#24 もつれてつれて

「あー! やっぱりそーゆーことか!」


 半開きになっていた引き戸から部屋の様子が見えた秋は、楓が巧人を抱き締めている現場を目撃し、跳ね返る勢いで引き戸を全開にした。そして、思い切り腕を伸ばし二人を指さして大声を張り上げた。


「びっくりした、秋は朝から元気だね」

「センセーおはよっ! って、つーことは、この関係はセンセーも公認⁉」

「関係? 公認?」


 保健室に入ってくるやいなや誠弥に駆け寄ったかと思えば、首を巧人や楓の方にもあっちこっちに移動させせわしない。


「秋、一体何の話をしてるんだ」

「えっ? だから、巧人の好きな人って、杜松センセーと噂になってる保健室登校の美少女なんだよなって話!」


 興奮気味に秋がそう言うと、巧人と誠弥と楓は三人揃って唖然とし言葉を失う。目を見合わせようとする前に楓が口を開いた。


「美少女って、もしや僕のことー?」

「他に誰がいるんだよ、そりゃ巧人もめちゃくちゃ可愛いけどさぁ」

「……噂ってなんだ、兄さん」

「タク、また怖い顔になってる! 俺も分かんないって! 秋、どういうことなの?」




 * * *


 一旦落ち着こうと、巧人と秋はソファ、誠弥は自分の椅子、楓はベッドにそれぞれ座ることになった。巧人と秋は首だけ誠弥の方を向けて話を始めた。


「えーっと、まず何から言えばいいんだ? とりあえず、割とふわっとした感じで杜松センセーが保健室登校の美少女と付き合ってるって噂があって……」

「ほー、僕とせーやが。ホントにそんな噂あったんだー」

「茜川はにたにた笑わない。それはとんでもないな、誰なんだそんな根も葉もない噂広めたのは」

「三年の奴らじゃない? せーや、新任で当初から女子にすごい人気だったしー。でも、養護教諭って多分普通にしてたらそんなに関わる機会ないから誰も近付けなくて、その隙に……じゃないけど僕が保健室登校するよーになってせーやと仲良くしてたのが気に入らなかったんだろーなー。抜け駆けだとか都合の良いのか悪いのかよく分かんない解釈で勝手にそー思い込んで、僕を追い詰めよーとして、さらに逆恨み的にせーやの地位も落とそーとした……みたいなー?」


 楓は「あくまで憶測だけどー」と言うが、妙に信憑性が高そうだ。クラスに馴染むことはできなかったもののクラスメイトたちの人となりはよく見ていたようで、観察眼は相当なものらしい。


「あー、槙野の友達クン。僕は君らより二つ歳上だよー、今の三年は元同級生」


 分かりやすくきょとんとしていた秋に気付いた楓はすかさずほんの二十分程前に巧人にしたものと同じ説明をしてやる。


「じゃあ、先輩⁉ ネクタイ青だから同級生だと思ってた……っす」

「今は三回目の一年生だから同級生で間違ってないよー。だからタメ口でオッケー」

「えっ、なんかフクザツ……。せめてセンパイって呼ばせて。なんつーか、人生のって意味で」

「ん、いーよー。一応、名前は茜川楓ねー。クラスは六組」

「じゃあ茜センパイ! オレは巧人と同じ三組の柞木秋! 呼び方は苗字でも名前でもあだ名でもなんでもいいから、よろしくな!」

「よろしくー」


 気まずそうにしていたのが嘘だったように秋はものの数十秒で態度を変え打ち解けた。楓は秋から出ている隠しきれない陽のオーラを煙たがりながらも、生来の下手くそな笑顔で受け入れた。


「で、話戻そーかー。仮にそんな下らない動機で生まれた噂だとしても、下級生にまで広まるもんなんだねー。しかも、僕が美少女だなんて脚色きゃくしょくまでついてー。実際にせーやの地位がどーのこーのってことにはなってないみたいだし、僕の見立てが正しかったとして全然悪意なくなっちゃってるけど」

「茜川はその噂、知ってたの?」

「いーや、柞木に聞いて初めて知った。知ってたらとっくにせーやに教えてるってー、つまんない奴らにしちゃ面白いこと考えんじゃんって」

「何も面白くないでしょ」

「いやいやー。どーよ、僕と付き合うの。面白そーじゃない? 前向きにご検討どーぞ」


 楓は両腕を広げて迎えるように誠弥の方を向く。しかし、誠弥は「何言ってんの」と取り合おうとせず手で払った。


「冗談もほどほどにしなさい。俺は教師で茜川は生徒なんだから、そんなことありえないよ」

「うーむ、そー言われたらもっと真面目に学校来て進級したら良かったかなーと思っちゃうなー。卒業しちゃえば教師と生徒って関係も解消されるしー。……なーんてね、僕はそもそもせーやにそんな感情一切抱いてないからご安心をー」


 調子の良い冗談で翻弄ほんろうしようとする楓と、それを片手であしらう誠弥。二人のやり取りを見て聞いていると、巧人はどんどん胸が締めつけられていく。軽口を叩き合って笑い合っていて、気心の知れた関係なのだといやなくらい伝わってくる。それでも二人はなんら特別な関係もない、教師と生徒だ。

 その型には巧人もはまってしまう。教師と生徒という関係では一般的には付き合うことはできない。物理的にも理論的にもできることにはできるが、倫理的にできない。つまりはではなく。それは巧人の想いが少なくともあと三年は成就じょうじゅしないことを意味していた。


(……なんで、教師になんかなったんだ)


 また誠弥を否定する言葉が巧人の頭に浮かんでくる。誠弥を手に入れたいが為だけのわがまま、あまりに自分勝手でいやになる。


「で、僕とせーやの噂のことはひとまず分かったとしてー。柞木が言ってた、槙野の好きな人が僕ってのはどーいうことー?」

「そうだ秋、そんな噂まであるのか?」

「いや、それは噂じゃねーよ。実は昨日、教室でこれ拾ってさ……」


 そう切り出し、秋はリュックサックからくしゃくしゃになった来室カードを出し三人に見せた。


「それって、ここの来室カード? 僕は常連すぎて書くまでもないって感じらしいけどー」

「あ、タクの名前書いてる。でも、タクにもこれ書いてって言ったことなかったよね? それに、なんでそれが教室に?」

「!」


 昨日ふざけて書いたやつだ。そうだと気付くと巧人はすぐに秋から来室カードを取り上げ背中とソファの間に挟み隠した。


「おい巧人何すんだよ」

「う、うるさい……」

「タク、どうしたの?」


 誠弥に顔色を伺われ、頬の温度を自分で確かめる。少し熱い、まずい。こんな顔を見られてはいけないと、巧人は誠弥から顔を逸らした。しかし、それ以上誠弥は何も言ってこない。


(兄さん、見てない……? セーフか?)


「照れ隠しかー? 本人前にしたら無理もねーか。いやぁ、こんな美少女がライバルって手強てごわすぎ」

「いや、だから、別に……」

「そーだよ柞木、その来室カードと僕と槙野の関係の話はどー繋がるのー?」


 空気を読まずかわざと外してか、楓は来室カードの内容について触れようとしてくる。巧人が楓の方を見ると、慧眼けいがんと目が合った。


(……! まさか……)


「なんか症状の欄に恋……ぅわっ」


 秋が言いかけたところを、巧人は必死に両手で口を塞ぐ。呼気の熱で手のひらが温められ湿る。


「んー! んんー!!」


 巧人は出せる力の全てを両手に込めているが、細い腕では秋には勝てずあっさり剥がされてしまった。


「っ……はぁ、いきなりどうしたんだよ」

「……いいから、その話はもう終わりにしてくれ。違うから……俺の好きな人、茜川じゃないから……」

「えー、なんか告ってもないのに勝手にフラれた気分ー。でも、槙野がそー言ってんだからそーなんだよ。それ以上は詮索せんさくしてあげない方がいいってー」


 楓は目に見えた自作自演を繰り広げ、まるで場を納めた救世主ぶった。秋が「それもそうだな」と言って話は終わりを迎えそうなので、巧人は一安心するものの楓の考えは分からず友達になったばかりだが既にじわりと不信感を滲ませる。


「なーんだオレの勘違いかぁ。じゃあなんで、あんなこと書いて……」

「もういいだろ。これは、その……練習だ。その場に手頃な紙がこれしかなくて、ただの勢いで……。ほ、ほら、もう朝学活始まるから教室行くぞ」


 巧人は立ち上がり秋の腕を引き誠弥に挨拶もせず足早に保健室を後にした。


「行っちゃった。でも、タク本当にどうしちゃったんだろ? あんなに慌てて」

「恥ずかしいこと書いちゃったんだよ、公開処刑なんてされたくないでしょ」

「タクが茜川を……分からなくはないけどな、なんて。結局は違うみたいだけど、タクが選んだ人なんだから分かるも分からないもないよね」

「……せーやって、優しいんだかひどい奴なんだかよく分かんないねー」


 楓はため息をつきながらまたベッドに横になる。丸まった背中、細く流れるツインテールの毛先は休ませた天使の翼のようだ。教室へ向かうつもりはないらしい。

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