#16 勘違い

 授業が終わり放課後。秋は夕飯の買い出しに行かなければならないと言って先に学校を後にした。巧人は誠弥の仕事が終わるのを本を読みながら校門前で待っていた。


「おまたせ」


 肩をとんと叩かれ振り返ると私服姿の誠弥がいた。薄手のパーカーにジーンズ、リュックを背負っていて教師であることをつい忘れさせる。巧人により距離を近く感じさせ〝兄〟だと強く思わせた。


「早かったな」

「タクたちが授業受けてる間に今日の仕事は全部終わってたし、ちょっと部屋を片付けるだけだったからね。それ、何読んでたの?」

「ああ、魔法勇者シリーズの最新刊だ」


 本を鞄にしまい、歩き出す。下校時間ということもあり校門から続く坂道には巧人と同じ制服姿が目立った。


「タク昔からそういうファンタジー好きだよね、小さい頃もヒーローとか好きだったし。お父さんがあんな感じだからどんな難しい本読んでるんだろうって思ったら、年相応というか俺でも親しみやすいジャンルで親近感湧いてなんだか嬉しくなったんだよなぁ」

「フィクションにわざわざリアリティを求める必要もないだろ。それに、物語は現実から乖離かいりしている方が引き込まれる。たしかに父さんはあまり関心を持ってくれなかったが、俺はそういう方が好きだ」

「分かる分かる、普通の恋愛より禁断の恋とかの方が面白い」

「禁断、か。そうだな、禁断と言っておいて物語ならなんだかんだ成就じょうじゅすることの方が多い気がする。現実ではそう上手くはいかないんだろうがな」


 たとえば、教師と生徒であったり兄弟姉妹同士であったり。あるいは同性同士の恋もそうだ。どれだけ高い障壁があっても、フィクションであれば大抵最後には乗り越えられる。だが、現実はどうだろうか。巧人は僅か二、三十センチ隣を歩く誠弥の方を見た。だ、とは呼ぶことすらとてもできない。


「だよね〜。人生は甘くない、だから楽しいのかもしれないけどね。何もかも全部上手くいってたら楽しくないよ」

「兄さんは何でもできて上手くやってるように見える。それでいて楽しそうだ」

「それは全然上手くなんてやれてないからだよ。俺の人生失敗だらけ」


 一歩前に出た誠弥は振り向き、夕陽を背に寂しげに微笑んだ。そのまま駅の改札を抜けホームへと向かう背中を巧人はぼーっと見つめてしまっていた。




* * *


「あぶねーあぶねー、課題のプリント忘れるとかバカかよ」


 秋は帰宅する最中に忘れ物をしたことに気付き慌てて学校に戻っていた。教室に来たが既に施錠せじょうされているらしく引き戸は開かない。


「……しゃーねー、職員室行って鍵借りてくるか」


 周りに誰もいないのをいいことに秋は廊下を走った。職員室の近くまで来ると警戒してか必要以上に忍び足になる。


「失礼しまーす……」


 忍び込むようにそっと引き戸を開け小さな声でそう言うときょろきょろと室内を見回した。


「あれ、柞木? まだ残ってたの?」


 秋に気付いたのは担任の有沢瑞樹だった。席を立ち声をかける。


「あ、瑞樹ちゃん。実は教室に忘れ物しちゃってさ、鍵貸してくんない?」

「いいけど、その瑞樹ちゃんって呼び方どうにかならない?」

「えー、いいじゃん別に。教室とか廊下だったらなんも言わねーのに」

「それも認めてるわけじゃないの。せめて職員室でくらい有沢先生って呼んでほしいな」


 腰に手を当て口角を下げる担任はどうやら生徒に見くびられたくないようで、たったそれだけに一生懸命だ。それが却って秋に健気だなと思わせた。


「ははっ。可愛いな、有沢センセっ」

「からかわないで」


 不機嫌そうな顔をしながらも担任は鍵の保管スペースから一年三組の鍵を取りに向かった。


「はい、どうぞ」

「さんきゅ、んじゃ」


 鍵を受け取り教室へ向かおうと引き戸に手をかけた秋を担任は引き留めた。


「あ、待って。柞木、今日の体育の授業出てなかったって聞いたけど何かあった?」

「あー、えっと巧人捜してて……」

「槙野を? そういえば槙野もいなかったって聞いたわね。そっかそっか、柞木は槙野と仲良いんだね」

「そりゃ、オレら友達だし?」


 サボったことを怒られるものだと秋は思っていたが、何か納得した様子で笑っている担任を見て肩から力を抜き胸を張ってそう返事した。


「安心したよ、保健室の杜松先生から槙野は友達作るの苦手だろうから気にかけてやってって入学式のときに言われてね。それで何回か声かけたりしてみたんだけど、多分私槙野に嫌われてて……。孤立させちゃったら杜松先生にも悪いし、何より教師としてそんなことあっちゃいけないと思って必死だったから」

「へぇ、そうだったんだ。言った通りオレが巧人の友達なんだからなんも心配することねーよ。それと、巧人に嫌われてるっての勘違いだと思う」

「だと良いんだけど。今朝も話してる途中で逃げるみたいにどこか行っちゃうし……やっぱりちょっとしつこかったのかな? ……って、生徒にこんな相談するべきじゃなかったね。ごめん」


 担任はポニーテールの毛先を弄りながら苦笑する。弱気になっているところを生徒に見せてしまったと後悔を表情に滲ませた。


「いや、オレはいいよ? うーんでも、話してる途中で逃げ出した……たしかに巧人って無愛想な感じだけどなんかしっくりこねーな。ちなみに、どんな話してたん?」

「槙野が教室の前まで来てたのに引き返そうとしてたから『杜松先生のところ行くの?』って言ったの。そしたら突然怖い顔して何故か私と杜松先生の関係訊かれたんだ。よく分からなかったけど同僚だって答えたら、さっき言った通りどこか行っちゃって」

「あー……。瑞樹ちゃんと杜松センセー、付き合ってんじゃねーのかって噂あってそれでかも。巧人、杜松センセーのこと大好きだから。それでそれで、実際どーなん?」


 ミーハー心が前に出て秋は目を輝かせながら問いかけた。二人が頻繁に一緒にいるところを目撃したりお互いの口からお互いの名前がよく出てくることに気付いていたのは巧人だけではなかったのだ。知らないところで自分たちの噂が広まっていることに担任は驚きを隠せない。


「付き合ってなんかないよ、ただの同僚だって! 槙野にもそう言ったんだけどな……」

「信じてないんだろうなー。杜松センセーにも先に訊いてそうだけど、はぐらかされたとかでちゃんと否定されなかったんかな。杜松センセーに関しては生徒との噂まで聞いたことあるし」

「あはは……。杜松先生、優しいしイケメンだし女子から人気だもんね。同期だけど歳上だからよく頼らせてもらってたんだけど、あんまり親しくしてちゃ槙野だけじゃなくて女子からも嫌われるかもしれないわね。気を付けるよ」

「センセーも男子から人気なんだし、そーゆー話には注意払っとかないと! オレたちの瑞樹ちゃんが人妻に……なんてなったらみんな大騒ぎだよ」

「はいはい、下らないこと言ってないで早く忘れ物取ってきなさい。ちゃんと鍵も返しに来るのよ」

「はーい」


 退屈そうに鍵を人差し指にかけくるくる回しながら秋は職員室を後にした。


「んー、あの噂はどうやらガセっぽいな。となると、杜松センセーは保健室登校の美少女の方が有力なんかなー。そんな子、見たことねーけど」


 秋はクラスメイトから聞いた誠弥の噂をぶつぶつ呟きながら廊下を歩く。窓の外で運動部員が走ったりトレーニングをしたり練習に取り組んでいるのが見えた。


「陸上は無理でもなんか他の部活入れば良かったかな……」


 静かな廊下と差し込む夕陽が切なく秋の心を締め付ける。ゆっくり時間が流れる空っぽの放課後にはまだ慣れない。


「つーか、なんにせよ瑞樹ちゃんはフリーっぽいのか。アイツに教えてやろ」


 しんみりとしていた気分を切り替えスマホを取り出し桐原に『瑞樹ちゃん、杜松センセーとなんもないっぽい! 狙い目だぞ笑』とメッセージを送った。


「これでよしっ。そういや巧人は杜松センセーと噂になってる美少女のこと知ってんのかな。いやでもこっちはなんか瑞樹ちゃんとの噂に比べてふわっとしてたしなー」


 教室の鍵を開け自分の机まで向かいながらまた独り言を続ける。「生徒となんかないよな、そんな漫画みたいな話」と何故か噂を否定しようと自分に言い聞かせていた。


「えー、プリントプリント……あった。英文法は課題出さねーと絶対怒られる、後で巧人に電話でもして教えてもらお」


 プリントを鞄にしまうと時計を確認する。間もなくタイムセールが始まってしまうと急いで教室を出ようとしたそのとき、床に視線が行った。


「……ん? なんか落ちてる」


 放課後に当番が掃除をしたはずであったが、床に何か落ちている。気付いた秋は近付き拾い上げた。


「何の紙だ?」


 くしゃくしゃに丸められた紙を広げた。端が手でちぎったように毛羽立っていて上部に『来室カード』と書かれてある。


「保健室のやつかな、なんでこんなとこに……ん? 巧人の名前書いてる。それにこの綺麗な字、やっぱ巧人のだ。保健室行ってたときのん間違って持ってきたんかな。って、なんだ、これ……」


 症状の欄に『恋の病』、備考欄に『あなたのことが好きです』と少し震えた字で書かれてあった。その筆跡も間違いなく巧人のものでこれが何を意味しているのか、秋はしばらくじっと考える。そしてある一つの答えに辿り着く。


「巧人の好きな人って、もしかして……」

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