第36話『寄り添うふたり-⑥-』


「そこっ! 綻び作らない! 集中する!」


 ロジーが険しい声で叫ぶ。

 ステラを中心に展開させたドーム型の封印術式は、人員を倍に増やし、今や何層にもなる分厚い膜になっている。


 けれど少しも安心できない。

 内側からの魔女の攻撃的な魔法が絶えず放たれており、一番下の層が秒間隔で壊されてしまうという常にギリギリの状態だったからだ。


「そろそろ代わる! もう休め!」

「は、はい……すみません、先輩。あとお願いしま――」


 封印術式を維持する為、封緘師の男は後輩の女封緘師に声を掛けた。


 男にその場を任せ、女は補給班の元へ行こうと後ろに下がろうとしたその時だ。

 

「おっ、おい!」


 限界を迎えていた女がバランスを崩し、ぐらりと倒れこむ。


 最悪なことに他の人間を巻き込んで……。


「「「!!」」」


 これに驚いたのは、巻き込まれた封緘師だけでは無かった。


 他の封緘師も動揺してしまい、二重三重の強固な壁に綻びが生じた。


 途端、内側から穿たれた一撃が天井、壁、人を襲う。


 ああ終わった。

 多くの者がそう思った。


「……」


 入り乱れた場内、混乱する封緘部。

 その場から動けぬ者、後退する者の中で、勇敢にも突き進む一人の男が居た。


 居合わせた者の中で、その名を知る者はリドとルドラしかいない。


 たとえ業火でその身の一部を焼かれても、その足を止める事もなく彼は前に進む。


 皆が気がついたときには、黒髪の青年は魔女の懐に飛び込んでいた。


「!?」

 

 魔女は目を丸くして驚いた。

 強張った体を強く抱いだかれて何が起きたのか理解出来なかったからだ。


「放っ――」


 魔女が最後まで言葉を発する前に、アスターの腕の力が弱まった。


 “彼女”の体にじわりと血が通う。


「なっ、何故お前がここにいるっ!?」


 今すぐ離れろと叫ぶリドにアスターは首を振った。


 離れたくないという彼自身の意思もあるが魔女が放つ魔法の威力があまりに強力で、炎の直撃を受けた腕と足の激しい痛みが邪魔をしてもう立ち上がることさえかなわないのだ。

 

「なんてこと……!」


 このままではアスターは死んでしまう。

 それは誰の目にも明らかであった。


 けれど二人を囲うように、炎は激しく燃え続け、近寄ることさえ叶わない。

 その歯がゆさにリドとルドラは爪を噛む。


「っ!」


 肉の焼ける音と酷い臭いが立ち込める。

 この臭いは魔女自身も嗅ぎたくなかった臭いだ。


 だからだろう。

 魔女は無意識に力を弱め、目の前の彼を焼く炎をすっと手で消していた。


「ごめん、話をしにきただけのつもり……だったけど……。気づいたら、体がもう……動いちまってた……」


「……」


 痛みで顔を歪めながら、彼はステラが泣かぬよう必至に笑顔を浮かべていた。


 ステラ・メイセンという少女は、人が傷つく事を極端に恐れている。


 だから、彼は精一杯“自分は平気”だと、こんな状況に陥っても強がって見せるのだ。

 

「か、鞄……の中……」


「?」


 焼けただれた手を必死に動かしアスターは鞄をゆっくり開けた。


 中には沢山の小さな木の実が詰まっていた。


 この木の実は触れた者の魔力を吸いあげ、種子を飛ばすという“エクリプスウィロー”の実。


 彼がグレタから教わった民間療法に必要なものだった。


「あんま……効果……ないかもだけど……」


 そう言ってアスターはその実を振るえる手で持てるだけ持った。


 しかし彼女に手渡そうとするも全身に激痛が走り体は硬直する。


 ぐらり。

 自分の重心を支えきれずアスターは魔女に倒れ掛かる。


「おい!」


 リドの声かけに答える力も、もはや彼に残っていない。


 どんなに強がっても限界をとうに超えている。ここまで意識を保てたことが奇跡に近いのだ。


(流石にやばい……)


 意識が飛び飛びになることで、彼はやっと自分の体が壊れている事を自覚した。


 ならば彼がとれる行動は一つしかない。


「俺がぜんぶ……、受け止める、っから……大丈夫、だ。だから、落ち着いて、お前っなら、出来るってしんじてるから……。だから――」


――早く終わらせて、いっしょに帰ろう――


 弱弱しく囁かれたその言葉に、魔女は酷く動揺した。


 周囲を囲む炎が揺れる。

 まるで今の彼女の心情を映すかのように、人を寄せ付けようとしなかった炎がふっと消えて凪いでいく。


(あぁそうか……この男は……)


 久しぶりに感じる人肌は、とても温かで、枯れ果てたと思っていた涙がつっと頬を濡らしていた。


「……ありがとう」


「…………うん」


 交わされた言葉は魔女のものではあるが、それを彼が知るのはもう少し先の話。


 魔女は嬉しかった。

 人を傷つける事しか出来ない“彼女”は、今も昔も人に恐れられ、忌むべき存在として扱われていたのだから。


 だから、こんなにも真正面から受け止めようとしてくれる人間がいることが嬉しくて嬉しくてたまらなかったのだ。


「……」


 魔女は多くを語らず、急速に魔力を分け与える為の口付けではなく。


 “意識を集中させ、対象に触れる事で緩やかに魔力を分け与える方法”を取った。


 抱き返された腕の感触を確かめながら、二人は寄り添い……彼の胸に抱かれ、魔女は深い眠りについた。







「う……ん」

 

 ステラ・メイセンが再び目を覚ました時には何もかもがすでに終わっていた。

 あんなに長く、赤みが増していた髪も、色も長さもすっかり元に戻っている。


「ここは……?」 


 高い天井を眺めながら、少し間の抜けた声を出し、ステラは周囲を見やる。


 気が付けば煤だらけの石畳の床に寝かせられており誰のものだかわからない上着が掛けられていた。


「ステラちゃん……よね?」

「ドクター?」


 目の前には今にも泣きだしそうなルドラとリドとスターチス。


 それに封緘部部長、ロジー・リリィが部下を従えズラリと辺りを囲っていた。


 上着はリドのものだった。


「私……そうだ! 私“また”!」


 最後の記憶を辿り、ハッと我に返り半身を起こす。


「っ!」


 酷い頭痛と目眩めまいに襲われ、ステラは顔を歪めた。

 目の前をチカチカ白い光が飛んでいる。


「いきなり動かないの。大丈夫。もう終わったわ」


「え?」


 ルドラが指差す方向を見ると、所々服が焼き焦げボロボロになったアスターがメリッサにマウントポジションを取られ、ボコボコに殴られている最中だった。


「痛っイデデ! ちょっ! や、やめっ!」


「馬鹿っ! バーカっ!!」


 メリッサは勢いを殺さずそのまま殴り続け、彼は悶絶している。


(……一体何が?)


 ステラはますます混乱した。


「彼がね、貴女の魔力を吸ってくれたのよ」


「魔力を?」


「そう危険だって止める暇もなくね。大変だったのよ。彼、全身大火傷の重体だってのに荒ぶる亡霊まで鎮めちゃって……。すぐに“治療”して貰ったからいいけど、下手したら死んでたわね、あれは」


「!」


 それを聞いたステラは次の瞬間には走り出していた。


 しかし体は言うことを聞かず、すぐに足がもつれ倒れ込む。


「ステラ!」


 地面に膝を擦る寸前の所でステラはリドに抱き留められた。


 その声に驚き、メリッサとアスターも振り向き、ようやく彼女が目覚めた事に気が付いた。


「ステラ! アンタ大丈夫なの⁉︎ 痛いとことかない? 平気?」


「う、うん。大丈夫だよリサ。リドも支えてくれてありがとう」


「あ、ああ」


 もう一人で歩けるからとステラはリドの腕をほどき、アスターの元へゆっくり歩みを進めた。


 一歩足を前に出す度、涙が自然とポロポロ零れ視界が滲む。


「そんなにボロボロになってまで、何で私なんかのために無茶したんですか……」


 唇と体を震わせ今にも泣き崩れてしまいそうな自分を、懸命に抑えるステラ。


 そんな彼女の頬をアスターは優しく撫でた。


「なんかじゃない、君だからだ。……あの時森で初めて会った俺をお前は体当たりで救ってくれたから」


 誰かに優しくするとそれは返ってくる。

 いつかルドラに言われた言葉をステラに言って彼は笑う。


「だからこれは当然のことなんだよ」


「っ――! 貴方の恩返しもっ、体当たりすぎですっ~~~!」


 わっと泣き出すステラをアスターは困り顔で抱き留めた。


 煤で汚れた肌に全身から漂う焦げ臭い香り。けれども彼は生きている。

 今ここで生きている。


「わ」


「凄い」


「幻想的ねぇ」


 そんな声が辺りに響き、アスターはステラの肩を叩く。


 見ると彼等の傍をふわりふわりと小さな光りの玉が浮遊していた。


 ひとつ、ふたつ……光の玉は、あっという間に数えきれないほどとなり、天井目指し昇って行く。


 これは魔力を蓄えたエクリプスウィローの実が、種を遠くに飛ばす際に見られる昇華現象だ。

 

「綺麗」


「そうだな……」


「……アスターさん?」


 ふいに目が合い、優しい眼差しを向けられている事にステラは気づき首を傾げた。


「私の顔、何か付いてます?」


「んーん。……帰ろっか。レグさんにエサやるの忘れてたよ」


「それはすぐに帰ってあげないと大変ですね」


 ざわついていたステラの心に穏やかさが戻る。


 けれど緊張の糸が切れたのだろう。

 そう言ったのもつかの間、彼女はふっと目を閉じて、気を失うように眠りについてしまった。


 預けられた体に一瞬慌てるアスター。

 そんな二人に……。


「えー、オッホン。そろそろいいかな?」


「!」


 先ほどから二人を見守っていたスターチスが気まずそうに声を掛けた。


「まったく。無事で済んだからいいものの、報告を受けた時はどれだけ肝を冷やしたか。――下手をすれば二人共命を失っていたかもしれないんだからね?」


 それは苦言に近い、けれど二人を真剣に心配するスターチスの言葉だった。

 それを受けアスターは素直に謝罪する。


「ご、ごめんなさい」


「……うん。でも、よく頑張ったね」


「おわ!」


 スターチスはわしゃわしゃとアスターの頭を撫でた。


 子どもじゃないんだからと戸惑う彼に「私から見たら、君たちは子どもさ」と口角を上げる。


 一方、その傍らでリドはステラを抱え、不服そうに彼を睨んでいた。


(アスター……。まさかこいつも――)


 そんなことを考えながら、リドは出口に向かって歩き出す。


 こうして彼等の緊張続く長い一日は幕を閉じた。それぞれの想いの種を芽吹かせて――。

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