第35話『寄り添うふたり-⑤-』

 アリアが案内された部屋は、応接間にほど近い場所にあった。


 そこにはおびただしい動物の標本や、ホルマリン漬けの人体標本が所狭しと並べられている。


「……悪趣味」


「どの口がと思うがね」


 どちらも同じようなものだと男は言った。

 それにアリアはフンと鼻を鳴らし、早くしろと床を蹴る。


「そうくな。目的の物はもう目の前だ」

「は?」


 男は数多くあるホルマリン漬けの一つを指差した。


 その中には手首から先の“何者かの左手”が入っている。


「状態は悪いが、アレの半分はコレだ」


 この突拍子もない言葉に、お前は何を言っているのだとアリアは失笑する。


 男はこれだからと半ば呆れた声を出し、真実を告げる。


「アレは、人とスプリガンのキメラだ」

「キメラ、ですって……?」


 アリアが狼狽えるのも無理はなかった。

 キメラ製造について記述される魔導書はそのほとんどが焚書している。


 そしてそれを伝承する者もいないことは魔術師の世界では有名な話だ。


 そして……キメラは極めて短命で、飼い慣らす頃には死んでいる場合が多く、製造過程においても拒絶反応により成功例が殆ど無い。


 造りやすく管理しやすい人造人間と違い、キメラを生み出した所でハイリスク・ノーリターンである事からそもそも需要がないのである。


 ならば彼も近々死んでしまうのかとアリアは慌てふためく。


「そう簡単にくたばりはせん。なにせアレは“特別”だからな」


「……特別?」


「ああ、“ココ”がな」


 面の男は指で自身の心臓をトントン突く。


「現にアレはもう十年以上生き永らえている。一般的なキメラの寿命は一年程。あれはもう成分的には人と変わらんだろう」


「そ、そうなの」


 それを聞きアリアはホッと胸をなでおろす。


「……ねぇ、もしかしてさっきの黒目の連中、あれも皆キメラだったりするの?」


「ああ」


「ふーん……」


 大量のキメラを有し、異空間に住まう男。

 アリアは思う、この面の男は何者なのかと。


「ねぇ、あなた名前は?」


「……フェムトだ」


「フェムト……? 聞かない名ね」

(さぞ有名な魔道士か魔術師なのかと思ったのだけれど……)


「まぁいいわ。あなたが何者であろうと、今は気にしないであげる」


「ふ、それはありがたい」


「じゃ、これ、貰ってい――重いわね」


 予想以上の重さで持てないと判断したアリアはセイジの待つ部屋へと急ぐ。


 こうしてアリアは鍵を手に入れた。

 “彼”を探す、その鍵を。




***

 

 仄暗い闇の中ステラ・メイセンは夢を見ていた。


 もう何度同じ夢を見てきたかわらかない、それは終わり無き悪夢。


(……やめて……もう…………やめて)


 見渡す限りの荒野の中、どれだけ懇願してもそれは届かない。

 

(あぁ……)

 

 星の浮かぶ空が、まるで炎に焼かれているかのように赤く色づいていく。


 世界は暁に支配されている。

 この夜明けは開戦を意味していた。

 人と、人ならざる者達の種の存続をかけた最後の戦いが幕を明ける。


『どうしたの? 震えているわ』


『大丈夫さ、何があっても俺たちがついている』


 エルフの夫婦が彼女の手をとり、微笑んでいる。


『……』


 彼女の震えは止まらない。

 けれどそれは恐怖でも恐れからくるものでもない。


 彼女の中にあるのは人に対する恨みだけ。

 “彼女”は人を憎んでいた。

 ずっとずっと昔から、親に裏切られた“あの日”から。


 だからそれは武者震い。

 悲願の復讐を果たせると喜ぶ、武者震いなのだ。


『時間よ』


 エルフの女が言った。

 同時に彼女は敵陣へ向け魔法を穿つ。

 ステラはこの先の展開を見たくないと、必死に目をつぶろうとするが見開かれた目は、ステラの意思でどうこう出来るものではない。


(っ――!)


 次の瞬間には眩い光が彼女を包み込んでいた。


 その光の正体は攻撃を受けた敵陣から放たれた魔法だった。


 見渡す限りの荒野は一瞬にして血と肉塊の海となり風は死の臭いを運んでいる。


 先ほどまで微笑みかけてくれていたエルフの夫婦も自分を受け入れてくれた異種族の仲間達も今は跡形もない。


『ああ……』


 彼女が最後に流した涙は、誰のものかわからぬ血に滲んでいた。


 これは悪夢という名の記憶。

 彼女の中に眠るとある魔女の過去である。





 ステラが搬送された同日昼過ぎ。

 再現無く伸びた彼女の髪がやっとその動きを止め、ステラの体は彼女の髪にすっかり埋もれていた。


「……」


 依然油断の出来ない緊迫した雰囲気の中。

 多くの者に見守られ”彼女”がついに目を覚す。


「ステラ!」


 半身を起こす少女の名をリドが叫ぶ。

 けれどその声に反応は無い。

 見開かれた赤い瞳が周囲を見やる。


「まさか!!」


 目覚めたのは彼女ではない。

 ステラの身の内に潜む”亡霊”が彼女の体を支配していた――。





***


 グレタとの話し合いは実に有意義なものであった。


 魔力暴走を起こしたときの昔はよくやっていたという民間療法からこういった場合協会で取られる処置。


 そしてそれが行われるであろう場所の情報を教わりその準備の何から何まで手伝ってもらっていた。


「本当に、色々お世話になってすみません」


 協会までの道のりをヴィンヤード家が所有する車で送ってもらったアスターは、降りる間際にグレタと運転手に礼をした。


「じゃあ、行ってきます」


「坊ちゃん」


 彼が後部座席のドアに手をかけ、閉めようとしたところでグレタは彼を呼び止める。


「ご武運を」


 ただ一言そう言って、グレタはすっかり大きく、たくましくなった彼の背を見送った。






「さてと……」


 パンパンに膨らんだ肩掛け鞄を持ち、ガーゴイル達の守る入り口を目指す。


 雨は若干弱まってはいるが、あちこち行ったせいで、服も靴も泥だらけだ。


(人が全然居ない……)


 いつも人でごった返していたエントランスは不気味なほど静かであった。


 そしてカレンは休みなのか、見たことの無い受付嬢がニコニコと彼を出迎える。


「お疲れ様です」


「えっと……お、お疲れ様です」


 今アスターが着用している服は、少し前にもらった協会職員用の黒ジャージだ。


 だからだろう彼を職員か何かだと勘違いした受付嬢は彼を協会利用者として見るのではなく関係者だと思い込んでしまった。


 それは彼にとって都合がよかった。

 下手に呼び止められて変に手続きやらなにやら面倒な事に巻き込まれ時間を食うより、自分の足でリド達を探した方が早いと思っていたからだ。


 アスターは階段を上がり、前に連れてこられた例の部屋に向かった。


(あれ……?)


 誰かしらに会えるだろうと思っていたが、扉を叩いても反応は無かった。


 むしろその隣の執務室も人がいる気配が全く無く、アスターは一階へ降り、ルドラの居城、第二医務室を目指した。


(ここにもいない)


 そこにも人はいなかった。

 

「しょうがない。やっぱり“地下”にいくしかないんだな」

 

 次にアスターが目指したのは、協会の地下最下層だった。


 エレベーターは身分証が無いと作動しないとグレタから事前に聞いていたので、彼はその横の非常階段の扉を迷いなく開けた。


 何故、グレタがそんなことを知っていたかというとグレタは協会所属の元国家魔道士だった。


 滅多に使われない非常階段は、所々蛍光灯が消え薄暗かった。


 地下へと続く階段を段飛ばしに降りて降りて降りて……たまに少し休む。


 膝が笑い足が完全におかしくなった頃、やっと終わりが見えた。


「抑え込め!!」


「こっち魔力足りないんだけど! 補給班早く!」


「……っ」


 扉の先はまだ廊下が続いているというのに、そこまで届く悲痛な叫び声を聞き、彼はドアノブを回す手をついひっこめてしまった。


 得体のしれない恐怖とプレッシャーが彼に重く圧し掛かり呼吸を乱す。


 けれどすぐに何のためにここまで来たのかを考え震える足に気合を入れた。


「よし」


 決意を新たに、彼はまた一歩前に進む。

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