森っち?」
「おう。俺」
「えぇ! えぇ!? ビビった! めちゃくちゃ美少女じゃん! てか私服可愛い! どこで買ったのそのスカート! センスしかないんだけど!」
すげぇと目を輝かせながら可愛い可愛いと畳み掛ける日向さん。その姿が姉に重なる。
あぁ、この人なんか、良いなぁ。彼女の褒め言葉は聞いていて気持ちが良い。嫌味でも社交辞令でもない真っ直ぐな言葉が心に染みる。
「あ、引き止めちゃってごめんね?」
「ううん。別に用事があるわけじゃないから。一人でぶらついてただけ」
「そうなんだ。じゃあさ、せっかく会ったんだしちょっとお茶してかない? あたしも暇なんだよ」
「おっ。ナンパか?」
「ちげぇよ」
「冗談冗談。良いよ。行こうか」
日向さんと二人で近くのカフェに入る。「いらっしゃいませ」と出迎えてくれたのは鈴木だった。
「お。夏美ちゃんと森くん」
「は? 嘘だろ。気付くのかよ」
「すげぇな王子」
「あははっ。私、人の顔覚えるの得意だから」
「そういう問題か? 俺、めちゃくちゃ顔作ったんだけど」
「顔はメイクしてるけど、背丈や体格は変わらないし、私を見て知り合いみたいな顔したし、服の趣味とか立ち方が森くんっぽいなーって」
「立ち方って……怖っ……」
「着ぐるみ着ててもわかる自信あるよ」
流石にそれは無いだろうと言いたいが、鈴木なら本当に当てそうで怖い。
「冗談冗談。流石の私も着ぐるみ着られたらわかんないよ。百合香ならわかる自信あるけど」
「怖ぇよ」
「あははー。二名様ご案内しまーす」
鈴木に案内され、席に着く。
「……俺、立ち方に癖ある?」
「あたしには分からん……」
「だよな……」
「てかさ、カフェの制服姿の王子、マジで王子じゃね? あたし一瞬ちょっとドキッとしちゃったんだけど」
そう言って日向さんは鈴木の方を見る。確かにカッコいい。女性客の視線を集めている。
「……流石王子と呼ばれるだけあるな」
「あれで女の子なの信じられんよなぁ。あ、で、森っち何食う? あたしこの鉄板ナポリタン」
「俺もそれで。あとアイスコーヒー」
「あたしレモネード。注文するよん」
「ん」
日向さんが料理を注文をする間、俺は、声を発していちいち驚かれるのが面倒なので黙っていた。
しばらくして、先にやってきた飲み物を飲んで一息つくと、日向さんにじっと見つめられていることに気づく。
「ど、どうした?」
「いや、マジで可愛いなって」
「おう。ありがとう」
「声とのギャップすげぇ」
「はははっ。これでも俺、声変わり前はボーイソプラノだったんだよ」
「マジか」
「マジ」
「合唱部だったってことは歌は得意なん?」
「まぁ、そこそこ」
「じゃあこの後カラオケ行こうぜ」
「二人で?」
「誰か誘う?」
「あー……いや、良いよ別に」
異性と二人きりだと誰かに見られたら面倒だなと一瞬思ったが、恐らく、一目見て俺だと気付くのは鈴木くらいだろう。喋らなければ女同士にしか見えない。と、思う。
「お待たせいたしました。ナポリタン二つですね」
料理を運んできたのは鈴木だ。他所行きの声のせいで余計に女性に見えない。
「王子さー、客から連絡先渡されたりすんの?」
日向さんがニヤニヤしながら問う。鈴木は困ったように「主に女性からね」と苦笑いする。やっぱりあるんだ。
「もちろん丁重にお断りしてるよ。私、好きな人いるし」
「……その好きな人って、あの子?」
日向さんがニヤニヤしながら手を振った先を振り返る。小桜さんだ。見知らぬ男性と一緒に居る。父親だろうか。俺も手を振るが、気づいていないのか首を傾げられてしまった。改めて、一瞬で俺だと気づいた鈴木の観察眼が怖いなと思った。
「一緒に居るのパパかなぁ」
「いや、普通に父親だろ」
「パパ活の意味のパパじゃねぇよ」
しばらく見ていると、二人の席にデザートが運ばれてきた。二人なのになぜか三品。小桜さん、意外と欲張りだなと思っていると、男性が席を外した。小桜さんは試行錯誤しながらカメラを構えていたかと思えば、鈴木に声をかけた。鈴木は何故かこっちにやってきて、日向さんに「百合香が呼んでる」と声をかけた。
呼ばれた日向さんは、彼女と自撮りをして男性に頭を下げてから戻ってきた。
「えっ、何今の謎行動」
「パパと一緒に居たことがママにバレるとまずいからアリバイ工作手伝ってくれって」
「は? えっ? パパってやっぱりそういう?」
「違う違う。本物のパパだってば。ユリエルん家、よく分かんないけどちょっと複雑なんだって」
そういえば、小桜さんは言っていた。父親とは離れて暮らしていると。単身赴任で別居しているという意味だと思っていたが、どうやらもっと複雑な事情がありそうだ。
「にしてもユリエルのパパイケメンだなぁ。遺伝子感じる」
「そう?」
「感じる感じる。遺伝子といえばさ、王子のママ見たことある?」
「無いな」
「まんまだったよ。王子が未来からタイムスリップしてきた感じ」
「そんなに?」
「マジで。声もそっくりなのよ。パパの遺伝子どこよって感じ。パパは見たことないけど、イケメンなんだろうなぁ……」
「意外と可愛い系かも」
「あー、あり得る。森っちのお姉さんってどんな感じ?」
「姉ちゃん? んー……日向さんに似てる」
「あたし?」
「見た目じゃなくて、キャラとか雰囲気がね」
だからなのだろうか。彼女と一緒に居ると落ち着く。彼女が好きだ。この時はまだ、その好意は元カノに対する好意と同じものだと思っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます