第4章 これまでとこれから

#32 出発地点

 ——秋には負けないから。


 そう言われ秋は何において誠弥に勝てるのか、授業中も放課後も所構わず考え続けていた。

 誠弥の方が背も高く頭も良い。そこは恐らく一目瞭然いちもくりょうぜん、覆しようもなく負けている。特技の料理や足の速さはといえば、比較する機会がなかったので分からない。容姿や性格は基準がないのでそもそも比較ができない。


(オレ、何一つセンセーに勝ってるって言えなくね……?)


 あっさりそんな結論に至るのと同時に、誠弥の言葉の意味や意図に疑問を感じていた。


(そもそも、センセーはオレと何で負けたくないんだ? なんでオレを相手にしてんだ?)


 秋からすれば、誠弥は欠点の一つもない完璧人間だ。しかも教師で、ただの一生徒を相手に真っ向から勝負をしようとすること自体が不自然である。しかし、朝学活前の廊下で宣言されたときは、真っ直ぐに見つめられた目と整った笑顔に気圧けおされ何も訊けなかった。その後いつも通りに保健室で巧人や楓を交えて過ごしていても、普段と何も変わらず談笑する空気が却って聞き出すタイミングを失わせ真意は分からずじまいだ。


 誠弥のライバル宣言から数日、秋はもやつき頭を捻ったまま勉強合宿の日を迎えた。

 クラス毎で一台ずつ観光バスを貸し切り、発車した車内は雑談する声で溢れている。


「おい、勝手に食うなって!」

「いーじゃん一個くらい! つーか、もうお菓子開けんだな。まだ出発したばっかなのに」

「朝飯代わりだよ、寝坊して食ってねーんだ。腹減ってたら酔うって言うし」

「桐原、乗り物酔いするタイプ? 酔い止め飲んどけよ、オレ持ってるから」

「いいよ、そこまでじゃねーし。つーか、秋の母親並の世話焼きもなんだかんだで慣れてきたな」


 今は悩みなど忘れて楽しむことに専念しようと意識してか、秋は通路を挟んだ向かいに座る桐原たちといつも以上に騒いでいる。秋の隣の窓側の座席に座る巧人は会話に混ざることなく、ずっと窓枠の外で流れていく景色に意識を向けている。しかし、普段のクールさはどこへ行ったのか、窓に映るその表情には楽しみだという思いが笑顔という形で滲み出ている。


「巧人、めっちゃ嬉しそう」

「そうか? こういう行事に参加できたのは初めてだからそうかもしれんな」


 巧人は窓に薄く映った自分の顔を見る。街並みに透ける下がった眉と反対に上がる口角を確認し、抱く感情を初めて認識した。


「オレはわざわざ景色綺麗なとこまで行って勉強とか、ユーウツだけどなー。どうせなら観光とかしたいじゃん!」

「たしかに勉強は学校でも家でもできるが、今回は勉強合宿だからな。だが、いつもと違った環境で勉強するのは新鮮で良いと思う」

「巧人と一日中一緒にいれるし、そう考えたら悪くはねーのかなぁ」


 秋は伸びをすると、巧人と同じように窓から外を眺めた。ぼやっと窓に映る像を頼りに前髪を整え、曲がり角で派手な建物が見えると指さし声を上げた。


「あ! あそこの科学館、小学校の遠足で行ったなー。描いた絵が実際に画面に表示されて、それ動かして闘わせるヤツがめっちゃ楽しかったの覚えてる。懐かし~っ」

「あの科学館なら俺も昔、兄さんと行ったことがある。初めて遠出をして行ったところだが、今思えばかなり近場だな」

「巧人ん家からなら電車乗ったらすぐだな。でも、今からはマジの遠出だからな。そりゃ楽しみだよな!」


 秋は巧人と肩を組む。バスが高速道路へと入っていく様子を一緒に眺め、昂ぶってくる気持ちを共有した。


「そうだな、楽しみだ」


 声に出すとより一層その思いが胸に浸透していく気がし、巧人は高揚感で身体が温かくなっていくのを感じた。


「そういやセンセーは六組のバスに乗ってんだっけ? 茜センパイと話してたりすんのかな」


 秋から誠弥の名前が出てきて、巧人は反応してしまう。

 あの宣言の後、誠弥はすっきりしたようで普段と変わらない様子だったのに対し、秋はずっと気にしているようでどこかぎごちなさが残り続けていた。自身を巡る問題故、巧人は他人事にはできず顔色を伺った。笑っている。何か悩みを抱えているようには見えなかった。


「どうだろうな。クラスでいるならお互いに気を遣って距離置いてるんじゃないか? 俺もバスに兄さんがいても話しかけないだろうし」

「そんなもんか。てっきり、巧人は隙さえあればずっとセンセーと一緒にいると思ってた。朝、グラウンドに集合するときもわざわざ駆け寄って挨拶してたから」

「そりゃ、姿を見かければ声くらいかけるだろ。だが、人目も気にする……茜川なら余計にそうだろ」

「あんな噂あったしな。でも、巧人はなんで気にすんの? 人前で誰かと仲良くしてるとこ見られんの恥ずかしいとか?」


 片想いの相手なんだ、気にするに決まってるだろ。その叫びは届かない。秋はそんなものお構いなく「じゃあ、こーゆーのも恥ずい?」などと言って巧人にじゃれついた。


「や、やめろ……秋こそ、なんで恥ずかしくないんだ……」

「えーだって、こうしてたらすっげー仲良いんだって実感するじゃん。あと単純に照れてる巧人が可愛い」


 狭い座席で密接な距離感。親しげにしている二人を見て、斜め前の席にいた女子たちが「キャー」と黄色い歓声をあげスマホを構えている。シャッター音を聞くと秋は「あとでその写真ちょーだい!」と満点の笑顔でピースサインをしてみせた。一方の巧人は困惑したままだ。


「良いもの見せてもらったお礼にポッキーあげる」


 通路側にいた女子、北池きたいけから赤い箱を差し出され、秋は「さんきゅー」と喜んで一本引き抜いた。


「槙野も取ってよ」

「え……」

「甘いもの苦手?」

「いや、そんなことない……」


 巧人は腕を伸ばして一本貰うと、じっとチョコレートにコーティングされた先端を見つめ不思議そうな顔をしている。


「まさか巧人、ポッキー食うの初めて?」

「そんなわけないだろ。ただ、こんな風にクラスメイトからお菓子を貰ったのは初めてだ……」


 貰ったポッキーをありがたく一口食べる。パキッと折れ、程良い甘さのチョコレートが舌先に触れてカカオの風味と共に溶け広がっていく。その後、プレッツェルの香ばしさが鼻を抜け、サクサクと心地良い歯ごたえを噛み締めた。自分で買って自分一人で食べるそれと一体何が違うというのか、幸せの味に巧人の表情は優しく解れていく。


「槙野って、よく見たら可愛い顔してんだね。あ、男子に可愛いは失礼? でもなんて言うか、思ってたより接しやすい感じする」

「だろ〜? 巧人は可愛いし、しかも話したら面白いんだよ!」

「なんで柞木が得意げになってんの? まあでもそっか。柞木が槙野と仲良さそうじゃなかったら私多分、絡むこともなかったと思うし」

「ウチも梅田たちが言ってたみたいな冷たい奴だって誤解したまんまだったかも」


 北池の隣の窓際に座っていた滝本たきもとがそう言い、真後ろの座席にいる梅田を見た。腕を組み窓の方を見ていた視線だけそちらへ寄越よこす。


「俺が悪いみたいな目で見んなよ」

「誰もそんなこと言ってないじゃん。なに、悪評広めまくってたの悪いとか思い始めちゃった?」

「何言ってんだよ、んなこと一ミリも思ってねぇし。アイツはホントに冷たくてムカつく奴だよ、お菓子貰ってガキみたいに喜んでる顔見たくらいで判断すんな」


 梅田はむすっと拗ねた様子で、再び窓の方へ視線を逸らした。滝本たちは「それもそっか」と一応は彼の言い分を納得したらしく、にやにやした顔を巧人へ向ける。


「ねえねえ、もっとウチらと話そうよ。槙野のこと知りたい!」

「私も知りたいな。中学のときはあんまりクラスでも顔合わせなかったし、槙野のこと全然知らないんだよね」


 そう言うと周りにいた他の女子たちは「私も!」と口々に言い、一部の男子もそれに混ざった。照れる巧人の横で秋は代弁するように目を大きく開いて笑顔を見せた。


「良いじゃん良いじゃん、この空気! みんなどんどん巧人に質問とかしてってよ!」

「だからなんで柞木が仕切ってんの」

「そりゃあ、オレが巧人の友達第一号だし? 代表してこの場仕切るくらいしてもよくね?」


 秋は何故か当事者の巧人よりも張り切り楽しそうにしている。

 二週間程前に「好きだ」と告白してきた相手は、醜い独占欲を向けてこなかった。「巧人はオレのもの」と言ってこないのだ。それが巧人にはどうしてか嬉しく、同時に辛くもあった。


「巧人を傷付けるような質問はなしな! 巧人、センサイだから」

「はいはい、当たり前じゃん。んじゃあそうだな……柞木とは何がきっかけで仲良くなったの?」

「秋とはそうだな……なんて説明すればいいだろうか」


 助けを乞うように巧人は誠弥の目を見る。頼られている、それだけで秋の心は高揚し口が早くなった。


「オレが巧人と友達になりたくて猛アタックしたんだよ! きっかけって言ったら、学校行く途中で巧人が貧血で倒れそうだったのを助けたんだ。そっからはまあ、成り行き?」


 秋はへへっと笑い「ちゃんとは分かんねーわ」と続け、髪をくしゃくしゃと掻いた。


「そういや新学期始まった頃に柞木、槙野見て『可愛い』って見惚れてなかった?」

「それはその……巧人のこと、初めは女子だと思ってたからさ……はは……」

「あーそれであんなに仲良くなりたがってたんだ。ショートヘアでパンツスタイル、槙野が女子だったら柞木のタイプどストライクだし」

「でも、男子だって分かってもちゃんと友達になっちゃうあたりが秋らしいよな〜」


 桐原の後ろに座っていた笹森が顔を覗かせそういうと、女子たちはうんうんと首を縦に振った。


「柞木、結局クラス全員と仲良くなってるし」

「気付いたらみんな友達になってた……みたいな? つーか、オレの話してどうすんだよ。今は巧人と話す時間だろ?」

「おいおい、でしゃばってきたのは秋の方だろ」


 わいわいと騒ぎ笑いながら、秋たちは自然な形で話題を巧人へ戻す。質問はそれぞれ巧人が答えやすいような分かりやすいものを選んで投げかけ、悩んだ場合も秋はアシストする程度であくまで話し手を巧人に置いたままにしていた。

 突如として始まった巧人への質問コーナーは徐々にバス車内で輪を広げていき、気付けば巧人はクラスの中心にいた。それを担任が輪の外から微笑ましく眺めているのに気付いた巧人は、いつものような冷たく鋭い視線を向けることはなかった。

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