#35 因縁の似た者同士

 大学を後にすると、一行を乗せたバスは宿舎へと向かった。説明会や自由行動の疲れが出てか、三組の生徒は大半が眠っている。秋も隣でうとうとしていたので、巧人は「寝ててもいい」と声をかける。すると「おやすみ……」と小さな声で言い、秋は目を閉じた。

 巧人は頬杖をついてまた窓の外へ意識を向けた。高校付近とは違い山に囲まれ森林が生い茂る田舎で、対向車線に車が走っていないどころか人の気配すらない。大学までの道中とは打って変わって車内は静かで、タイヤの擦れる音や車体が段差を超える音がはっきりと聞こえてくる。

 ものの数分で熟睡してしまった秋は巧人にもたれかかり、言葉にならない何かをむにゃむにゃと発している。


「ん……たくとぉ、幸せに……なれ、よぉ……」

「!」


 明らかに寝言だと分かっていても巧人はどきりとした。どんな夢見ているのか知る由もないが、確実に巧人の隣に自分以外の相手を想像している。好きな相手が他の誰かと幸せになることを心から喜べる気持ちはどんなものなのだろうか。巧人には到底理解できなかった。


(秋と俺では、やっぱり考えてることが違うんだろうな……)


 秋のこの恋は所詮勘違いで、ただ仲良くなろうと近付きたいと思っただけ。だから簡単に触れられるし、無条件に相手の幸せを考えられる。そこに自分の姿がないとしても。

 そう思えば単純明快たんじゅんめいかい、恋をしているのは巧人だけなのだ。秋の気持ちに遠慮をする必要はなくなった。そうとなれば、あとは――


(俺が俺である為には、やっぱりちゃんと伝えないと駄目だよな……)


 覆しようもなくただそこに鎮座する事実。槙野巧人は杜松誠弥の弟ではない。




 * * *


 一行は変わり映えのしない林道を一時間程走った先に建つ宿舎に辿り着いた。バスが停車すると周りの生徒は勝手に目を覚まし各々伸びをしたり荷物をまとめ出したりしているが、秋はなかなか起きる気配がない。巧人は肩を揺すり、通路を挟んだ隣の桐原は「秋〜、起きろ〜!」と叫んだ。


「ん……。あ、もう着いた……?」

「おはよ、お前熟睡だったな」

「頭使ったからかな……ふぁ〜……。変な姿勢で寝てたからめっちゃ身体痛ぇ……」


 秋はまず伸びをしてから首を回すとポキポキ音が鳴った。それから肩を回したり身体を捻ったりと、なんとか凝りをほぐそうと狭い座席でできる限りのことをやり尽くしてから立ち上がった。


「頭使うのこれからだろ、そんなんで大丈夫か?」

「まあ、なんとかなるっしょ!」


 強がりや空元気ではないようで、秋は足取り軽くバスのステップを一段飛ばしで降り駐車場の砂利に着地した。

 湖が目の前に見え、「おお……」と示し合わせたわけでもないのにそこにいるほとんどの生徒の声が重なる。比較的都会の地域から集まっている光陽台生からすれば、目の前に見える景色はまさに非日常で自然と気分が高まってくる。


「やっぱこんなとこで勉強ってもったいねーよ! あっちの方とか何かありそうだし、そっちなんか遠くに建物見えるし! つーか湖で泳ぎてぇ!」

「バカか、まだ五月だぞ」


 梅田に背中を叩かれ、さらに笹森が「瑞樹ちゃん呆れてんぞ」と告げると、秋は担任を先頭に集まっている三組の列に慌てて合流した。巧人は先に並んでいて、背の順の為担任のすぐ後ろにいる。


「槙野、楽しそうで安心した」

「そうですか」


 笑って話しかける担任に巧人は相変わらず素っ気ないが、誠弥が彼女を意識していないと分かった今、そこに以前のような敵意はなかった。

 学年主任の初老の男性教師から館内での諸注意やこの後の予定の連絡があり、宿舎に入るとクラス毎にそれぞれ予め決められていた教室程の広さの部屋へ移動した。


「はい、ここから夕飯の時間まで自習だから、班に分かれて。遊びの時間じゃないから、みんなちゃんと勉強するのよ」


 生徒たちの気持ちの籠っていない「はーい」が部屋に弱く響く。しかし、一応の同意をした傍から滝本が「写真撮ろーよっ」とスマホを構え、担任を含めた三組のメンバーを部屋の奥へ誘導した。

 担任を中心にし、あとは身長やバランスを考慮しつつなんとなくで前列中列後列と三列に並ぶ。整列すると滝本はカメラアプリを起動し内カメラで右腕を伸ばすが、自撮りの画角では四十人余りのクラス全員は入りきらない。そうと分かるとすぐに廊下を見回しタイミング良く巡回していた誠弥を捕まえた。「写真撮って!」と自分のスマホを渡し、部屋に招き入れた。

 不意に現れた誠弥に秋は「やっほー、センセっ」と嬉しそうに手を振っている一方で、巧人は目を合わせるだけで他のリアクションがとれない。

 誠弥は部屋の前方に立ち、全員が写るように位置取りや画角を微妙に調整していく。


「それじゃ、いくよー。はい、チーズ」


 写真といえばという共通認識が浸透している結果だろう、生徒たちは揃ってピースサインを掲げている。撮影した写真を確認し、ブレや目を瞑ってしまっている人がいないかチェックする。問題はなさそうであったが、念の為にともう一枚撮ることを宣言した。

 生徒たちは今度はばらばらに十人十色のポーズをとっている。秋は巧人の肩を組み、巧人も慣れない手つきで組み返した。笑顔、笑顔、笑顔――。巧人の不器用な笑顔もその中によく溶け込んでいて、誠弥は微笑ましくなり胸が熱くなった。


「ありがとっ。お、良い感じに撮れてる〜」

「どういたしまして」


 誠弥からスマホを受け取り満足そうにしている滝本は「あとでクラスのグループに送るね〜」と言って列を解散させ、それぞれ元の席に戻った。部屋の外へ出ていこうとする誠弥に担任も「わざわざありがとうございます」と笑いかける。それに誠弥は爽やかに笑って会釈し手を軽く振った。


「えー瑞樹ちゃん、アレでホントに杜松先生となんもないの?」


 部屋の引き戸が閉じられ誠弥の姿が見えなくなってから桐原は担任にそう尋ねる。


「なんにもないって! 本当にそういう話好きだよね」

「だって先生たちって知らないうちに付き合って結婚すんじゃん。中学のときとか割と多かったんだよそーゆーの」

「だからって誰でも彼でもそうじゃないの。杜松先生にも失礼でしょ」


 担任の口からもはっきりとした否定を聞き、巧人は胸を撫で下ろす。いよいよ敵はいなくなった。もう悩み続ける理由は秘めたままにしていることだけだ。押さえた胸からドクドクと鼓動響いている。気を紛らわせる為に分厚い数学の参考書を開き、いつも使っている自習ノートの続きのページにシャーペンを滑らせた。


「巧人、数学からやんの? 教えて教えて!」


 秋も慌てて同じ参考書を鞄から取り出し、巧人の開いているページを探しぺらぺらと本を捲った。


「……? こんなん授業でやったっけ?」

「悪い、ここはまだやってないところだ。秋はどこが分からないんだ?」

「えーっと……。……最初から教えてもらってもいいでしょうか……」


 秋は目次の裏面のページを捲る。『第一章 数と式』。さらにその一番初めのパートで説明代わりに提示されている例題に首を傾げ、秋は申し訳なさそうに巧人を頼った。


「…………。数学だけで自習時間が終わりそうだな」

「ご迷惑おかけします……」


 しゅんと萎縮しつつも、秋は椅子を寄せ巧人に近付きシャーペンを構えた。


「この問題は、これとこれを掛けるからこうなる。それでこっちはこれと掛けて、それを足すから答えがこれになる。分かったか?」

「んーと? ごめん、もっかい言って」

「だから、これがこれと……」


 巧人は自分なりにこれ以上ない程丁寧に説明しているつもりだったが、秋はずっと首を傾げて唸っている。どうすればいいかと巧人の方が難しい顔をし始めたところで、その様子を横で見ていた梅田が口を開いた。


「はぁ、そんなペースじゃ一ページも終わらねぇだろ。いいか、コイツはお前みたいな奴だから誰とでもすぐ仲良くなろうとすんだ。だからコイツは祐翔ゆうとでコイツはたける、あとこれは……まあ俺でいいよ。秋は祐翔たちに片っ端から話しかけていくから、コイツらも掛けんだ。んで、結局全員巻き込むからつまり足すってことで答えが出る」


 梅田は数字を身近な人に例えて説明してやる。すると秋はうんうんと頷き、恐ろしいくらいに理解しているようだ。


「おぉ……。それじゃあこれは、こういうこと?」

「おう、正解正解」

「マジ⁉ やった!」


 例題のすぐ下にあった練習問題が簡単に解け正解できたことに、秋は飛び跳ねて喜んだ。


「大袈裟だな。練習問題の問一だぞ、一番簡単なやつ」

「それでも! なあ巧人、オレできた!」


 百点満点のテストを親に見せる子供のように目を輝かせて秋は巧人を見るが、巧人は対照的に悲しそうに表情を曇らせている。


「良かったな、俺が教えても解けなかったのに梅田はすごい」


 自分は必要ない、そんな雰囲気を巧人は全身から滲み出させている。こちらを見ずにノートの真新しいページにすらすらとシャーペンを滑らせている姿に、梅田はまたため息をついた。


「お前って意外と子供っぽいんだな」

「は? 俺のどこが」

「そういうとこ。自分が秋の力になれなかったからっていじけてるだろ」

「別に……」


 図星を突かれ巧人は壁に視線を遣る。無秩序な壁の模様を目で辿り、聞かないふりをした。


「巧人もオレの力になってくれたよ。悪いのはそれで分かんなかったオレの方だから!」

「それでもコイツがいじけてんのに変わりはねぇよ。自分なんかいてもいなくても一緒だろって思ってる」

「そんなことない! オレ、巧人がいてくれないと困る!」

「だとよ。そっぽ向いてねぇでなんとか言えよ」


 巧人は壁の模様を辿っていた視線が床に到達したところでちらりと秋を見る。本気で縋るような目で見られ、渋々向き直った。


「……俺は、教えるの下手だから役には立てない。梅田を頼った方がいい」

「ほら見ろやっぱり、自分は必要ねぇって思ってる。俺、十五ページの発展問題、何回解説見ても分かんねぇんだよな。これじゃ、秋に訊かれても答えらんねぇだろ。……教えろよ」


 「え?」と巧人は余程意外そうに梅田を見た。切れ長の凛々しい目で見られ、理不尽にも責められているような気分になる。


「なんでお願いしてる梅ちゃんがそんな偉そうなんだよ。でも、勉強教えてもらうならやっぱ槙野が適任だと俺も思うな。梅ちゃんじゃ槙野に敵わないってのは中学の時点で分かりきってたし」

「うるせぇ」


 梅田と桐原は、やいやいと喧嘩にまでは発展しないレベルの言い合いを繰り返している。その様子をただ傍観していた巧人に「早く教えろよ」と梅田は威圧感のある低い声で言った。


「ああ、分かった」


 巧人は参考書の十五ページを開き「この問題か?」と指をさし梅田に確認した。


「槙野優しいな、あんな頼み方されてもイヤな顔一つしないで」

「言い方で判断しても仕方ない。俺も態度で誤解されがちだからな」

「梅ちゃんと槙野ってちょっと似てる。秋が槙野とつるむようになったとき、梅ちゃん拗ねてたし」


 桐原は後ろの席から前のめりになって梅田の両肩を持ち、無邪気にそれでいて悪戯っぽく笑いかけた。


「え、そーなん?」

「別に拗ねてねぇよ。ただコイツと楽しそうにしてっから、俺らはもうどうでもいいのかよって思っただけだ」

「それを拗ねてるって言うんじゃね? たしかに似てるな」

「……早くしろ、槙野」


 梅田は逃げるように秋を挟んだ隣にいる巧人を睨む。桐原や笹森は「あ、逃げた」「八つ当たりすんなよ〜」とからかった。


「この問題は先にこっちを計算するんだ。この結果をそのまま代入するとややこしいから、Aとでも仮に置くと分かりやすい。これをAとして計算して最後に元の数式に戻せば答えが出る」

「おお、こんな簡単になんだな。お前、教えんの全然下手じゃねぇよ」

「そうか?」

「ああ。秋の理解力に問題があるだけだ」


 巧人との間に挟まれる形で座っている秋は、巧人の解説にも梅田が理解している様子にもきょとんとして首を傾げるばかりだった。巧人と面と向かって話すことにまだ抵抗があるのか、梅田は視線と会話の相手を秋へと逸らす。


「もー分かったから! でも、そんなオレに一瞬で理解させた梅田はめっちゃすげーってことだよな!」

「だいぶ噛み砕いてやったからな、多分小学生でも分かる」


 梅田は得意気な顔をしてみせる。それに桐原は「梅ちゃんがそんな気遣えるってギャップ萌えするよな」と言い、続いて笹森も頷いた。


「お前ももっと頭柔らかくすれば? 堅っ苦しい考え方ばっかしてたらしんどいだろ」

「とか言って、もっと絡みやすくなってくれよって思ってるクセに。梅ちゃん、中一の頃から槙野のこと勝手にライバル視してたんだぜ」


 頼んでもいないのに桐原がバイアスのかかった翻訳をするので、梅田は鋭い目つきで釘を刺すように訴えかける。しかし、桐原はぬかのようで全く効果はない。


「そうだったのか、全く気付かなかった」

「そりゃそーだよ。思ってるだけで口には出してなかったし。小学生のときは頭良くて有名だったのに、中学入ったら自分より圧倒的に頭良い槙野にずっと学年一位取られ続けてたから意識せざるを得なかったんだよ」

「なのにあんだけ巧人のこと散々に言ってたんだな」


 巧人のことをドラキュラだの冷たいだのと率先して悪評をばら撒いていたのは梅田だった。それまで巧人と絡む機会もなく接点のなかった桐原や笹森を初めとした同じ中学の面々は、発言に力を持っていた梅田の言うことを信じてひどい人間だと思い込み、揃いも揃って距離を置いていたのだ。


「素っ気ねぇのは事実だろ。でも、いじけたり人間味あってお前も俺らとなんも変わんねぇんだって今分かった。何考えてるか分かんねぇから当然何話していいかも分かんねぇし、学校もろくに来ねぇのに成績だけ良いから、化け物かとにかく俺とは違う何かなんだと思う方が気が楽だったんだよ。いやな思いしてたならその、悪かった」

「今更そんなのいい。だが、お前も俺と同じだったんだな。俺も周りが何を考えてるのか分からないから何をどう話せばいいのかも分からなかった。分かり合えないと線を引いていたのは俺の方だ、友達なんていらないって秋に出逢うまでは思い続けてたから」


 身体は向き合っていても目は合わそうとはせず、巧人と梅田は心の内をノートに向けて吐き出した。声は空気を振動させお互いの耳に届き、ついでに近くにいる秋たちにも同じように伝わった。


「おっ、これは和解というか友情成立でオッケー?」

「槙野がそれで良いなら」

「……俺はよく分からんが、そういうことで良いと思う……」


 巧人と梅田がぎこちなく目を合わすと秋や桐原を皮切りにクラス全員が「おお〜」と声を上げた。桐原が「握手、握手」とはやし立てると、まず梅田が左手を差し出し巧人はそれに応えるようにそっと左手を伸ばす。そしてどちらからともなく硬い動きのまま握り合った。パチパチパチと手を叩き合わせる音と動作が部屋中を伝播していく。


「なんでこんなことでこんな盛り上がってんだよ、恥ずいだろ……」

「梅ちゃんが三年越しの願いを叶えたんだから、これくらいするっしょ」

「願いって、そんな大それたもんじゃないだろ」

「いやいや、『槙野って誰だ、どんな奴だ。ずっとダントツで一位ってどうなってんだ? 一回顔合わせて勉強教えてもらいたいな』ってまだ声もそんなカッコ良くなくて素直だった頃に言ってただろ〜。まあ、そっからだんだんひねくれだして、ライバル視からただの敵視になってったんだけど」


 桐原は当時の梅田の声を真似したりオーバーな身振り手振りをしたりと調子良く話した。だが、どうやら事実らしく梅田はそれらしい反論をしてこない。

 巧人も中学時代に自分を変えようと試行錯誤し結局何も変えることができず、性格だけが頑固になりひねくれてしまった過去がある。すれ違いながらもそういった部分も重なっていたのだと知ると、親近感も湧いたがどうにも恥ずかしさが拭えなかった。

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