第8話嫉妬と
その日、学校には胡桃沢は来なかった。
正確に言えば来たが俺のせいで帰ってしまった感じだ。
俺もなんであんなこと言ってしまったんだろう。
俺に人の夢をとやかく言う資格はないのに。
「はあ……」
授業は頭に入ってこず、放課後になってもまだ席を立つことはできないでいた。
いつもはすぐ帰るのに……ああそうか、家にあいつがいるからか。
謝りたいのに、帰れば会えるのに。俺は帰ることはできなかった。
「まだいたのか……。はよ帰って謝ってこいよ」
「……でもなあ」
部活に行ったはずの智也は俺を心配してか、教室にまた戻ってきた。
「あの泣かせた子、さっき話してた子だろ? 別れる前に行ってこいって」
「いや付き合ってないから。俺だって悪いと思ってるよ」
「じゃあなおさら謝って来いって。気持ちを伝えたら亮もあの子も楽になるから」
智也に説得されていても、頭がまとまらない。
ずっともやがかかっていて、マイナスの感情しか沸いてこない。
「こじれる前に誤解を解いておいたほうがいいぜ?」
「……誤解?」
「誤解だろ? お前は人の夢を馬鹿にするようなやつじゃないだろ?」
誤解……か。俺が言った言葉は本心ではなかったのか。
いや違うな。
自分が勝手に夢を諦めたのに、人が夢を追っている姿を見てちょっと羨ましくなって。
そうして出た言葉はきっと本心だ。
人の足を引っ張りたかった俺の悪いところだ。
「とりあえず……謝ってくるか」
「おう、そうしとけ」
謝って今度は応援していると伝えてあげよう。
俺が作曲することは諦めてもらうが。
智也に礼を伝えてさっきまでは立つのも億劫だった足も、家へと歩き出した。
*****
「ただいまー」
……返事がない。
家にいないのか? と思ったが脱ぎ捨てられた靴があったので、家にいるのは確実だろう。
まあ返事がないのは当たり前か。
これで平気な顔してお帰りと言われたら、ちょっと引く。
部屋にでもいるかな、と思い階段を上っていく。
「……ん?」
階段を上っている最中、歌声が微かに聞こえてきた。
一段一段上っていくたび、その歌声は鮮明に、そして美しい響きが俺の耳に入ってくる。
誰だ……確かめてみたい。まさか胡桃沢ではあるまいし。
親に反対されたんだ。下手なはず。
「――まじか……」
少し開いていた扉の隙間から見えたのは涙を流しながら、俺の曲を歌っていた。
その歌声はプロにも勝って美しく、残酷にも俺の胸を苦しめた。
だめだ、聞いていちゃだめだ。
近くにいると自分がどれだけ底辺だったかが分かって、嫉妬してしまう。
離れなければ、扉から遠ざかろうとしたとき、肩が扉に当たった。
神の嫌がせなのか、一番会いたくないタイミングで見つかってしまった。
「……お、おかえり」
「……」
俺の存在に驚いた様子に胡桃沢は、涙をぬぐうと普段通り接してきた。
「……あ、もしかして聞いてた? 自分で言うのもあれだけど上手いでしょ」
「ああ」
自画自賛してもツッコめないくらいに、彼女は上手かった。
胡桃沢と組めばてっぺんを取れるような気もした。
だけどそれは俺の実力じゃない、とプライドが許してはくれない。
「どう、作る気になった? 私の歌声で創作意欲が上がったとか……」
「……ごめん。悪いけどお前の歌声を聞いていると、嫉妬してしまいそうだ」
扉を閉めて、そのまま家を飛び出した。
どこにいくわけでもないが、とりあえず家から離れたかった。
家から離れても歌声は聞こえてくる。
耳にこびりついて離れない。
「はあ……はあ……」
どれくらい走っただろうか。
辺りを見渡してみると、昔遊んだ公園があった。
疲れた俺は公園に入ると、汚くぼろくなったベンチに座った。
「ふぅ……」
荒い息が徐々に収まっていき、走ったおかげか思考がまとまってきた。
目を閉じてこびりついたあの歌声をもう一度ちゃんと聞いた。
アカペラでそれほど大きいわけでもないのに、すっと入ってくる澄んだ歌声。
彼女の感情がダイレクトに伝わってくる感じがして、俺の感情も揺らいだ。
不覚にも胡桃沢の声に合う曲がどんどん頭に浮かんでくる。
彼女に歌ってもらえれば、俺は今までで一番いい曲ができると確信していた。
「いい曲ができそうだ最悪だ……」
「あら、贅沢な悩みね。皮肉?」
「胡桃沢……」
俺を追いかけてきたのか。
あんなこと言われたから、さすがに怒ったかな。
俺は胡桃沢を一瞥した後、目をそらして俯きながら話した。
「よく俺の居場所が分かったな」
「分かるも何も、あなたの走る速度が遅すぎて余裕で追いついたわ」
「そうか……」
「どれくらい遅かったかというと、コンビニ行って帰ってきたらまだ後ろ姿が見えてたくらい」
「それは遅すぎだろ……」
普段通りにしてくれる胡桃沢に、感謝しかなかった。
深く考えていたことが馬鹿らしくなって、少し笑みが零れた。
俺も誤解を解いて、本音を伝えなきゃな。
「なあ」
「何?」
「すまなかったな。お前が夢を追っているのを馬鹿にして」
「そのこと? もう気にしてないわ」
「そうかありがと」
気にしてないと言っているが、涙の後は隠せない。
目は赤くなっていて、俺が泣かせたんだなと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「それだけ? そんなことでみっともなく走り出したの?」
「……いやほかにもあるよ」
本当のことを伝えよう。
俺は意を決して、胡桃沢に向き直る。
「――本当はお前と曲が作りたい」
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