#31 宣戦布告
体調はすっかり良くなっていたが、誠弥と秋の間にわだかまりを感じたまま巧人は月曜日を迎えた。見舞いに来てくれた二人を門の外まで見送ったとき、距離感にぎこちなさを見出していた。それは特に誠弥から一方的なように見えその日の会話や行動を思い出すが、特別不審だったり不和が起こるようなところは思い当たらない。
(兄さん、どうしたんだろ……)
勝手な憶測を並べていても仕方がない。直接本人に訊く為に保健室へ向かうことを決意し、通学路の坂道を登る。すると、校門前にスクールバッグを背負った楓が細いツインテールを風に揺らし立っているのが見えた。
「あ、槙野。おはよー、風邪治ったー?」
楓は軽い調子で挨拶の言葉を口にすると、カーディガンのポケットから手を出しひらひらと振った。
「おはよう。ああ、もう大丈夫だ。お見舞いのお菓子、ありがとう」
「どーいたしましてー。スーパーのセール品ばっかりでごめんねー、金欠だったんだー」
「そんなこと気にしてない。それより茜川、来るの早いんだな」
「家、遠いから早めに出ちゃうんだよねー。片道一時間半、毎日小旅行気分だよー」
楓は思い切り伸びをした。最寄り駅を出発するのは通勤通学ラッシュより早い時間なので座席には余裕があり悠々と登校できるが、一時間以上も座ったままの姿勢だと身体が凝ってくるようだ。
「よくそんなこと続けられるな……」
「学校嫌いなクセにそこまでしなくていーじゃんって? まー、実際去年までは途中でせーやのとこ行くのすらイヤになって引きこもってたしー。でも、そーやって逃げるのもイヤでわざわざ知り合いが誰もいない遠い学校選んだんだから、ちゃんと通わないとねー」
光陽台高校を選んだ理由。自分の身体を思って近場を選んだ巧人と、自分の心を思って遠方を選んだ楓。正反対の思いを抱えた二人が、同じ校門の前に立っている。顔を見合わせ不器用に笑い合う、居場所はここなのだと実感した。
「で、どうして入らないんだ?」
「保健室、開いてないんだ。せーや、いなくて」
「え?」
八時ちょうど。保健室まで確認に行くが、電気が消えていて鍵もかかっている。いつもなら確実にいる時間に誠弥がいない。メモ書きの一つもなく、週末から抱き続けている違和感も相まって巧人は胸騒ぎがした。
「いい加減教室行けってことかなー?」
「そうなら兄さんは直接そういうだろ。ちょっと連絡取ってみる」
巧人はスマホを鞄から取り出し、メッセージアプリを起動させる。他にどんなメッセージが来てようと一番上に表示される誠弥とのトークルームを開き、『今どこにいる?』と端的な文章を送信した。
「せーやと繋がってんだ、まー〝兄弟〟なら当たり前か。便利そーでいーね、僕も聞こーかなー」
「教師に簡単に連絡先を聞こうとするな」
「じゃー僕もせーやの〝妹〟を名乗ることにするよ」
「……兄さんは俺のものだ」
「おー、言うよーになったじゃん」
「……言葉の綾だ……」
にたにたして楓は巧人の脇腹をつっつく。どれだけつっつかれてもくすぐったい以外の感想は出てこない。
「『誠弥は俺のものだ』っていつか言えたらいーね。いや、槙野はどっちかって言うと『タクは俺のもの』って言われたいタイプ?」
「…………」
想像してみる。巧人自身が言う分には今すぐにでも言えた。ただし、誠弥がいないところに限る。一方後者は……言ってもらえる未来が全く見えない。見えなくても想像してみる。あの少し色っぽい、大人の男性だと第一声で分からしめる艶かしい声でたとえば耳元に。それだけでもう死んでしまってもいいと思ってしまった。
「……言われたい……」
欲望を抑える理性の必要がない状況、施錠された保健室の前で巧人は本音を漏らし顔をだらしなく火照らせた。
「より難しい道を選んだねー。いや、あの過保護ぶりならなんかの間違いでさらっと言っちゃってもおかしくないかもー? 槙野の期待するような意味じゃないとしても」
〜♪
巧人のスマホから通知音が鳴る。誠弥から返信が来たようだ。
『一階の西校舎だけど。どうかした?』
メッセージを確認し渡り廊下の方へ視線を遣ると、白衣姿の誠弥の姿が見えた。誠弥も巧人と楓に気付き早足でやってくる。
「おはよう。タク、もう身体は平気?」
「大丈夫だ」
「それは良かった。ごめんね、勉強合宿のミーティングやってて」
「朝来たらいないから心配したんだよー」
楓は気の抜けたような声で言って頭の後ろで手を組んだ。
「あんまり心配してくれてるようには聞こえないなぁ、まあいいや。どうしたの、二人して」
「えっと……」
巧人が口を開きかけたところを楓が被せるようにいつもより心做しか大きな声を発した。
「僕、槙野のおねーちゃんになることにした」
「⁉」
いきなり何を言い出すんだ。巧人が目をぱちくりさせていると、あっという間に暖かくて逞しい腕と優しい柔軟剤の香りに全身が包まれた。
「タクは俺のもの!」
* * *
「「…………」」
巧人と誠弥が二人して恥ずかしそうに膝小僧をぴったりとくっつけ大人しくソファに並んで座っているのを、楓はしたり顔で眺めている。
その声は、想像に反して無邪気で一生懸命な子供のようだった。巧人は幼子が宝物のように大事そうに抱えたロボットかフィギュアにでもなった気分だった。
「いやー、大成功だねー。こんなにあーっさり言ってくれるとは思わなかったよー。槙野、感想はー?」
「……恥ずかしかった」
小声で早口、
「タクごめんね。タクが茜川に取られちゃうんじゃないかって思ったら身体が勝手に……」
「いや、いい……」
「だからじょーだんだよー。僕は槙野のおねーちゃんにはならないし取りもしないよー。ついでにせーやの〝妹〟にもなんない。だから、せーやのことも取らないよー」
「いや、俺はタクのものじゃないよ……というか、タクも別に俺のものじゃないよね……ごめん……」
しゅんと
「どうしたんだ兄さん。この前からずっとそんな調子で、何かあったのか?」
「大したことじゃないというか、タクに話すとすごく恥ずかしい話なんだけどね……。タクのお見舞い行ったとき、秋に看病されてるところ見たり秋しか知らないタクのこといっぱい聞いてたら、なんだか
さらりと告げられたその言葉に心を躍らせてはいけない。「告白じゃん」などという楓の
『好き』という言葉の残酷なまでの広義さを、巧人はよく知っていた。
「秋との方が仲良さそうだけどどっちの方がより好きとか証明できないからただただ自信だけなくなるし、そもそも生徒相手に何ムキになってんだ頭冷やせよって自己嫌悪に
「ふーん、なるほどなるほどー。せーやは柞木をライバルだと思ってるんだねー」
「ライバルって、そういうのじゃないよ」
「いーや、僕から見ればそーにしか見えない」
――良かったじゃん。含みを持った言い方だった。楓は
「取り合ってるって感じはしないけど。柞木が槙野に近付いたらせーやは寧ろ離れようとしてる気がする。柞木の方はどーか分かんないけど多分せーやと同じだと思う。ニュートンのゆりかごみたいに」
「ニュートンのゆりかご?」
「あれのことだよ」
楓は部屋の隅にある棚の上に置かれてあったそれをテーブルに持ってきた。鉄球が三つ、紐をV字に描き先端に吊られ並んでいる。そういえばこんなの置いてあったな、巧人は今までそのオブジェを意識することもなかった。
楓は左端の鉄球を持ち上げ、ぱっと手を離す。鉄球は中央の鉄球をめがけて放物線を描き、ぶつかる。すると右端の鉄球が押し出されるように飛んでいく。飛んでいった鉄球はまた同じように中央の鉄球をめがけて放物線を描き、ぶつかる。すると左端の鉄球が押し出されるように飛んでいく。
「この左の鉄球を柞木、右の鉄球をせーや、そして真ん中の鉄球を槙野ってことにする。柞木が槙野に近付くとせーやは離れて、逆にせーやが槙野に近付くと柞木は離れていく。挟まれてる槙野は何もできずにいる。今の槙野たちってこんな感じだなーって思って」
――カチカチカチ。ぶつかっては離れを繰り返している鉄球の運動を眺めながら楓はそんな例え話を紡いだ。
「よくそんなこと思い付くな、言い得て
「たまたまこの前暇でちょっと遊んでたんだー。そんで、この真ん中の球って可哀想だなーなんて思って」
「可哀想?」
「うん。両サイドから何回も何回もぶつかられて痛そーじゃん。それなのに自分は好きに動いたりできないでさ、どーいう気分なんだろー? ねえ、槙野は今どーいう気持ちなの?」
テーブルの前にしゃがむ楓は見上げるように巧人を見て問いかけた。巧人はちらっと誠弥の顔を見る。誠弥は揺れる鉄球を追いかけ目を左右に動かしているだけで、巧人に何かを期待したり探ろうとする様子はない。だから、ただ楓に向けてだけ答えを示していった。
「羨ましいと思う。二人とも自分の思ってることや考えを表に出すことができて素直に尊敬できる。だからこそ、痛みを感じることも多いな。それぞれに向けられた気持ちへの向き合い方もそうだし、俺の中の突いてほしくないところを絶妙に突かれるとどうしようもなく胸が痛くなる。だが、少なくとも『可哀想』なんて思われるような筋合いはない」
「それは、ごめん。でも、二人がいろいろ言うから槙野は言いたいことが言えないんだとは思わないの?」
「思わないな。俺が勝手に黙ってたり押し込めてたりするだけだ。それは誰のせいでもない、俺が俺を護りたいだけのわがままなんだ」
それが同時に巧人自身を苦しめることになるとしてもわがままには変わりないのだ。
何があっても真ん中の鉄球がその場に留まり続けるのは、ぶつかった衝撃をすぐ隣の鉄球に
「そりゃそーか。周りにそんな人がいたおかげで今の自分が存在するんだろうけど、周りにそんな人がいるせいで今の自分が存在し続けるってわけじゃないもんね」
過去と未来。影響する他者は、自己を形成した理由にはなっても変化しない理由にはならない。楓がわざとややこしい言い回しをしたのは、簡単な話を簡単なまま結論付けたくはなかったからだろうと巧人は考える。
「そーじゃなかったら、僕みたいなはみ出し者は生まれないよね。世界は、お行儀良く公式に当てはめられた法則通りの人間だけになる」
「はみ出し者って、茜川はそんなんじゃないよ」
ずっと沈黙を貫いていた誠弥が口を開いたので、楓は「聞いてたんだー」とフラットにそれほど意外そうでもなく反応した。
「僕ははみ出し者だよ。分かりやすく証明すれば、教室からはみ出してる。いつどこで誰が決めたかも分かんない〝普通〟に疑問を持って従えない奴はもれなくはみ出し者なんだ。でも、はみ出し者だからってどこにも行けないわけでも苦しまないといけないわけでもない」
楓は揺れる鉄球の間で静止し続ける鉄球を見つめながら話し続ける。
「ちゃんと居場所がある。ここが僕の居場所だ。僕はせーやと出逢って自分をだんだん受け入れられるよーになった。せーやと出逢えたから槙野や柞木みたいな心を許せる人にも出逢えた。せーやには感謝してるんだからねー。だからさ、せーやが下らない公式にはまって悩んでるとことか僕は見たくないなー」
今度は誠弥を見上げる。どこか大人びていて考えが読めない濁った色ではなく、純粋で透き通った綺麗な目をしていた。
「秋のことをライバルだと思ってもいいって?」
「それは僕が決めることじゃないと思うよー。そもそもどっちの方がより好きとかどーでもいーと思うし、お
ある程度の結末が読めているからか、楓は大胆に無責任に誠弥に提案してみせる。
八時二十五分、予鈴が鳴り響いた。
「そろそろ教室行かないと」
「俺も行くよ」
「え?」
「秋、もういるでしょ?」
不安や後ろめたい気持ちが一切なくなった誠弥は巧人に微笑む。その顔はよく知った頼りになる――巧人の大好きな誠弥だった。数秒の間を置いて頷き、口を開く。
「……ああ。寝坊でもしてなければな」
「じゃ、少し空けるね。今日もここにいるんでしょ?」
「まーね。ついでにおーこーちに『茜川は保健室でーす』って伝えといてー」
テーブルに頬杖を付き楓はゆるゆると手を振った。担任の名前を呼び捨てにしていることも
「あ、槙野」
「なんだ?」
「ニュートンのゆりかごって、ずっとは動き続けないんだよ。このカチカチって音の分、運動エネルギーは失われる。まあ他にも空気抵抗とかいろいろあるけど、とにかくいつかは止まる。そんで運動が終わろうとするとき――真ん中の球はちょっとだけ動く」
何が言いたいのかと、巧人は引き戸に手をかけた状態で振り返り楓の無気力そうな目を見た。首を傾げたところで真意が通じ、目を僅かに見開き保健室を後にした。
「……がんばれー、恋する少年」
* * *
一年三組の前に着くと、誠弥は教室の中を覗き秋の姿を捜す。男子数人が後方に集まっていて、そこに秋の姿はあった。見つけると名前を呼び手で招いた。
「センセーおはよ、巧人も一緒じゃん。風邪はもう平気か?」
「すっかり良くなった、秋の雑炊のおかげだな」
「んなこと言われたら照れんじゃん」
秋は頭を掻きながら嬉しそうに笑った。「デレデレして気持ち悪いぞ」と教室にいた梅田にからかわれるのを「うるせー」と軽く返す。
「で、センセーどしたん? わざわざ教室まで来て」
「ちょっと、秋に言いたいことがあってね」
誠弥は巧人の両肩に手を置いた。巧人は驚き一瞬固まるが、平静を装う。誠弥は一度深呼吸をし、秋の目をじっと見た。
「俺、秋には負けないから」
「お、おう……?」
誠弥からの宣戦布告に秋は戸惑いながら拳を突き出す。コツンと拳を合わせ、誠弥は歯を見せ眩しい笑顔を向けた。
「んじゃ」
手を振り保健室へ帰っていく誠弥は清々しい顔をしていて、廊下ですれ違う生徒達に「おはよう」と爽やかに挨拶していった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます