#8 一線
不慣れそうに笑った巧人の顔が秋の心にぐさりと命中する。目を大きく開いたままずっと見ていたいと思ってしまい思考が止まる。
「秋? どうかしたか、俺の顔どこか変か?」
「えっ? そんなことねーよ、可愛いよ」
「…………」
率直な言葉が咄嗟に出てきてしまい「あっ」と秋は手で口を押さえ固まる。巧人はまた不服そうな顔をするがそれも可愛らしいと思ってしまう。巧人=可愛いに繋がる
「いや、そうじゃなくて……あっ、腹減らね? ファミレス来てんだしなんか食おーよっ」
「夕飯には少し早い気もするが……。そうだな、せっかくだからここの秋のオススメ食べてみたい」
巧人はスマホで時間を確認する、十七時過ぎ。夕食には早い時間ではあるが空腹を感じ始める頃で、メニュー表を手に取ると秋に渡し決定を
「オススメかぁ〜迷うなぁ……。肉だったらなんでもオススメだけどやっぱハンバーグかな」
秋が指をさしたのは、メニュー表を開いた一ページ目の見開きに迫力のある写真が掲載されている看板メニューだ。
「やっぱり秋は肉が好きなんだな」
「好きっつーか、ここ来たらとりあえずハンバーグ食うのが鉄板なんだよ」
「これだけ大々的に書かれてあって秋もそう言うならこれにしてみる。ほう、グラム数も選べるんだな。だいたいどのくらいが標準なんだ?」
「多分、二百グラムくらいだな。オレはがっつり五百くらい食おっかな~」
メニュー表の見本も二百グラムらしく巧人はそれに決める。秋はその二倍以上の量を食べようとしていて、一体どんなにボリューミーなハンバーグが現れるのか興味が湧いてきた。
「そういや、巧人ってあんま料理しないらしいな。両親忙しいみたいなのに普段どうしてんの?」
「家事は母さんが仕事の合間を縫ってやってくれていることが多い。だが、あまりに忙しいと昔は代行を依頼していた。小学生の俺が一人でできることなんてほとんどなかったからな」
「えっ、それってあのお手伝いさんってヤツ⁉」
「それに近いと思う」
漫画かドラマの中でしか聞いたことのない存在をあっさりと肯定され、秋は開いた口が塞がらないでいる。隣のクラスにいる程度の調子で話す巧人との間にたしかな温度差を感じた。
「マジで……? 巧人ん家ってもしかして金持ち? 両親何の仕事してんの?」
「父さんは盟大病院の院長で母さんはそこの薬剤部長だ」
「……マジもんの金持ちのヤツじゃん。そりゃファミレスなんか来ねーわ……」
「秋の両親はどんな仕事してるんだ?」
「あ、まだ自己紹介の続き? 父ちゃんはサラリーマンで母ちゃんは小学校の先生、どこにでもいる一般家庭だよ」
「そこに弟妹がいるのか、
「まあ騒がしいのは間違いない」
メニュー表を見てソースや付け合わせまで選べるシステムに驚き
「家族でわいわいできるのは羨ましいな。俺は家で一人のことが多いから」
「うるさいのも考えもんだけど、一人は寂しいな。子供の頃からそうだったのか?」
「小さい頃はまだ二人とも今の役職にはついてなかったからそう多くはなかったが、そういう日もあった。だが、そういうときはだいたい兄さんが学校終わりに家まで来てくれてたんだ」
『兄さん』という言葉が出た途端に巧人の声色が明るくなるのが秋には微笑ましく思えた。頬杖をつきながら話している様子を眺め、どんどん弾んでいく声に耳を傾ける。
「父さんに頼まれてただけなのかもしれないが、兄さんが来てくれたときは嬉しかったな……。体調が悪くて家にいたはずなのに、走って玄関まで迎えに出たことをよく覚えてる」
身体のことなど忘れて息を切らせ顔を合わせると、誠弥が心配しながらも慌てず大丈夫か声をかけながら背中を摩ってくれた感触を身体に再現させる。優しい温もりが伝っていき全身に広がっていくのを思い出した。
「思ったけど、教え子に息子の相手させるって結構すげーことじゃね?」
「俺が兄さんによく懐いていたからだろうな。学校にもほとんど行けてなかったし人見知りも激しかったから、俺が心を開いただけで信用に値したんだと思う」
「センセー人の心掴むの上手いもんなぁ、あーゆーの憧れる」
保健室に集まり昼食を取っていた際に秋はそこに訪れる生徒たちを見てきた。誠弥が手当てをしたり話を聞いてやると、大抵暗い顔をしていた生徒たちはみんな帰る頃にはすっきりとしていて「ありがとう」と言って去っていくので、その度感激していたのだ。
「……秋は昔の兄さんによく似てると思う。いつも笑ってて知らないことをたくさん教えてくれて、俺と仲良くしてくれる」
「じゃあ、杜松センセーとオレ……どっちの方が好き?」
「え……」
また直感的に飛び出した言葉に、巧人も言った張本人の秋も戸惑う。微妙な空気が流れ居た堪れなさをお互いに感じていると、ちょうどそこに注文していたハンバーグが配膳された。ガーリックソース。気を逸らすように秋は「んーっ、良い匂い! 美味そ〜」と店内中に響き渡るくらい大きな声を出す。
「すごい、ジュージューいってる……」
「さっきのパチパチもそうだけど、そーゆーのなんて言うんだっけ? オノマトペ? めっちゃ可愛い、ヤバい」
「他にどう表現すればいい。『鉄板で肉の焼ける音がする』なんて言ったら味気もないし機械的だろ」
「そのままでいいって。巧人もちゃんと人間なんだなーって感じするし、ドラキュラなんて全然じゃん!」
「その呼び名、やっぱり知ってたのか」
つまりはそれに
「まあ、クラスの奴らが言ってたし。でもそれって悪口だろ? だから、あんま呼びたくねーなって思ってたんだけど」
「……そう呼ばれるのは好きじゃない。俺だけ周りとは違う存在なんだと線を引かれてるみたいだから」
大勢の人間の中に一人紛れたドラキュラ。圧倒的な力を持っていて、ただの人間では横に並び立つことすら許されない。ミステリアスな雰囲気を放ち、人々を寄せ付けない。だが、孤独だけを愛するなんていうのはその実、人間の勝手な妄想なのではないか。凍った視線は何故か決まっていつも愛を映す。その浮いた存在には弱点も多いことを知る者は少ない。
「巧人は人間だよ。線引いて区別なんかする奴がいたら、ソイツが巧人のことなんも知らねーだけだ」
「秋……」
「って、オレもさっき知ったようなことばっかだし偉そうなこと言えねーけど」
「そんなことない。秋は俺が倒れそうになったとき助けてくれた。今まで同じようなことがあっても他の奴らは離れたところから好奇の目を向けてくるだけだったんだ。多分、そういう奴らの目には本当に俺との間に越えてはいけないような一線が見えてるんだ。秋にはそれ、ないのか?」
秋から見て向かいに座る巧人は、立ち上がって少し手を伸ばせば届く距離にいてそれを
「ねーな」
眼鏡のレンズ越しの大きな目が斜め上へと向き秋と視線を合わす。秋としてはただ当たり前のことを言っただけなのに、巧人はその言葉をずっと待っていたかのように張り詰めていた表情を解した。
「……秋はやっぱり凄い奴だ」
「なんだよ、照れるだろ」
「事実を言っただけだ」
「そんなん、オレだって事実言っただけだよ。巧人の周りに線なんて引かれてないし壁もない。それでも一つだけ近付けない理由があるとするなら……可愛いってことくらい?」
「なんでそうなる。俺は男だ、可愛くなんて……」
何度も言われているうちに巧人の中で『可愛い』を喜んでいいのかそうでないのかが分からなくなってくる。反応に困り気を紛らわそうと鉄板が少し静かになったハンバーグにソースをかけた。ジューッと勢いの良い音とともにニンニクの匂いを纏った蒸気が上がり「うわっ」と声が漏れ椅子からずり落ちそうになった。
「びっくりし過ぎっ。普段は冷静でしっかりしてるのにそういうちょっと抜けてるとも可愛いんだよ、顔だけの話じゃないからな?」
「だいぶ大人しくなってきたからもう大丈夫だと思うだろ……。あと、男に可愛いってどうなんだ」
「えーだって可愛いからしょうがないじゃん。……と、いうかさ、巧人ホントに男?」
「は? そうに決まってるだろ」
突然何を言い出すのか。きょとんとしたまま巧人は一口大に切ったハンバーグを口に運ぶが、熱くて反射で離してしまう。
「……ふー、ふー……」
「ほらもうそういうところ!」
「……? どういうことだ」
「いきなり変なこと訊いてごめん。オレが巧人に話しかけたいって思った理由、可愛いと思ったからって言ったじゃん? それ多分、
それまで真っ直ぐ巧人の目を見て話していた秋が、途端に顔ごと逸らして頭を掻きながらもじもじしている。フォークが手から離れた。
「え」
「それは……だから、その、巧人のこと、女子だって勘違いしてたからで……」
歯切れの悪さを疑問に感じながらも巧人はうんうんと頷きながら話を聞き続ける。
「男だって分かって一旦は冷めたんだ。でも、オレ、バカだからかな? 巧人のこと全然男だって思えなくて。思い込ませようって必死なのに、一緒にいたら可愛いからどっかでずっとホントは女子なんじゃねーのって思い続けてるみたいで……」
「俺は……」
「ただの友達だって自分を納得させる為にこうやってファミレス来たり普段も教室で何気ない会話したりしてたけど、全然ダメでさ」
笑って接してくれている間にそんなことを考えていたのだと知り、巧人は胸が
「もう我慢できねーかも」
「秋……?」
その感情を、きっと自分は知っている。再び真っ直ぐ目を見る秋の頬は薄く紅色に染まっていた。巧人は姿勢を正し息を
「巧人のことが好きだ」
「!」
予想していた通りの言葉が来たが巧人にその受け止め方までは分からず持て余す。ただ単に受け取り受け入れるわけにはいかないのだ。
(俺は、兄さんが……)
真剣な眼差しとだんだん視線が合わなくなる。目が回る、息の仕方が分からない。この想いに誠実になる方法は? 否定なんてできるはずがない。だからといって肯定もできない。秋とは友達でいたい、ほんの僅かな間の付き合いでも巧人にとっては今までにない濃密な時間だった。初めての友達を失いたくない、どうすることもできず血の気だけが引いていく。がくり、椅子に手をつき震える身体を支えた。
「こんなんおかしいよな、オレも分かってる。男が男にってな……引いたよな」
「…………」
(言うな、言わないで……そんなこと)
「オレだって何がなんだか分かんねーよ。今まで普通に女子が好きで女子としか付き合ったことねーのに、意味分かんねー」
何かに当たるような口調の秋の言葉は決して巧人に矛先が向いているわけではないのに、一つ一つが的確に突き刺さる。自分は普通ではないのだ、自分は意味の分からない存在なのだ。ずっと前に分かりきっていたはずなのに、誰かに改めて言われるとかさぶたをナイフで剥がされるような強烈な痛みが巧人の全身を走った。それがたった一人の友達の言葉なら尚更だ。
秋は自分とは違うのだ、そうであることが当然なのだ。それでも嫌われ者だった自分を受け入れてくれた秋なら〝兄〟への恋心を抱く自分も受け入れてくれるのではないかと巧人はどこかで信じていた。
(そんなわけ、なかったのに……)
「きっとどっかバグってるだけだよな、だからそのうち治ると思う。巧人のこと、ちゃんと男だって理解できると思うから」
(やめて……っ)
自分はバグっていて治さなければならない、小学生の頃から抱き続けてきた想いを巧人はそんな風に片付けたくなかった。同じ形の感情を持っているはずなのに分かり合えない、それが堪らなく苦しくて秋の目をまだ見れない。
「返事はいらない。でも、一つだけ訊いていい?」
「……なに」
「巧人は好きな人、いる?」
「え……?」
自己紹介の続き、どちらかが答えたことにはもう一方も答える。友達になる為にお互いを知っていく儀式、重く受け止めた巧人は答えなければならないと追い詰められる。しかし、口は異常に重く開かなかった。
「もしいるならソイツと上手くいくようにめっちゃ応援する。そしたらこんな気持ち、さっさと忘れられるかもしんねーだろ?」
この想いとその想いは違う、巧人にははっきりと分かってしまった。もし、誠弥に好きな人がいてもそんな風に応援はできない、他の誰かと上手くいったって忘れられるはずがない。
もし、秋の気持ちがただの勘違いであるのなら、早いうちになんでもなくしてあげた方が良いのかもしれない。重い口をなんとかこじ開ける。
「……いる。好きな人なら、いる……」
「そっか。……ダメだ、なんか胸痛くなった」
情けない笑い声が余計に傷を付けてくる。どうしようもなく困り果てた笑顔が焼き付いて離れない。
タイミングを
「……駄目、なんかじゃない。お前は何も間違ってなんかない……変でもおかしくもバグってもない……!」
「巧人?」
言葉が一気に溢れ出てくる。
「なんだよ、そのうち治るって……病気じゃないだろ。薬飲んだら寝たら少しは楽になるものなのか? そんなわけない……」
「ご、ごめん……。でもそんな怒んなよ、マジと思ってくれなくていいしイタズラだったって笑ってくれていいから」
「そんなことできるわけないだろ! 俺は……お、れは……っ。……誰が、誰を、好きになっても……変とかおかしいとか、そんなの思いたくない……」
感情が
「だから、俺を好きになってくれたこと……忘れようとしないで。いやにならないで……っ」
「巧人……。分かった、ずっと忘れねーしイヤになんて絶対なんねー」
少しぎこちなく秋は巧人の隣に座った。距離を詰め脚が触れ合う。そっと巧人を抱き締めた秋の心臓の鼓動がはっきりと伝わってくる。
(ああ……嘘じゃないんだ……。身体、熱いしどきどきいってる……)
それは巧人が誠弥と一緒にいるときと同じだった。熱が逃げなくて呼吸が浅くなって、病気だと思ってしまうくらいに苦しい。それなのに隣にいるのが一番幸せでずっとこのままでいたくなる。
「でも、オレの気持ちとは別に巧人の恋はちゃんと応援させて。たとえ好きな奴を自分の力で幸せにできなくても、幸せになるとこは見届けたいじゃん!」
「でも……」
「で、で? 好きな人って誰? 何組の子? オレ知ってる? あ、もしかして中学の子とか?」
「…………」
向かいの席に戻ると秋は元通りのハイテンションで、巧人はあっという間に圧倒される。詰め寄られるがやはり重い口は重いままだった。
「……教えない」
(言えるわけない、よな……)
友達でいたいからズルをして黙っておく。そんな選択肢もあって良いだろうと巧人は賭けに出る。自分の中で決めたこの一線は、隠し事をしている罪悪感と共に明らかなセーフティーネットになっていた。
「えー」と拗ねた様子の秋をよそに、巧人はフォークに刺さったまま放ったらかしていたハンバーグを口に入れる。あんなに熱かったはずなのに冷めて簡単に食べられてしまう。からからになった口と混乱できっと噛み締めても噛み締めても味なんてしないと思っていたのに、旨みがどんどん広がっていった。
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