#30 〝兄〟と友達の距離感

「おまたせ〜。他人ひとの台所なんて初めて使ったから変な感じだった、うちよりだいぶ広いのももちろんだけど」

「んー、良い匂い。ね、タク」

「えっ、 ああ……。美味そうな匂いだ」

「匂いだけじゃねーぞ。ばばーん! どうだ、見た目も良いだろ?」


 蓋を開けると湯気が湧き上がり、黄色い卵がご飯の上にふんわりと乗っている。彩りの刻みネギも鮮やかな緑で食欲を唆る。


「うわぁ……お店で食べるやつみたい」

「すごく綺麗だな、これを本当に秋が?」

「もちろん! 料理は味だけじゃなくて見た目もこだわってこそだからな。どうすれば良く見えるかとか、食べてくれる人のこと考えながら作るのが楽しいんだ。今日は巧人の笑ってる顔想像して作った。そしたらいつもより上手くできた気がする!」


 無愛想にしていても可愛い巧人が笑ってくれればどれだけ可愛いのだろうか。食材を刻む包丁のリズムを心臓の鼓動が次第に追い抜いていく様に気付き、秋は恋をしているのだと改めて実感する。その力は偉大で、どこにも売っていない誰も見たことのないスパイスを知らないうちに隠し味として鍋の中へ紛れ込ませた。


「つーか、やっぱ気になるから訊くけど、階段上った先って何あんの?」


 土鍋を運びながらちらりと見上げたさらに上の階が秋はどうしても気になってしまい、不躾ぶしつけと分かりながら巧人に尋ねた。


「ああ、両親の寝室らしい。入ったことはないがな」


 あっさりと返された答えに秋も隣で聞いていた誠弥も「あ~」と納得し、冷たい麦茶に口を付けた。


「そりゃ、ちっちゃい頃のタクには嘘でもついて入らせないようにするね」

「何の部屋かはともかく、家の中に行ったことない場所あるとか、いろいろ規格外すぎっ」


 秋は「オレの家なら三十秒あったら全部回れる」と自虐じぎゃく的に笑いながら、器とスプーンを並べた。


「あっ、そうだ。待ってる間、二人でどんな話してたん?」

「たわいないただの昔話だ」

「そーゆーの気になる! 聞かせて聞かせて」

「タクが小さい頃、風邪引いたときに俺の作ったおかゆが全然美味しくなかったって話とか。なんだかんだでどうして今まで〝兄弟〟続けられてるんだろうねって話とかだよ。その答えは結局分からずじまいだったんだけど。あ、そうだ。秋は弟や妹から『きょうだい辞めたい』って言われたらどうする?」


 巧人から受けた質問を誠弥は秋に投げた。兄歴で言えば恐らく先輩であろう秋にアドバイスをもらいたかったのだ。巧人はそれをどんな気持ちで聞いていればいいのか分からず、壁に貼られた世界地図を見て知らないふりをした。


「えー、きょうだいって辞められるもんじゃなくね? 血の繋がりは断ち切れねーし、そうじゃなかったら縁切るみたいなこと……? 巧人に言われたん?」

「うん。だから、捉え方としては縁を切るって方が近いかな」

「そんなこと言われたら悲しいし拒否するし、とにかくまず理由を聞く。でも、巧人がセンセーと〝兄弟〟辞めたがるなんて想像もできねー。すごい特別な繋がりって感じするし、オレだってセンセーみたいな兄ちゃん欲しいし!」

「だめ。俺はタクの兄ちゃんなんだから」


 意外な誠弥の答えに巧人は首をそちらへ戻す。誠弥のことだからあっさり「いいよ」と節操せっそうもなく言ってしまいそうなのに。


「ちぇ〜、分かってたけど。オレ、上に兄姉きょうだいいないからちょっと憧れてたんだよな。あれ? 巧人、顔紅いぞ。熱上がった?」

「いや、そんなことない……平気だ」

「そ? んじゃそろそろ食うか」


 秋は慣れた手つきで雑炊を茶碗に取り分け、軽く混ぜて空気を含ませたり息を吹きかけたりしながら冷まし、巧人の口元へ持っていってやった。


「あーんして」

「や、やめろ……自分で食べられる……」

「あ、そっか。ごめん、ついいつもの癖で……へへ。弟妹の看病するときは向こうから食べさせてって頼まれることが多くて、自然と身体が動いてた」

「へぇ、さすが本物のお兄ちゃん。タク、せっかくだから食べさせてもらったら?」

「は……?」


 笑顔の誠弥が悪魔に見えた。誠弥の前で他の人に甘えているところを見せる。逆の立場ならきっと耐えられない、それなのに誠弥は平気そうで巧人は心臓を握り潰されたような心地がした。


「うぅ、改めて意識したらなんか緊張してきた……。付き合ってねーし……じゃなくて、男同士でこういうことするのって、変じゃねーかな?」

「変じゃないよ。タクもそう思うよね?」

「…………。別に、それは変じゃないと思う……。だが、誰彼構わずやっていいものでもないと思うし……周りが勧めるのも違うと思う」

「うん、それもそうだ。ごめんね、秋もタクも乗り気じゃないならやめておこうか」


 つい八つ当たりしてしまったと巧人は後悔した。「ごめんね」の一言で、誰も何も悪くないのに誠弥をまるで悪者に仕立てあげてしまった空気になり、嫌な冷たさが部屋中に広がっていく。


「いや、オレ、巧人に食べさせてやりたい。だって、自分で作ったもん自分で食べさせてやってそれで笑ってもらえたら最高じゃん! あー、もちろん巧人がイヤじゃなかったらって話だけど……」

「……そういう、ことなら……」


 冷たい空気を振り払う秋の熱意に押され、巧人は口を開けスプーンを迎えた。


「ん……美味しい……」


 口に運ばれた瞬間に優しい出汁の味が舌を伝う。米も程良く柔らかく一粒一粒にしっかりと出汁が染みていて、絡まり合う卵と刻みネギが良いアクセントになっている。今まで食べたものの中でも一、二を争う美味しさに巧人は目を輝かせ口元を綻ばせた。


「ホントに? すっげぇ嬉しい!」

「こんな幸せそうなタクの顔、初めて見たな。八年一緒にいて見たことなかった表情を雑炊一口であっさり引き出せて、秋はすごいね。感心したけど、ちょっぴり悔しいな」

「悔しいってそんな、飯振舞っただけだし。てかそれなら、授業中とか教室で巧人がどんな感じなのか知らないだろうから、センセーに教えてあげるよ! 巧人のいろんな顔、知りたいっしょ?」


 秋は巧人が咀嚼そしゃくし終えたのを確認しもう一口雑炊を口に運んでやった。巧人は目を瞑りもぐもぐと丁寧に噛み締めている。


「巧人、教室では基本大人しいし誰とも喋んないんだけど、いざ話しかけられたら肩跳ねさせて驚くんだよ。それが一回や二回じゃなくて毎回でさ、その反応をオレが面白がってたら、最近はクラスの奴らからもちょっとずつイジられるようになったんだよ。あっ、もちろん良い意味でな。『意外と面白いじゃん』って感じで」

「……恥ずかしいこと話すな……」


 巧人は口に入った米粒を一粒残さず噛み砕く勢いでよく咀嚼し飲み込んでから、口元を押さえながら小さな声でそう言った。


「いいだろ、今はそーゆーこと話す時間だ」


 秋は口封じとも言いたげに、また雑炊をスプーン一杯巧人に食べさせる。不服そうにしながらも、素直に口を開き出汁の旨味に何度も感動している。


「オレの力……かどうかは分かんねーけど、そんな感じで前みたいに巧人から距離置く奴は結構減った。巧人、気付いてた?」


 巧人は声を出さずに首だけ横に振って否定した。


「だろうな。みーんな、巧人はオレと喋ってるときだけ顔付きが違うって口揃えて言ってくるし。まあ、オレ的には嬉しいことなんだけど……。せっかく打ち解けやすい空気になったんだから、ちょっとずつでも歩み寄ってみろよ。昨日のテレビも流行りのアーティストもなんも分かんなくて大丈夫だからさ!」

「じゃあ、何を話せばいいんだ……」

「そう言われるとぱっとは思い付かねーけど、思い付いたことなんでも言えばいいって! オレはだいたいいつもそう。話すこととかいちいち考えてねーよ、そんなに頭の容量ねーからさ」

「無責任というか能天気というか……」


 巧人は呆れながら、もはや条件反射で口を開き雑炊を食べる。茶碗によそわれてから時間が経っていてすっかり冷たくなっていたが、なお味の質は全く落ちていない。


「そーゆーことだから、はいこれ来週末の勉強合宿の班。昨日、巧人が早退してから学活の時間で決めたんだ」


 どういうことなんだ。心では思いながらも口にはせず、巧人は秋が取り出した紙を見る。部屋割りは二人ずつらしく秋とペアだった。ほっと胸を撫で下ろし、続いて行動班を確認する。巧人と秋の他は……梅田、桐原、笹森ささもり――見覚えがある、同じ中学出身のお調子者たちだ。クラスでも秋と特に仲が良いことは知っていたが、苦手だ。さらに余白に『(+六組の茜川)』とメモ書きがある。


「この面子めんつに茜川……簡単に分かったとは言えないな」

「まーまー、そう言うなって。梅田はともかく、桐原と笹森とは喋ったことすらねーんだろ? アイツら良い奴だからさ、食わず嫌いしてやんなよ。ちなみに、梅田に関しては巧人に嫌われてると勘違いしてるみたいだけど」


 梅田うめだ貴大たかひろ、巧人が中学三年生の二学期に初めて会話をした同級生。声をかけられた瞬間こそは、こんな自分にも接してくれる良い人などと思ったが、低く大人びていて威圧的な声色と席に座る巧人とその真横に立つ梅田という構図が彼をだと認識させた。巧人も巧人で生来の不器用さで返答が素っ気なくなってしまい、悪い印象しか与えなかった。

そして、お互いに同じ失敗を仲良く同じ高校の同じクラスになってからもやらかしてしまっている。


「……実際に嫌い寄りだ、間違いなく苦手ではある。向こうも俺と同じ班なんていやだろ」

「それは本人に訊いてみねーと分かんねっ。つーことだから、ちゃ~んと仲良くしろよ〜?」

「はぁ……。勉強するだけならどうにかなるか。ところで、茜川がいるのは何故だ」

「あー、それは俺のリクエスト。いざとなったらタクたちの班に交ぜてもらってもいいようにってかけ合ったんだ」


 誠弥が話に入ってくる。彼の人徳があってか、特例で認められたらしい。


「そういうことか。それもよくあいつら了承したな」

「いや、男だらけのむさ苦しい班に美少女が入ること反対する奴なんかいねーっしょ」


 楓はどんな気持ちなんだろう。第三者ながら巧人は勝手に同情していた。


「つーか、いつの間にか脱線してた……。センセーごめんね、もっと巧人の意外な一面教えるから」

「いや、十分伝わってるよ。こんなにころころ表情変えるタクはなかなか見れない。良いこと教えてもらったよ」

「そうだ、これはセンセー絶対知らないだろ〜? 巧人、最近になって体育の授業室内のときだけだけど準備体操は参加するようになったんだぜ。体力付けたいんだって」

「え、そうなの? それくらい教えてくれても良かったのに……」


 誠弥は眉をひそめ巧人を見た。些細なこと程知らないともやもやして、どうしてかいら立ちまで感じてしまう。


「別に、話す程のことでもないだろ。過度に心配させて止められるのもいやだからな」

「あんまり無茶してたら止めるけど、そのくらいならなんの問題もないから止めないよ。というか、体調に関わることこそ内緒にされるとかなり傷付くなぁ……」


 「俺ってもしかして、信用されてない?」と誠弥は続ける。いつもよりネガティブな発言が多く、表情を曇らせている。「そんなわけないだろ」と言って巧人は不安げに誠弥を見るが、目は合わない。

 一方の秋は太陽よりも眩しい笑顔で、コントラストが巧人の胸に妙なざわつきを与えた。

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