#11 すれ違い

 秋と顔を合わせたらどう反応すればいいのか、今度はその悩みに巧人の脳の容量は支配された。気まずいことは間違いない、「おはよう」なんて自然に言えるはずもない。結局は秋任せになってしまう不安と申し訳なさを抱えたまま、長い廊下を歩いていく。

 『1―3』のプレートが見えるあたりまで来たとき、後ろ側の入口からちらちらと不審な動きをして教室の様子を確認する生徒が見えた。秋だった。何度か中を見てほっと胸を撫で下ろすといつもの調子で「おっはよー!」と廊下まで響く声で挨拶し教室に入っていった。

 なんだったのかと巧人も続いて同じように一度教室を覗いてみるが、普段と変わらない情景と中心グループの男子に混ざって楽しそうに笑っている秋の姿がそこにあるだけだった。特別変わったこともないのならと同じようにいつも通り教室へ入り自分の席についた。普段ならここで秋が寄ってきて「おはよっ」と挨拶してくるところだが、今日は来ない。ちらりと談笑している秋の方を見ると目が合った。


「っ!」


 明らかにどきりと反応し秋は目を逸らした。巧人の心にぴきっとヒビが入り、胸を押さえた。


(え……?)


 何が起こったのか分からなかった。笑っていた秋の顔から途端に笑顔が消え、巧人を置いて遠くへ行ってしまったみたいだった。

 秋と周りの友人たちとの会話だけがストレートに耳に届いてくる。こんなときに限って、他の雑談の声や窓の外の鳥のさえずりや車の音さえ何も聞こえてこない。


「ん? どーしたんだよ秋、怖い顔してんぞ」

「え……いやなんでもねーよっ」

「そうか? そういや今日はアイツんとこ行かねぇんだな」

「アイツって?」

「ドラキュラだよ。秋たち最近なんか仲良かったじゃん」

「あー……いやなんか今日はお前らと一緒にいたい気分、みたいな?」

「なんだそれ。まあなんでもいいけど、そういうのは女子がいるときに言え」

「へへっ、そーだな」

「正直、秋がアイツと仲良くしてたの怖かったしなんか気持ち悪かったんだよな」

「えっ」

「分かるわ〜、全然タイプ違うし噛み合うわけないのにさ。なんていうの、ドラキュラの魔力? 誘惑? みたいなヤツで操られてんじゃないって思ってたんだよ」

「ユーワク……それあるかも、なんてな」


 秋は楽しそうだった。盛り上がっていて笑い合っている。友人たちの心無い言葉を否定してくれない、それどころか同調してやはり笑っていて……。


(やっぱり、俺に友達なんて……)


 見ていられない聞いていられない。巧人は目を瞑り耳も塞いだ。


(じゃあ昨日のあれは、なんだったんだ……?)


 やはり噂通りの冷たいドラキュラなのか試していただけで、検証が終われば関係は断ち切る。告白は距離を置きやすくする為のせめてもの優しさの嘘だったのか。本気にしていたのは巧人の方だけだったのではと考え込んでしまう。

 たしかにあのとき秋の身体は熱くなっていて鼓動も早かったが、そんなものはただの錯覚さっかくだったのではないのか。抱き締められた感触がまだ残っていてむずがゆくて苦しくて堪らない。

 巧人の心に入ったヒビがだんだん深くなり広がっていく。ぱらぱらと崩れ落ちてどこかへ消えてなくなってしまいそうで、漠然ばくぜんと不安や恐怖が襲いかかる。暗闇に孤独だけが響き破片を拾い集める余裕もなく、ただただ項垂うなだれた。




 * * *


(あー……巧人、絶対怒ってるよなぁぁぁ。告っといて次の日にこんな態度とってどーすんだよ……)


 一時間目の授業が終わり、秋は頭を抱えていた。話すことに悩んだのは巧人を女子だと思い込んでいたとき以来だ。告白したことでその思いがまた強くなっているのか、気まずさが巧人との間にあるはずのない壁を作っていた。


 昨日、ファミレスの帰り。解散した瞬間に秋は我に返り冷静になった。


(は? オレ、勢いで何言った? 好きとか……巧人は男だし友達なのに。絶対困らせたよな……うわぁぁ明日からどーしよ……)


「あぁぁぁぁぁぁ……」

「秋、大丈夫か?」


 突然秋は断末魔だんまつまのようなうめき声をあげる。前の席に座る梅田は明らかにおかしい様子になさけをかけるように肩を叩いた。


「大丈夫じゃねーよ……」

「え……」

「あっ、いや、授業全然聞いてなかったからやべーなって思って……あはは……」

「うんそうだろうな、ノートなんも書いてねぇし。何そんな焦ってんだよ、焦るくらいなら最初から授業ちゃんと聞いとけって」

「えっ。なんだよおどかすなよ……」

「いやおどかしてねぇよ」


 気が付くと終わっていた授業と真っ白なノートを目の当たりにし、秋の頬を冷や汗が流れた。


「ヤバい、今日マジでいつの間に授業終わった? って感じだった……。フツーにこれはヤバい、巧人にノー……あれ?」


 焦燥しょうそうまさったのか秋は気まずさなど忘れて巧人にノートを貸してもらおうと立ち上がると、いつも左斜め前に見えていた小さな背中がない。代わりに生物の教科書とノートが机に開きっぱなしになっているのが見えた。


「巧人いない」

「ホントだ、また保健室じゃねーの?」

「かな。でも机の上も片付けてねーって珍しいな、しまっといてやるか」

「放っとけばいいのに、秋もお人好しだよな」


 巧人の机の方へ向かう秋に梅田はため息交じりに話し次の授業の準備を始める。


「え、勝手に触ったらイヤかな」

「知らねぇよ。俺らならイヤかもしんねぇけど秋なら平気なんじゃね」

「そーだったらいいけど。って、あれ? ノート、今日の分なんも書いてねー」


 左上に今日の日付が書いてあるページにはそれ以降シャーペンの跡が全くなかった。ぺらぺらとページを捲るが、前のページには別の日付が書いてあり後ろのページには白紙が続いている。


「ノートなんて取らなくても分かるってことじゃねぇの? はーイヤミな奴だよな」

「そーなんかなぁ……」


 秋は日頃の巧人を見てきたからかはたまたただの直感か、そういうわけではないだろうと推察する。巧人は中学時代からの癖で授業より前に予習をしているので、授業中にとるノートはあくまで確認用でそれをいつも秋に見せていた。そのノートが真っ白、あまり良い気はしなかった。


(……やっぱ嫌われたかな)


 保健室に行ってみようか、そう思っていた気持ちは白紙に戻っていった。

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