#34 過去と未来と今の自分
部屋が明るくなり説明会の終了を告げる挨拶を聞くと、秋は大きく伸びをした。
「はー終わったー」
「この後はキャンパス内で自由に昼飯食っていいんだっけ?」
「十三時にバスに集合らしいからそれまでは自由行動だな」
梅田はしおりを広げ行程を確認すると「どうする?」と投げかけた。秋がそれぞれの反応を見ていると、巧人はきょろきょろと辺りを見回している。誠弥を探しているようだ。
「自由行動って班じゃなくてもいいんだよな?」
「多分な。つーか、今も別に班行動の時間じゃないんだけどな。ずっと固まって動くのもアレだし俺も個人的に気になるとこあるから、一旦解散するか」
そう言って梅田は席を立ち「じゃあな」と秋たちを背に手を振った。とはいえ桐原や笹森たちはあくまで梅田についていくつもりらしく、続いて大教室を後にする。秋は三人の姿が見えなくなるまで手を振り、振り終えると一緒に残った巧人を見遣った。
「センセーとこ行くか?」
「いいのか、秋はあいつらについて行かなくて」
「いーのいーの。オレは巧人といたいから」
巧人が荷物を片付け終わるのを待つと、席を立ち教室の後方へと向かった。最奥の隅の席に座っている誠弥は、私服姿なので大学生と見間違えてしまいそうだ。その隣には楓がいて、近付いてくる二人ににやっと笑いかけゆるゆると手を振った。
「あれ、二人とも友達と一緒じゃないんだー」
「何言ってんだよ、巧人も茜センパイだって友達じゃん!」
「まーそれはそーだ。さっきのが同じ班の人? いかにも陽キャって感じだったねー、僕とは相容れない感じ」
上手くやっていける気がせず、楓は
「それを言うなら俺ともそんな感じだ。秋がいなかったらまず関わることはなかっただろうな」
「柞木は
楓はスクールバッグを背負いカーディガンのポケットに手を突っ込んで「行くよー」と脱力した声で巧人たちを先導した。
「秋のおかげだね、タクがあんなにクラスの子たちと馴染めたのは」
楓や巧人の数歩後ろで誠弥は秋に柔らかく微笑みながら声をかけた。
「でもやっぱ悔しいなぁ、俺はタクにそこまでしてあげられなかったから。俺もタクと同級生だったら良かったんだけど」
「オレだけの力じゃねーよ。みんな巧人が良い奴だって気付いてなかっただけで、分かれば自然と寄り付いていくと思う。巧人にはそれだけ魅力ってヤツがあると思うから。それをみんなに気付かせたのはこの場合オレかもしんないけど、他にも方法はあったと思うし。だからこれはオレのおかげなんかじゃねーよ」
秋は誠弥の一歩前に出て振り返り、にーっと白い歯を見せ笑ってみせた。
「それにさ、センセーがセンセーだったから今の巧人はいるんだと思う。なんとなくだけど」
「俺が俺だったから?」
「うん。もしセンセーが巧人の同級生だったとしたら、今の関係って多分ねーじゃん。それじゃあ今の巧人も多分いない。そんだけセンセーは巧人にでっかい影響与えた存在なんだよ」
秋は前を歩く巧人を真っ直ぐに見る。楓と何か話しているようだが、声も届いてこなければ秋に気付く気配もない。
「だって巧人、センセーのことしか見えてねーもん」
目は合っても心は合わない。秋はずっとそう感じていた。合うはずがなかったのだ。巧人の心はいつもそこにはなく、誠弥の元にあったのだから。
誠弥の姿を見た途端に輝く瞳や「兄さん」と口にしたときに弾む声色、触れられたり撫でられて紅潮する巧人の姿を何度も見てきたから分かる。誠弥がいて初めて、巧人は鮮やかに色付いていた。
――巧人は誠弥に恋をしているのだ。
「つーことだから、この勝負はオレの負け。初めから戦うまでもなく不戦敗だよ、巧人のことでセンセーに勝てる奴なんているわけないって!」
「待って。秋はそれでいいの?」
「いいも悪いも、巧人はオレよりセンセーの方が好きなんだから仕方ねーじゃん。それに、オレはセンセーの『負けないから』が何のことか分かんなかったんだ。まさか巧人のことでオレに闘志燃やしてるなんて思わないからさ。それくらい相手になってねーんだよ」
今度は誠弥が前を歩く巧人を見る。すると巧人はすぐに気付いて「兄さん?」と声をかけてきた。眼鏡のレンズの向こうに見える瞳の更に奥で何を思っているのか、意識して考えてみても透けて見えるものではなく分からない。
(秋より俺の方が好き……まさか、まさかな。友達より〝兄弟〟の方が好きってだけの話……だよね)
何度も過ぎる可能性をその度に否定しかき消し続け、誠弥は「なんでもないよ」と巧人に微笑んだ。
「でも、センセーに敵わねーからって、オレの気持ちは変わんねーよ。好きに勝ち負けなんてない、だからオレは勝手に巧人のこと好きでい続ける。そーゆーことだからっ」
秋は誠弥を置いて巧人に駆け寄り後ろから勢い良く肩を組んだ。驚き目を見開いている巧人に笑いかけ「何食う? 大学の食堂ってどんなとこなんだろな〜」と明るく話している。
(秋は強い子だな……。そんな子がタクの友達になってくれて、本当に良かった)
誠弥も「待ってよ」と一行に追い付き、輪に交じる。秋はしおりの地図が印刷されたページを凝視し首を傾げていたので、おすすめの場所へと案内してやった。
* * *
巧人たちはキャンパスの北の端にあるカフェ風の食堂に入った。白を基調とした落ち着いた雰囲気の空間は、吹き抜けで窓も大きく開放感がある。天井には木製のシーリングファンが付いており、空間を無機質にはさせず温かみを与えている。メロディのみの名も知らないBGMが洒落ていてその場によくマッチしている。
説明会を行っていた大教室のある棟からは離れていて、見慣れた制服姿は見当たらない。代わりに、洗練された身なりの整った学生の割合が校門付近と比較して多いように見えた。
「せーや、よくこんなとこ知ってたねー」
「去年も来たからね。一人でうろうろしててそのときに見つけたんだ、良い感じでしょ?」
誠弥は窓際に四人がけのボックス席を見つけると一行をそちらへ連れていく。椅子の下の荷物入れに鞄を入れ、窓側に巧人と楓、隣にそれぞれ秋と誠弥が座る形になった。
「でもなんかオシャレすぎてそわそわする……。場違い感ハンパなくね?」
「制服だから余計に浮いて見えるよねー、めっちゃこっち見られてるし。意識高そー集団に紛れ込んで
「ああ、そうだな。兄さんはよく馴染んでる」
誠弥は黒のシャツに明るいグレーのワイドパンツというメリハリのついたモノトーンコーデで、スタイルの良さや実年齢より若く見える整った顔立ちも相まって周囲の学生たちと比べても
そんな誠弥が率先して荷物番を買って出て、巧人たちは先に食券販売機に並んだ。
「オレ、あと三年もしねーうちにあんな感じになれんのかな……」
「へー。柞木、大学行くんだねー。勉強苦手そーだし、高校出たら就職すると思ってた。うちの高校だったら三割くらいはそーらしーしー」
「オレもさっきまではそのつもりだったよ。でも、ちょっと面白そうって思える学部あってさ。最後にスポーツ科学部って学部の説明あっただろ? オレ、怪我して辞めたんだけど中学までは陸上やってたんだ。辞めてもやっぱ走んの大好きだから、そーゆーこと勉強できたら楽しいだろうなって」
「好きこそ物の上手なれってヤツかなー。運動とかスポーツ系の学部って結構あるし、いろんなとこ見てみたらー?」
楓はカーディガンのポケットからスマホを取り出し検索アプリに触れる。一瞬表示された検索履歴を指で払って消し去り、『大学 スポーツ系』と親指を上下左右に素早く動かし打ち込んだ。そして、コンマ何秒かの間にかき集められ表示される結果を秋に見せた。
「へぇ、うちから通いやすいとこにも割とあるんだな……」
「たしか、父さんのところでもスポーツ医療の分野に手を広げると前に言ってた。故障した部位をなるべく手術せずに短期間で治療する方法を研究すると言ってた気がする」
以前より親子で会話する機会を増やすように心がけていた巧人は、進路について父親に相談した際にそんな話を聞いたことを思い出す。真っ先に秋のことが思い浮かんだ事柄だったからか、他に聞いた話よりもより強く印象に残っていた。
「えっ、すっげ……。その方法があれば、オレみたいに怪我して諦める人がいなくなるってこと?」
「実現できればな。どんなことをするのかまでは分からんが、諦めなくてもいい希望の一つにはなるんじゃないか」
「巧人の父ちゃんが働いてるのって盟大病院だったよな? 盟大か……しかも医学部……? すっげぇ気になるけど、オレにはハードル高すぎて無理だよなぁ……」
お昼時、いくら食券を買うだけとはいえなかなか進まない列は一歩進んでは三分立ち止まるを繰り返している。そんな現状が興味だけでは届かない理想と重なり、秋の一歩は重くなった。
「諦めるのはまだ早い。今から勉強すれば十分間に合う」
「そーだよー。しかも今はちょーど勉強合宿、勉強始める良いきっかけじゃん」
「ちなみに俺の志望校も盟大の医学部だ、一緒に頑張ろう」
「巧人が一緒だと心強すぎて急に大丈夫な気がしてきた! よーし、やるかーっ!」
秋は気合いを入れ一歩を踏み出す。券売機を目の前にし、いくつも並ぶメニューから特に強く引かれたカツカレーを大盛りで選択した。
「おー、カツカレーとは験担ぎって感じでいーねー。僕はそーだなー……これにしよーっと」
楓は券売機を端から端まで目を通し、サンドイッチランチプレートのボタンを押した。続いて巧人は一分程悩んだ後にシーフードドリアを選んだ。
三人は発券した食券を受付に渡し、セルフサービスのスープとサラダをよそった。横並びに受け取り口の前で待っていると、調理担当の中年女性が「もうちょっとだけ待っててね」と声をかけ微笑みかけてきた。人見知りする巧人と楓は軽く会釈するだけだったが、秋は眩しい笑顔で「はい!」と言ってカウンターの向こうにいる母親かそれ以上の年齢の女性たちの心を鷲掴みにした。
注文した料理を受け取り席に戻り、三人は誠弥と交代した。その頃には券売機の列は解消していて、五分もしないうちに誠弥はカルボナーラを持って戻ってきた。
いただきます、と口々に言い食べ始める。巧人はサラダ、誠弥と楓はスープ、そして秋はメインのカレーから食べ始め、個性が出る。
「そういや、茜センパイは大学のこととか将来のことって考えてんの? 巧人も聞いたしオレも話したのに茜センパイの話だけ聞いてねーじゃん」
「僕はまー、本来は柞木たちより二年先輩だから考えざるを得ないよねー。三年生なら現実味しかなくて今頃模試とかに追われてそーだし」
楓はハムサンドを小さく口に運んだ。
「そーじゃなくても、本当に一年生だった頃……緑ネクタイのときから考えてたけど」
「へぇ、茜川からそういう話聞いたことなかったから俺も気になるな」
「僕からせーやに真面目な話するのも変でしょ。でも、話さないのもアレだしこの機会に話すよー。僕、せーやみたいになりたいんだー」
「俺みたい? それって養護教諭になりたいってこと?」
誠弥はパスタを巻き付けていたフォークの手を止め、隣にいる楓の顔を見た。楓は食べかけのハムサンドを片手に首を横に振る。
「そーいうわけじゃないんだけど、僕みたいに周りと馴染めなくて困ってる人に手を差し伸べられて親身になれる人になりたいんだ。どっちかって言うと、カウンセラーの方が近いかなー。その為に心理学を勉強したいって思ってる。悩みは人それぞれだと思うし、いろんな人がいてその数だけいろんなことを考えてるはずだし」
「すごい立派な目標じゃん。アイデンティティに悩む人の気持ちが分かる茜川なら俺以上に良い相談相手になれると思うよ」
「だと良いけどー」
楓はハムサンドをまた一口かじり、そこにコーンポタージュを流し込む。パンにポタージュが染みてふやけてとろとろになり、別の食べ物を食べている気分になった。
「僕がそんな風に目標持てるようになったのせーやのおかげだから、そう言ってもらえて嬉しい。みんなが自分らしく生きていける手助けができるよーに頑張るよー。まずは僕が僕らしさをちゃんと貫けるよーにならないとだけど」
「茜川の茜川らしさって?」
シーフードドリアをずっと冷ましていた巧人が、スプーンに口をつける前に視線を合わせ楓に尋ねた。楓は左手で顎に触れ、しばらく考えたあと不格好な笑みを作り「今のところは……」と口を開く。
「僕であること、かな」
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