第7話:小桜さんの好きな人

 ゴールデンウィーク直前の平日。いつものように部室で裁縫をしていると、福ちゃんが部室にやってきた。どうやら制服のカッターシャツのボタンが弾け飛んだらしい。


「というわけで、針と糸借りにきた」


「福ちゃん自分でボタンつけれんの?」


「……なんとかなる」


「……つけてやるから脱げ。今なら誰も居ないから、準備室で着替えてこい」


「……すまん。ありがとう」


 体操着に着替えて戻ってきた彼の制服のボタンを付け直す。


「森くんってほんと女子りょ——家事力高いよね」


「まぁ、好きだからな。こういうの」


「良いなぁ。おれ、不器用だからさぁ」


「そりゃその丸短い指じゃ細かい作業はやりづらいだろうなぁ」


「ということは、痩せたら器用になると?」


「……いや、それだけじゃ変わらんと思う」


「そうかぁ……」


 などと他愛もない話をしていると、部室のドアが開いて小桜さんがやってきた。と、同時にボタンをつけ終わる。


「ほれ、直ったぞ。福ちゃん」


「すまんねぇ…ありがとう。あっ、すみません。お邪魔してます〜」


「こんにちはー。あれっ、福ちゃんだ。どうしたの?」


 菊ちゃんが入ってきた。そういえば彼女は福ちゃんと同じクラスだったな。


「制服のボタンが弾けちゃって、森くんに直して貰ってたんだ」


「たくっ…ちょっとは痩せろ」


 何気なく彼の腹を叩くとポンっと、鼓のようないい音が鳴った。小桜さんが笑い、先輩達にもくすくすと笑われて、彼は恥ずかしそうに頭をかいた。


「……いやぁ……お恥ずかしい」


「ダイエットしようぜ。福ちゃん」


「……でもなんか福ちゃんが細くなるのやだな……」


「大丈夫。そう簡単には細くならんよ」


「何が大丈夫だよ。開き直ってないでちょっとは痩せる努力しろ」


 腹を叩く度にポンポンと良い音が鳴り響く。部長がその音がツボにハマってしまったらしく、作業を中断して、机に顔を埋めて震えていた。


「なんか、可愛い人だね。もしかして森くんの彼氏?」


 一人の先輩がニヤニヤしながら言ってきた。「俺の恋愛対象は女性なんで違います」と否定すると少し気まずい空気になってしまった。


「よく勘違いされるんで気にしてないっす」


「おれも女の子が好きやけん、森くんとは付き合えんなぁ」


「別に付き合ってほしいとは思わねぇから安心しろ」


「うん。そもそも君、彼女、るやろう?」


 彼女。もしや清花のことを言っているのだろうか。


「あ? いつの話してんだよ。卒業前に別れてるよ」


「えっ!? なんで!? あんな仲良かったのに!?」


「元々周りに流されて付き合ったようなもんだからな。そんなもんだろ。中学生の恋愛って」


「高校生になったばかりのくせに偉そうに言うなぁ」と先輩達に苦笑いされる。


「小桜ちゃんは歳上と付き合ってそうだよね」


「あっ、分かる。大学生と付き合ってそう」


 なんか分かる。先輩達と一緒になって頷くと、苦笑いされてしまった。ちょっと失礼だっただろうか。


「で、福ちゃんはいつまでここにいんだよ。部活はいいのか?」


「……行ってもやることないんだよなぁ……ここにったらいかん?」


「邪魔しないなら別に居てもらっても構わんよ」と部長が答える。部室に部員以外の生徒が出入りすることはよくある。たまに、福ちゃんのように制服のボタンを付け直してほしいと頼みにきたり、運動部がほつれたユニフォームを直してほしいとやってきたりもする。裁縫部に大会などは無く、それぞれ個人でやっているため、手より口を動かしている生徒も多い。演劇部の大会が近くなったり文化祭前は忙しくなるらしいが、基本的にはこんな感じの緩い部活だ。


「森くんのお友達は何部なの?」


「福田です。写真部です」


「あぁ、幽霊部か」


 幽霊部員が多いことからそう呼ばれているようだ。一部の学校にはまだ残っている必ずどこかの部に所属しなければならないという古い慣習は、うちの学校にはなく、部活動をやるやらないは自由だが、内申点稼ぎのために部活に所属しておきたい生徒が写真部や裁縫部などの緩い部活に集まるようだ。裁縫部にも部登録以来来ていない生徒が何人か居る。


「おれ、別に内申点稼ぎじゃなくてカメラが好きで入ったんですよ」


「カメラマンになりたいって言ってたもんな」


「おっ。夢があるっていいね。まぁ、うちの写真部は大会とか全然出てないけど」


「……顧問の先生に話したら、出たかったら勝手に出ていいよって言われちゃって」


「やる気なさすぎでしょ」と先輩がおかしそうに笑うが、福ちゃんにとっては笑い事ではないようだ。


「で?福ちゃん大会出るの?」


「小学生の頃からずっと出てるやつあるから、それ出るよ。全国の写真部を対象にしたコンテストもあるんだけど……顧問がやる気ないからなぁ……部長にも声かけたけど駄目だったし、同級生も全滅。おれ、やる気がありすぎて逆に部内で浮いてるんだよね。幽霊部員で居たい人にとってはおれは邪魔者だろうなぁ……」


「転部するか?」


「いや……式典で列を抜け出して写真を撮れる権利を捨てるのは勿体無いからやめとく」


「あぁ……あれな……ちょっと羨ましいよな」


 入学式や対面式の時もカメラを持ってちょろちょろ動き回る生徒がいた。あれは恐らく写真部だろう。突っ立ったまま、あるいは座ったままずっと長い話を聞かされる立場からすると動き回れるのは羨ましい。


「お邪魔しまーす」


 ふと、鈴木の声が部室の入り口から聞こえた。声のした方を見ると「来ちゃった」と笑って手を振りながら近づいてきて小桜さんの隣に座った。彼女かよと心の中でツッコミを入れるが、鈴木はレズビアンだと自分で言っていた。もしや、本当にそういうことなのだろうか。


「部活は?」


「自主練だったんだけどあまりにも誰も来ないから切り上げてきた。百合香は何作ってるの?」


「羊毛フェルトで猫」


「へー。出来上がったら見せてね」


 部員達の視線が鈴木に集中する。


「……まさか、小桜ちゃんの彼氏?」


「いえ、違「そうです」」


 先輩の問いに、小桜さんが否定する前に鈴木が勝手に肯定する。


「ちょ、ちょっと! 勝手なこと言わないで。まだ付き合ってないでしょ!」


 という二文字で部室がざわつく。それを聞いて鈴木は「そうだったね。だったね」との二文字をさらに強調する。楽しそうだなこいつ。


「だ、大体あなたは女の子でしょ。恋人になることは出来ても彼氏にはなれないわ」


「恋人になることは出来ても?」


 嬉しそうに、鈴木は小桜さんの言葉を復唱する。分かりやすすぎる。


「そっかぁ。彼氏じゃなくて彼女だったかぁ」


 部長がニヤニヤする。同性同士であることには誰も言及しないが、鈴木が女性であることに驚いている部員は何人かいた。


「違います! も、もう! 海菜! 私を揶揄いにきたなら帰って!」


「あはは。ごめんね。君の反応が可愛くてつい」


「な、なんなのよ…もう…」


「ふふ」


 まだ付き合ってないとか嘘だろと突っ込みたくなるような甘い雰囲気が漂っている。


「…君達、私達がいることを忘れていないかい?」


 菊ちゃんが言うと、鈴木が「あはっ。ごめん。小さくて気付かなかった」と笑いながら毒を吐く。


「おのれ貴様! 言ってはならんことを! 身長寄越せ!」


 立ち上がり、鈴木の頭を上から押さえる菊ちゃん。身長を気にしている彼女の前ではは禁句だ。特に背の高い鈴木が言うと嫌味にしか聞こえない。


「10㎝くらいあげようか?」


「10㎝と言わずに20㎝寄越せ!」


「欲張りだなぁ。あっ、でも私が20㎝縮んだらちょうど百合香と同じ身長になるね」


 小桜さんは俺より背が高い。俺の身長は160丁度だ。


「……20㎝縮んでも160あるん……?やば……」


「福ちゃんは今の身長でさえ160ないのにな」


「君もないだろ」


「はっ。残念だったな。160ちょうどなんだよ」


「誤差があるから実際は158くらいだろ」


「2㎝も誤差でねぇよチビ」


「5㎝しか変わらないくせに偉そうに!」


「5㎝はデカいだろ」


「そうだよ福ちゃん。福ちゃんはそれでも私より10㎝高いんですよ。見てよこれ」


 そう言って菊ちゃんが指差したのは自分の足元。見ると、足が床から浮いてパタパタと前後に揺れている。「おれもちゃんと座ったら足浮くよ」と背筋を伸ばし、床から浮く足をばたつかせる福ちゃん。


「お前はただの短足だろ」


「痩せたら脚伸びるかな」


「いや……伸びはしないだろ」


 ふと、小桜さんが鈴木の脚を凝視していることに気づく。「なぁに? 人の脚ばっかり見て。百合香のエッチ」と鈴木が揶揄うと、小桜さんは彼女の頬をつねった。なんで付き合ってないんだろうかこの二人。両想いだってお互いに自覚してそうなのに。誰がどう見てもお似合いなのに。鈴木がレズビアンだと聞いた時は驚いたが、二人を見ていると改めて、男女の恋愛も女同士の恋愛も、何も変わらないんだろうなと思った。

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