#33 好きの気持ち

 バスに三時間程揺られ、一行は郊外のとある大学に到着した。二クラスずつに別れてそれぞれ三つの大学を訪れることになっていて、三組は六組と一緒に行動する為に合流した。

 先に降車していた巧人は六組の生徒たちが乗るバスをじっと見つめ、誠弥が降りてくると目と口をぱっと開き小さく手を振った。それに誠弥もすぐに気付き微笑んで手を振り返す。


「センセーって、ホントに巧人のこと好きよな〜。声もかけてないのにバスから降りてすぐ巧人に気付くとか、絶対車内から見つけてたじゃん」


 隣にいる秋がそう言う。車内から外を見るのと外から車内を見るのとでは訳が全く違うが、見つけてくれていた嬉しさと見つけられなかった悔しさが同時に巧人を襲い、拳を強く握り締めた。


「あっ」


 秋は不意に声を上げた。手から力が抜け、巧人は秋の顔を見る。


「センセーが負けたくないのって、巧人のこと? どっちの方が巧人を好きなのか〜みたいな」

「!」


 突然冴え渡る秋の勘、肯定を意味する気の抜けたような声が緩く開いた巧人の口から漏れ出る。


「……ああ」

「えー、そんなんセンセーの方が好きに決まってんじゃん! もう圧勝! 八年近い絆を一ヶ月やそこらで越えられるワケないない!」


 秋は今の今まで悩みを抱えていたのが馬鹿らしくなって手放したのか、肩の荷が降りたように軽やかに笑い飛ばした。


「オレずーっとセンセーに勝てることとか対等に戦えるようなこと探してたんだけど、なーんにも思い浮かばなくてさ。それはセンセーが完璧超人だからってワケじゃなくて、答えが全然考えもしなかったところにあったからなんだな」

「そもそも兄さんも何を張り合ってるのか。秋の好きと兄さんの好きでは意味も違うはずなのに」


 バスを降りた地点にいつまでも立ち止まっていると、先に行っていた梅田が遠くから秋の名前を呼び腕を振った。呼ばれた秋は巧人の手を取り、早足で追いつき彼らの少し後ろを歩いた。


「センセーの好きは〝兄弟〟としてって意味だもんなー」

「ああ……」


 巧人の声色が暗くなる。知っている、言われなくても分かりきっている。自分は誠弥の〝弟〟――そういう設定なのだ。その役から抜け出したくて堪らないという思いは誰にも伝わっていない。


 大学のキャンパス内に入ると、私服姿の学生が中庭で談笑したり棟から棟へ講義の為に急いで移動したりと人それぞれの動きをしている。同じ制服を着て集団で動いている巧人たちはそこでは異様で、注目を集めていた。


「大学かー。進路とか全然考えてねーわ」


 秋が退屈そうに頭の後ろで手を組みながら呟く。梅田たちも同意し「まだまだ先の話だよな」「高校入ったばっかだし実感湧かねー」と話している。


「ド……じゃなくて、槙野くらい真面目で成績良い奴だったら意識高く考えてたりすんの?」


 笹森が巧人に声をかける。本人にそのつもりはないようだが、言いかけた悪意に満ちた呼び方も含め嫌味ったらしく聞こえ、巧人は眉をしかめた。


「……考えてないことはないが、意識が高いとは別に思わない」

「やっぱ巧人はすげーな! オレもちょっとは考えっかなぁ……。将来の夢とか目標とかまだないけど」


 突き放したような口調だった巧人の顔を見ると険しい顔をしている。空気を悪くしてはいけないと気を利かせたのか純粋にただそう思っただけか、秋は巧人と肩を組み笹森へのとげのある回答を代わりに受け取る形で明るく話に交ざった。


「巧人は将来、何になりてーの?」

「俺は……父さんのようになりたい」

「それって、医者になりてーってこと?」

「ああ。俺はこんな身体で昔から不自由してきたから、そんな人を一人でも多く助けられるような存在になりたい」

「へぇ……めっちゃ良いじゃん!」


 巧人の明確で芯の通った将来像に秋は関心しているが、梅田たちは少し間を置いて口から空気を漏れさせ圧倒されているだけだった。


「自分と同じような立場の人の力になりたいってすっげーカッコいい! オレもそんな風になれたらいいけど、そもそもオレと同じような立場の人ってどんな奴だ?」

「秋と同じっつーことは、授業もろくに理解できねぇバカとか?」

「ひどっ! 桐原、梅田になんとか言ってやって!」

「そう言われてもなー。秋がバカなのは事実だし……」


 笑っているのか笑われているのか、ともかく秋も梅田たちも楽しそうだ。巧人はその輪から一歩外へはずれ出たところで眺めていようとしていた。


「もう頼れるのは巧人しかいねーよ。助けて……」


 並んで歩いている隣で頼りなく巧人の肩を掴み、秋はあわれみを乞う目で見つめる。同情を誘う表情に、巧人はため息をついた。


「別に勉強が全てじゃない。できなくても人間としてちゃんとしていればそれで良いと思う。……茜川の受け売りだが」

「おお……。茜センパイ、マジ良いこと言う!」


 秋は振り返り三組の集団から間を空けて並んでいる六組の集団から楓を捜す。列からはみ出てマイペースに歩いているツインテールを見つけると大きく手を振った。それを見た楓は不思議そうに首を傾げながらも小さく手を振り返した。


「だからと言って、勉強しないのは良くない。まだどんな道に進むか決めてない以上、持ってる知識は多い方が良い」

「ふーん、なるほどなぁ。とりあえず説明聞いて興味あること見つけてみるかー。この大学、学部めっちゃあるらしいし」




 * * *


 巧人たちは大学の職員から大教室に案内され、それぞれ自由に着席した。高校の教室の四倍はゆうにあるであろう広い空間と大きなスクリーン、こんなところで授業をするのかと未知の体験に秋は心を躍らせている。


「なあ、なんか大学って楽しそうだな!」

「ちょろいな〜。たしかに映画館みたいでなんかテンション上がるけど、いざ授業になったら大したことないんだろうなぁ」

「お前ら二人とも説明中に寝るなよ」


 後ろの席に座る梅田に注意され秋と桐原は揃って「はーい」と棒読みの返事をした。一方、秋の隣で巧人は姿勢良くノートを広げシャーペンを握っている。


「うわっ、さすが真面目くん……」


 秋や桐原は以ての外、それなりに話だけは聞こうとしている梅田よりも遥かに真剣な態度の巧人が笹森にはもはや住む世界が違う別次元の人間に見え、思わず引いてしまった。


「巧人、ここの大学気になってんの?」

「いや。だが、何か興味深い話を聞けるかもしれんと思ってな」

「そんなこと一ミリも思わなかったわ……退屈なんだろうなってばっかり思って。チテキコーキシンってヤツ? そーゆーのオレにはないからさ」

「何かに興味を持って知りたいと思った時点で好奇心はあると思うが。たとえば、初めて俺に話しかけてきたときとか」

「でも、それは仲良くなりたかったってだけだし、勉強とは関係ねーだろ」

「そうでもないぞ。秋の言葉を借りれば、仲良くなりたい学問に出逢えれば知りたいと思うはずだろ?」


 秋は「なるほど……」と噛み砕かれた巧人の言葉に頷き、納得してみせる。そしてリュックからノートを取り出し、見出しに大きく『目標 仲良くなる!』と的を射ない宣言を書き記した。


 説明会は大学全体の紹介をする総合的なものが中心だった。まず学校設立に至る歴史や経緯、信念についての映像が十分程流される。既に秋と桐原は眠そうだ。うとうとと頭を揺らしている二人を梅田がはたいて正気を取り戻させた。

 その後に説明役の職員からの話が始まった。スクリーンに映し出されたスライドに合わせ学部が一つずつフィーチャーされる。

 法学部、経済学部、理工学部――。秋はぼけーっとスクリーンを見ているだけでどれも興味を惹かない。桐原と笹森もだいたい同じようで、梅田はメモを取る程度に手を動かしている。巧人は関心を向けるところではないはずなのに、手を忙しなく動かしノートを埋めていた。


「そんなに何書くことあんだ?」

「……静かにしてろ。ちゃんと話を聞け」


 スクリーンとノートを行ったり来たりするだけでこちらに視線を向けない巧人につまらないと感じながらも、秋は頬杖をついたままスクリーンの方へ目を遣った。建築学部、文学部、国際学部――。仲良くなれそうにない。

 相も変わらずどの学部の説明も同じように真剣に聞いてノートを取る手を止めない巧人や最初からそれなりに聞く耳を持っていた梅田はともかく、桐原や笹森さえもスライドを見て頷きながら配られた資料の隅にメモを取り始めている。

 薄暗い部屋を見回すと大半の生徒が同じように首を上下させているのが分かり、秋に焦りが募る。何か書かないと。でも何を? いざ真面目に聞こうとすると、周りが字を書いている音だけが耳に入り込んできて肝心の話が全く入ってこない。要点が掴めずシャーペンを握る手が震える。その手にそっと巧人は自分の左手を重ねた。


「焦らなくていい、誰かに合わせようとしなくていい。秋には秋のペースがあるし、興味なんて人それぞれだ」

「巧人……」

「……秋が何を言っても梅田と俺の馬が合わないみたいに、相性というのは必ずある。だから、無理をするな」


 気付けばクラスメイト全員と友達になっていたように、巧人はどんな学問とも仲良くできるらしい。反対に巧人がクラスメイトとなかなか親しくなれないように、興味を持てる学問になかなか出逢えなくてもいいのだ。それが個性なのだと、秋は肩の力を抜いて再びスクリーンへ視線を移し職員の声に耳を傾けた。教育学部、心理学部、医学部――。まだまだ手は動かない。見出しを書いたきり罫線だけが続くノートは、今からいくらでも書けるのだとポジティブな考えを秋に抱かせた。


「最後に、来年度から新設される新しい学部の紹介をします」


 スライドが切り替わると、秋は一瞬にして目を惹かれた。


「スポーツ科学部……」


 意識せずとも勝手に動いている秋の右手を見て、巧人は安心したように微笑み自身もスライドへ注目した。

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