#5 友達とは

「ん……」

「お。目、覚めた? おはよう……って言うのも時間的に変か」


 ガサガサと布団の擦れる音に気付き巧人が起きたことを確認すると、誠弥はカーテンを全開にし日差しを浴びさせ身体を目覚めさせた。


「……今、何時だ」

「お昼前、もうすぐ昼休み入るよ」

「そうか……。今日の午前はたしか……数Aと日本史とそれから……体育で二時間潰れる日だったな、良かった」


 目を擦りながら身体をなんとか起こす。まだ頭も冴えきらない中、時間割を思い出すとあまり影響がないことに安心し一息ついた。


「潰れるって。まあタクにとってはそうか」

「隅に座って見学しているだけだからな」

「そりゃ退屈だね、潰れるで間違ってない。ん、あれ、さっきの子じゃない?」


 窓からグラウンドで体育の授業をしている様子が見え、走る秋の姿を誠弥が見つけた。言われて巧人も眼鏡をかけ窓の外を見ると、一人だけ異常に足の速い人物に目がいく。


「柞木……」

「へぇ、結構良い走りするじゃん」

「ここに運ばれてきたときもすごく良い風を感じた。……あれは一度でいいから自分の力で感じてみたいと思ったな」

「タクが自分から望みを言うなんて珍しいね。良いことだよ、まずは体力付けるところからかな」

「体力作りか……筋トレとかから始めればいいのか? 柞木に女子より軽いって言われてちょっとショックだったんだ」


 巧人は自分の身体や腕を見てたしかに細すぎるくらい貧弱だと感じる。悲観的な気分になり膝を抱え身体との間に顔をうずめた。


「やっぱりタクって繊細せんさいだよね、普段はむすっとしてて無愛想なのに。それも周りとどう接したらいいのか分かんないってだけなんだろうけど。本心というか中身のところは昔から全然変わってなくてなんか安心するなぁ」

「馬鹿にするな……俺だって少しは変わってる……」

「馬鹿になんてしてないよ。弱いところもそうやって強がるところも変わったって変わらなくたってタクはタクなんだから、俺は全部受け入れるよ」

「全部……本当に全部?」

「本当に全部」


 問いかけた言葉をそのまま返し大きく頷く誠弥の表情が、テーブルに置かれた花瓶に反射する日光が眩しいせいでよく見えない。今、どんな顔をしている? 巧人の胸がざわつく。

 言ってしまっていいのか、タイミングとしてはこの上なく自然で都合が良い。それでもまさかそんなことまで頭にあるはずがなくて、胸の奥の奥に押し込め秘めていた想いが喉元近くまで迫っている感覚がし膝を抱える腕に力が入った。

 静寂に響くチャイムが授業の終わりを告げ昼休みを連れてくると、廊下から騒がしい声が聞こえてくる。


「兄さ……

「しっつれーしまーすっ!」


 口を開きかけたところに秋が勢い良く引き戸を開けやってきた。今にも飛び出そうになった言葉を息とともに飲み込む。喉元に気持ち悪い違和感が残った。


「わっ、元気だね。あれ、タク何か言おうとしてた?」

「……いや、なんでもない……」

(……何考えてるんだ俺は。よりによってこんな誰が入ってくるかも誰が聞いてるかも分からないところで……。もし言ってたらどうなってた? 兄さんに迷惑かけるだけじゃすまなかっただろ……)


 巧人は口の中に広がる不快感に苦い顔をし、だらりと落ちてくる汗を拭った。


「おっ、槙野。体調はどうだ……って、さっきより顔色悪い?」

「気のせいだろ……寝たらかなり楽になってきた」


 顔色を伺って近付き覗き見てくる秋は、体育の授業終わりだからか体温が上がっていて熱が伝わってくる。健康の証とも言うべき熱気と汗の匂いがうらやましくもありやましくもあり、うとんで眉をひそめたまま顔を逸らした。


「またタクはそんな素っ気なくして。心配してくれてるのに失礼でしょ」

「事実を言っただけだ。あと近い……」

「ああ、ごめんごめん。汗臭かった?」


 秋は体操服の中を嗅ぎ「ヤバっ」と女子のような恥ずかしがり方をし、巧人から距離をとった。


「別にそんなこと気にしてない」

「マジ? 良かった〜。けど、男でもこういうの気付けてた方が良いよな」

「知らん。それよりお前、なんで来たんだ」

「こら、そんな言い方ないでしょ」

「他にどんな言い方がある」


 誠弥に言いとがめられ不服そうに巧人は返す。ちょっとした不和が気になり、秋は仲裁するように間に入った。


「まあまあ。なんで来たかって、そりゃ槙野が心配だからに決まってんじゃん」

「心配……? お前が俺を心配する必要なんてないだろ」

「えー、オレが心配しちゃいけねーの?」

「そうとは言ってない……」


 秋の行動の真意が読めず巧人は頭をひねる。朝助けたからといってその後も気にかけてどうするつもりなのだろうか、何のメリットもないなら担任から押し付けられない限り関わってくる方が不自然だと感じていた。


「あ、分かった。また友達でもないのにとかなんとか思ってるんだろ?」

「…………」

「ズボシってヤツだな、この前現国で出てきた。それじゃあ誰とも友達になれなくね?」

「別に、なれないならそれでいい……」

「いや良くはねーだろ。じゃあさ、オレがお前の初めて貰っていい?」

「は……?」


 ベッドに腰掛け顔だけ巧人の方を向け話し、悪戯っぽく無邪気に秋は笑った。何を考えているのか分からずに巧人はきょとんとして小さく開けた口が塞がらない。


「オレが槙野の初めての友達になってもいいかって訊いてんの」


 向き直り笑顔で輝かせた秋の目が巧人には目映まばゆすぎて思わず布団で壁を作った。一方で誠弥は「あーなんだそういうことか」と声を上げる。


「初めてとかいうから、タクの大事なもの貰っていっちゃうのかと思ってびっくりしちゃったよ」

「うわぁ……! よく考えたらオレ、めっちゃ恥ずかしいこと言ってんじゃん……! その、あれだから、全然告白とかそーゆーんじゃねーから!」


 秋は妙な誤解を生みかねない言い方をしてしまったことを後悔し始め顔が紅くなる。焦って「ホントに違うから、ホントだから!」と念押しした。


「そんなこと分かってる。……兄さんも訳の分からんことを言うな」

「冗談だよ。そんな訳ないでしょ、いくら可愛くてもタクは男の子なんだから」

「…………」


 誠弥の何気ない言葉で巧人は胸をえぐられるような痛みに襲われる。男が男に恋愛的な好意を向けることは凡そ普通ではないのだ。少なくとも誠弥の中での常識ではそうであるらしい。

 軽く笑い飛ばす誠弥の顔を見ていられない。


(……俺の気持ちは、冗談なんかじゃ……)


 一人胸を押さえ痛みに耐えていることに誠弥も秋も気付くことはなかった。


「いやぁ……まあ、声聞くまで女子だと思い込んでたんだけど……」

「え、そうなの。でも分かるなぁ、俺も初めて会ったときは女の子だと思ってたし。子供の頃だったからタクのお父さんから息子だって言われてなかったら声聞いても分かんなかっただろうなぁ」

「槙野、可愛いっすもんね」

「うんうん」


 また二人して顔を見て頷き合いながらにやにやしているので、巧人は黙って引いた目をした。


「……気持ち悪い顔をするな……」

「あらら怒らせちゃった。それとも……照れてる?」

「……照れてない」

「槙野可愛い〜っ」

「う、うるさい……」


 あおるようにいじられ本当に照れてしまいそうになるのを誤魔化し、巧人は布団を頭まで被りその中で丸くなった。


「オレさ、槙野のこと最初は可愛いなって思ったから喋ってみたかったんだけど、今はそれだけじゃないんだ。もっと槙野のこといっぱい知りたい! だから友達になりたい! ていうか、友達ってなりたいとか許可がいるもんじゃねーよな。だからもうオレたち友達ってことでよくね? な、巧人っ!」

「……!」


 布団をがされいきなり肩を組まれ巧人は固まってしまう。それでも不思議と嫌な気持ちにはならなかった。


「なんで、俺の名前……」

「ん? 瑞樹ちゃんに聞いた」


 名前で呼ばれたことも含め突如とつじょ体感した初めての連鎖に胸の辺りがじんわりと暖かくなっていく感覚がして、そのまま拒絶することなく秋を受け入れた。


(これが、友達……?)


「タク良かったね、友達できたじゃん」

「でも、俺、どうしたらいいのか……」

「どうもする必要ないよ。変に意識しないでいつも通りにしてたらいいんだよ」

「その、いつも通りってなんだ……」

「なんだろうね」

「んーなんだろなー。あっ、ちょっと待ってて」


 何か思い付いたのか、秋は急に保健室を飛び出しどこかへ走って行ってしまった。残された巧人と誠弥は顔を見合わせ揃って首を傾げた。


「おまたせ! はいこれ」


 待つ程の時間も経たないうちに戻ってきた秋は巧人にノートを二冊渡した。


「これは?」

「数Aと日本史のノート! いくら成績学年トップでも授業聞いてなかったらなんも分かんなくなるだろ? だからオレが纏めといた、受け取って!」

「これを、俺の……為に……?」

「そう! 眠いのすっげー我慢して授業受けたから、今までオレが書いたノートの中で一番の最高傑作って言っていい!」


 堂々と胸を張って宣言するのでどんなに素晴らしいノートなのかと期待に胸を膨らませページを開く。しかし、巧人は目を疑った。


「……字が汚くて読めない……。なんて書いてあるんだ? 『この公式を使えばいいらしい』……? 『でもなんでかは分かんねー! 教えて!』……って、授業受けてない俺に訊くな」


 日本史のノートを開いてみても同じように丁寧さに欠けた筆圧の濃い豪快な字が並んでいて『コイツ、サイテー!』や『この姫、可愛いかな?』などという板書以外のコメントが独特なタッチの絵と共にたくさん書かれてある。

 参考になるかと言えば正直なところあまり役に立ちそうではなかった。しかし、初めて同年代の人間から自分の為に何かをしてもらったことが嬉しくて巧人は文句を言う反面一ページ一ページを噛み締めながら読んでいった。


「タクのこんな嬉しそうな顔、久々に見たよ」

「……どこが嬉しそうに見えたんだ、小言しか言ってないだろ」

「そういうの、何も気にせずに言えるのが友達なんじゃない?」

「そうそう! こうやってソイツのこと思って当たり前に何かできるような相手も友達だと思うけど、真っ直ぐな言葉をぶつけ合える……ホントにそれだけでも十分だとオレは思うな」


 秋はその後に「もちろん、勉強も教えてくれたら嬉しいけど」と言ってまた眩しい笑顔を向けた。今度は巧人も顔を逸らすことなく正面を向く。 目がくらみそうになるが、その輝きを焼き付けていたくなった。


「……この辺りならもう自習してるから後で教える。あと……ノート、ありがとう……柞木……」


 大事そうに両手で持ったノートで口元を隠し、照れながらぎこちなく視線を外しボソリと呟いた。


「えーそこは名前で呼んでよ」

「……しゅ、秋……」

「おう!」


 初々しい二人が、友情を結び微笑み合っているのを誠弥は少し離れたところから見守った。スピーカーから放送委員が昼休みのテーマに選曲した陽気な音楽が流れてくる。


「よーし、めでたくタクに初めての友達ができたってことでお祝い……という名のお昼ご飯にしよっか。君も体育終わりだったらお腹空いてるでしょ?」


 誠弥はテーブルを片付け二人をソファに座るように促す。巧人と秋は隣り合わせに座った。


「もうぺこぺこっすよ〜。教室から弁当持ってくるから待ってて!」

「タクはなんか持ってきてる?」

「いや、今日は母さん帰ってきたの朝早くだったから何か買うようにってお金だけ貰ってある」

「そっか、じゃあなんか買ってきてあげるよ。購買のパン、希望はある?」

「なんでもいい」


 心を許しているからこその六文字。巧人の食べたいものは誠弥が選んだもの。ただし、誠弥は選択に自分の意思を反映しない。それでも良かった、寧ろ誠弥が自分のことを考えて選んでくれたものなら大歓迎だ。

 鞄から財布を取り出そうとする巧人を引き留め誠弥は「ご馳走ちそうしてあげる」とここぞとばかりに大人の余裕を見せた。


「じゃ、買ってくるね」

「ああ、助かる」


 秋と誠弥が出て行きぽつんと一人残された巧人は手持ち無沙汰ぶさたになり、再び秋のノートを開いた。


(これが最高傑作って、大丈夫かあいつ……。でも、俺の為か。友達、俺にもできたんだ……)


 望んだところで叶うはずもないと思っていたことを今、手にできているのだと実感すると涙が溢れそうになる。泣き虫だった頃でも流したことのなかった嬉し涙だ。巧人はあの頃の自分に「一人じゃない、だから諦めるな」と言って勇気と希望をあげたいと思った。

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