【番外編】意地悪なシオン

※この物語は隣人編の後日談です。

 シオン視点でお送りしています。




 新しい家族が増えた。

 訳あって迎えられた西洋のあやかし、名をナズナ。


 掃除や料理をすることが好きらしく、こちらは随分と助かっている。


 ただ困った事にナズナは言葉を話せない。

 口下手なのでは無く声を出せないようだ。

 そう、困った事に……。


《シオン、シオン》


 洗濯物を畳んでいると頭をポンポン叩かれた。


 苛立ちながら何だと問うと、ナズナはワッと喋り出す。


《ねえねえ、彼は何が好きなの?》


《花は好きかしら……甘い物はもちろん好きよね?》


《苦手な物はあるのかしら?》


(……ぬし様に苦手な物は有りません)


《よかった! 私、彼に何かしてあげたいの、何がいいかしら?》


(知りませんよ。直接訊いてください)


《だめよ、彼には私の声が聞こえないもの》


 そうナズナは声こそ出せないが、同じ妖者同士だからか、自分とはこうして念を飛ばして会話が出来た。


 でもこのことは主様に話していない。


(寂しがるからなぁ……)


《何が?》


(いえ、別に)


 主様は代々続く祓い屋の名家、桜庭さくらばに産まれた。


 けれど主様は生まれつき力を持っておらず、我ら妖を見ることが出来なかった。


 そんな主様と、まさか共に異なる世界へ飛ばされるとは、あの頃は思ってもみなかった。






***

 十二年程前――。


藤四郎とうしろう!! また蔵に入ったそうだな!』


 声の主は桜庭一葉さくらば かずは様。

 藤四郎様の父上であり、自分がお仕えしているお方だ。


『蔵には近づくなと言っとるだろうが!!』


 怒号にも似た、渋みと重みが交わった声。

 しかしそれは若様を心配する優しい言葉なのを我等は知っている。


 力を持たず生まれたばかりに、母君から疎まれ育った若様を、その分、父の自分が愛せばいいと主様は大層大事にされていた。


 自分はそんな主様が大好きだ。


『父上申し訳有りません! しかし……蔵が……蔵が来いと叫ぶのです!』 


『お前という奴は――!!』


 若様は少し変わったお人だった。

 主様曰く、何か読み物を読んだ影響らしく、特に意味も無い陣を描き、誰も居ない所で隠れて術の特訓をしているのだとかなんだとか。


 たとえ力が無くても桜庭である以上、いつか危険な目にあうのではないかと主様は気がきでならないとよく言っていた。


 そんな折。


『最近藤四郎の様子がおかしいのだ』


 ある時期を境に若様から笑顔が消えた。

 主様が笑い話をしても、無理やり明るく振る舞おうとしているのは自分にも分かる程だった。


『学校で何かあったのかもしれん。紫苑シオン……すまんが暫くアレに付いてやってくれ、私はアレが心配で堪らないのだ』


『はい、主様』


 その翌日から、自分は若様につくことになった。


『ここが若様の学び舎……』


 人、人、人。

 人間が多く集まる場所は、なんとも居心地が悪いものだろうか。


『はぁ……』


 昔は実体を持つ妖が多かった。

 人を脅かす事だけに喜びを感じる低級から、狡猾で人の子なぞすぐ喰らう妖力の強い妖まで沢山いた。


 だが……いつからか、我らの多くはカスミとなった。人の目に止まる事のない曖昧な霞に。


『多い』


 霞となった妖は、人の心が生み出す負の感情を喰らって生きるようになった。


 ……ねたみやそねみ。

 負の感情が大きく育てば育つ程、それは極上の餌になる。


『まるで餌場だ』


 若様の学び舎は、想像していた何倍も酷い有り様であった。


 大人も子どもも関係なく、皆、陰りを抱えている。


 人に取り憑く妖を道すがら斬るが、斬っても斬っても、しばらくすると別の瘴気に当てられていて完全に断ち斬ることは出来なかった。


『根が深い……』


 人は何故、こんなにも病むのだろうか。







『そうか……』


 その日あったことは全て主様に報告した。


『幸に言われるがまま、あの進学校に入れたのが間違いだったな』


 幸様とは、主様の奥方……つまり若様の母君の事である。


 曰く、若様の通う学び舎はこの辺りでも一際厳しいと有名で、文武両道を謳い全体の質を上げる為に常に子ども等を競わせているそうだ。



『すまんが、もう暫く、アイツの傍に居てやってくれ』


『はい』


 そう言って、次の日も、また次の分は若様と共に過ごした。


『どうだ? 変わりないか?』


 兄様のその問いかけに、変わりなさ過ぎて疲れます。そう答えるしか無かった。


『本当に、毎日毎日。人とは面倒な者です。何故こんなにも簡単に病むのか……』


『お前がそれを言うか?』


『うっ……』


 かくいう自分も心を病み鬼人となった身。

 痛い所を突かれてしまった。


『人は……業が深いのです……』


 深い憎悪に身をやつした時。

 人は鬼へと変わるのだ。







『……』


 若様に付いて一週間。

 若様は不意に振り返り、空を見る事が増えた。


『シオン、君は今もそこにいるのかな?』


 ええ、ここに居りますよ。

 貴方様の目の前に。


『やっぱり見えない……一度でいいから話してみたいなぁ……』


 自分もです。

 手を伸ばされても、このお方に触れる事は出来無い。


 こんなに近くにいるのに。

 この方には、自分の声も届かない。

 自分をどういう者だと思っているのだろうか。


 子供の鬼人だとは、聞いていないのだろうか。


『……』


 もっと下に居ります。

 そこには誰も居りませんよ……。


 差し伸ばされた手に届くように、思いっきり背伸びをしても、指の先は……触れた感触も無くすり抜ける。


 自分も貴方に触れてみたい。

 きっと貴方は、主様と同じ、温かな人なのだろうから……。


 それからも若様と視線が合うことは無く、独り言だけが増えていった。


 弁当のおかずを差し出してきたり、読み物を見せてきたり……周りの人間には、さぞ不気味かつ滑稽に見えたのだろう。


 当人等にとっては気晴らしのつもりだったのだろうか。それとも他と違う者は輪から除外してもよいと勘違いしたのか、周囲の当たりはより一層つよくなり、若様の陰りを大きくしていった――。


『主様、私をお戻し下さい。……若様は自分のせいで、とても辛い思いをしていらっしゃいます』


 若様の最近の言動について、母君の耳に届いてしまい、お前は普通の人間にさえ成れぬのかと、学び舎だけでなく家でも責められるようになってしまった。


 そんな中、主様だけが若様に変わらず接していた。


 だが主様は桜庭に婿入りした身。

 当主である幸様には逆うことができず、若様を影で虐げる者達の発見や対応が後手後手に回ってしまっていた。





『ああ……』


 若様が完全に孤立して一ヶ月。

 なんの前触れなく、その日はやってきた。


『辛いなぁ……』


 若様が初めて涙を流した。


 その刹那、赤黒い何かが突如現れ若様に纏わりついた。


『っ若様っ⁉︎』


 一瞬の事だった。

 それに気が付いた時には既に遅く。

 若様の陰りは渦を巻き、半身をすっかり飲み込んでいた。


『若様ぁぁあああ‼︎』


 手を伸ばしても若様に触れれないことは、分かっていたけれど、伸ばさずにはいられなかった。






***


 次に目覚めた時、見知らぬ天井を見上げていた。


 そこは独特の薬の匂いが漂う場所で、自分は寝台に寝かされていた。


 知らぬ男がふたりと猫又だろうか? 人ではない耳の生えた双子の妖がこちらを覗いていた。


『若様!』


 ハッとして叫ぶと妖は顔を見合わせ、男達困ったような顔をした。


『いない……のですか?』

 

 あれだけ願ったのにと絶望している中『呼んだ?』という声が聞こえた。

 夢かと思った。何故なら――。


『もしかして……君がシオン、なのかな?』


 ひょっこり顔を出した若様と初めて目が合ったのだから。


『自分が――見える……のですか?』


『あぁはっきり見えるよ。それにほら、こうして君に触れることも出来る』


 そう言って抱き止めた手は温かく、互いの存在を確認するようにしばらく抱き合ったのを、今でもはっきり覚えている。


 それが若様と言葉を交わし、触れ合った最初の記憶だ。


 





***


《ねぇ、シオン? どうしたの?》


(少し……昔の事を思い出しただけです)


 泣いていたのか。

 ナズナは心配そうな顔でこちらを覗き込んでいた。


《どこか痛いの?》


(いいえ)


《じゃあ悲しい?》


(大丈夫ですよ。むしろ今は気分がいい)


《泣いているのに、どういうこと?》


 首を傾げるナズナに、それはそうとと自分は言葉を続けた。


(さっきの件ですが、やはりご自分で考えてください)


《えぇー。もう、シオンって実は意地悪なのね》


 そう、これは意地悪だ。

 そう簡単にあの人の横は譲りませんよ。

 自分がずっと、そうであったように――。

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