第34話『寄り添うふたり-④-』


 車内は重苦しい空気に包まれていた。


 大きな雨粒がフロントガラスに激しくぶつかり、ワイパーに拭き取られては、同じ光景が繰り返されていく。


「ねぇ室長」


「何かな?」


 後方の荷台スペースで待機するスターチスに助手席に座るルドラが壁越しに語りかける。


「これからどうするおつもりで?」


「――考え中、と言ったら怒るかい?」


「まさか、すぐお答えが聞けたなら、尊敬し直しちゃいますよ」


 考えても考えても何も思いつかず、自分もお手上げなのだとルドラは肩をすくめた。


「今、封緘部ふうかんぶに人員を集めてもらっている。当面は結界を張って凌ぐしかないね」


「そう……ですよね。でも蓋をしても内側から破裂して……少しでも零そうものなら、とんでもない量が溢れてくるんでしょうね。はぁ、こんなになるまで我慢させてたなんて。ほんと馬鹿ですよね……この子も、私達も」


 後悔したところで遅いけれど、とルドラはこぼす。


「そうだね。これは私達の怠慢が招いた結果だ。弁解のしようもない」


「耳が痛いわぁ」


 何を隠そう、ステラに術式を施したのはルドラである。


 ステラに施された術式は全部で三つ。

 一つは魔力の吸収を抑えるもの、次に当時蓄積されていた魔力の殆どを封印し、最後に施した術式は、蛇口のように一度に放出出来うる魔力の量を調整するといったものだった。


 その術式には、強大なステラの魔力を使っている為、半永久的にそれは持続する、はずだった。


 しかし術式を施したところで、いつかこうなるという事は想定していた。


 だから彼女には適度に魔力を発散させるよう、きつく釘を刺していた。


 けれど……肝心なステラが魔法の使用を頑なに嫌がり、彼女は積極的に依頼を受けては魔術を使い消耗した魔具に魔力を注いで来た。


 ミスターという使い魔の存在、そして彼女の家に住まう沢山の精霊・妖精の類もそうだ。彼等は主人であるステラから一定の魔力を供給される契約を結んでいる。


 それだけでも消費にはうってつけだったはずなのに……っとルドラは声を出さず、頭の中で思考を巡らせた。


「……はぁ、だめだわ、完全に舐めてましたよ。あの子の中に眠る魔女の亡霊を」


「あぁ、そうだね」

 

 魔女の亡霊という言葉は、車内の空気を更に重たくさせていく。


「本当、どうしたらいいのかしら……」


「……」


 車は最後の信号を渡り、一行は魔道士協会裏口へ到着した。


 リドは搬入口に近い場所に車を停め、すぐに全員降車する。


「これから暫く休みはあげれそうにないね」


「問題ありません」


「やだ超ブラック」


 おどけるルドラを横目に、氷漬けにしたミスター片手に淡々と裏口のキーロックを開けるリド。


 スターチスは自分の能力で球状に包んだステラを荷台から出し、三人は協会地下最下層へと向かうべく、地下専用エレベーターに足を踏み入れた。





 それは協会にあるどのエレベーターよりも広く、頑丈に作られていた。


 そのせいもあって、エレベーター内はモーター音も聞こえない。

 静寂だけが今の彼等を包んでいる。


 暫くするとエレベーターは最下層へ着いた事を知らせるブザーを鳴らした。


 ここまでくれば、目的地である“封緘の間”はもう目前だ。


 三人は長い廊下を歩き、スターチスが重く閉ざされた分厚い扉に手を掛けた。


 扉を開けた瞬間、四方に置かれた巨大な香炉から放たれる重みのある煙が、三人の体に絡みつく。


「やっと来た。二度寝するかと思った」


 そこで待ち構えていたのは、身の丈ほど大きな揃いの杖を持った黒い退魔ローブを着た一団だった。


 そしてスターチスへ声を掛けたのは、その中でも一際目立つ、砂色の猫耳ポンチョを被った少女の魔道士だった。


 その者は肩口まで伸びた茶色の髪を、深くかぶったフードからちょこんと覗かせ、鈴の音と共に杖に跨り、文字通りスターチスの元へ飛んでいった。

 

「ごめんロジー。封緘部の皆さんも、早くにお呼び立てして申し訳ない」


「問題無い。これもウチ等の仕事。それに君の頼み、断れない。皆もそう、ね?」


「「「「「うーい」」」」」


 ロジーの眠たそうな声に、男達は地鳴りのような低い声で同意し、杖を掲げる。


 スターチスはクスリと笑い、また今度差し入れでも持っていくと礼を言う。


 この一団は魔道士協会封緘部。

 魔法と魔術を巧みに使い、荒れし脅威を封ずる者達である。


 そしてロジーはその若々しく愛らしい見た目とは裏腹に、勤続三十年の大ベテランにしてスターチスの同期、年齢不詳の封緘部部長である。


「じゃさっさとやる。君の影もう持たない」


「ははっ、お察しの通りそろそろ限界でね…………ウチの子をよろしく頼むよ」

 

 いつもより少し情けないその声音に、ロジーは任せろという意味合いを込めて、スターチスの頭を撫でた。


「はじめる」


 影は広間の中心、地面に大きく描かれた複雑な魔法陣の上に移された。


 陣を囲むように立つ封緘部。

 ロジーは部屋の奥、上座で杖を構え、大きく息を吸う。


「いくよ皆!」


「「「「「うーい」」」」」


 ロジーの杖に、赤いリボンで結い付けられた大きな鈴が二回、シャンシャンという音を鳴らす。


 それに続けて男達の杖が床を突く。


 トン、トントン。

 トン、トントントン。


 同じリズムで床を鳴らし、杖の先から青白い光が漏れる。光は陣を這いあっという間に広がって――。


「今っ!」


 叫ぶと同時にスターチスが影を解く。

 熱を帯びたステラの体は、眩い光に捕らえられ宙に浮き、変色した赤髪がまるで生きているかのようにうごめいていた。


「ここは任せて、こちらはも対策を練ろう。皆は?」


「全員待機中です」


「結構。では行こう」


「はっ」


 三人は後ろ髪を引かれながら、踵を返す。

 大切な仲間を救う為に、今、自分達が出来る事を探すのだ。





***


 アスターは濡れた服を着替え、暖炉の前で髪を乾かしていた。


(甘い……)


 グレタから手渡されたホットミルクには、ハチミツが入っていた。


 ヒナがホットミルクを飲む際、ハチミツ入りをリクエストする事から、ついクセで入れてしまったとグレタは目を細める。


「お嬢様は甘めのものがお好きでしてね。坊ちゃんはお嫌でしたか?」


「いえ、俺も……甘いのは好きです」


「良かった」とグレタは微笑む。


「赤髪の、あのお嬢さんが、お噂に聞くステラさんですか」


 噂の出処は言わずもがなミスターである。

 ミスターはいつもヒナやグレタにステラがどんなに優しいか、そして素晴らしいかを力説していた。


「時々……危なっかしくも思えるんですが、良く笑って、どんな事でも真剣に受け止めてくれる。とても良い子です」


「あらあらまぁまぁ、ふふふ」


 グレタは意味ありげに笑う。


「ホホホホ。失礼しました。それはそれは心配でたまりませんね」


「え? ええ心配、です、ね?」


「――しかし、時には待つ事も必要なのですよ。坊ちゃん」


 柔らかな表情が、一転して厳しい顔つきへと変わった。


「ばあやさんもそう言うんですね」


「ええ……。詳しい事情は分かりません。ですが坊ちゃんはまだお小さい。無茶をされては、ステラさんが悲しむのではないですか?」


「確かに、喜びはしないと思います。……でも、この命は彼女に二度も助けられた命なんです。だから俺はその恩を返したい。例え、無駄に命を枯らしたとしても、もしかしたら少しでも時間は稼げるかもしれないから。その稼げた時間で彼女が助かる可能性を上げられるのならって……。それに、やる前から諦めていたら、これからも俺は、誰も守れないまま、何も出来無いまま死んでいくんだと思います」


「坊ちゃん、そんな事は」


 大げさでは無いか?

 というグレタにアスターは首を振る。


「それに……これはミスターには伏せていますが、実は俺子どもじゃないんです。今はこんなナリだから、信じられないかもしれませんが、元の姿は大人でそれに戻る術もあります。見てみますか? すぐにでもお見せ出来ますよ」


 畳み掛けるようなアスターの言葉に、グレタは驚く事も無く、ゆっくり瞳を閉じ軽く息を吐く。


「やっと納得致しました」


「納得……?」


「ええ、ずっと思っておりました。坊ちゃんは子どもらしくない、大変大人びていらっしゃるので」


 前々からそれが引っかかっていたのだと、グレタは口角を上げる。


「大切な方なのですね。ステラさんは」


「はい」


「では、大人である坊ちゃんにお伺いします。どのようなプランをお考えで?」


「プラン……」


「男は度胸、けれど無鉄砲とは違います。目の前の問題をどうやって解決するか。またそれを行ったことで、訪れるかもしれぬ危機をどう乗り越えるか。それを考える必要がございます。例えそれをご自分では実行に移せずとも、周りへの提案はできますでしょう?」


 それはもっともな意見で、グウの音も出なかった。


「――ですから今度はアタクシの番でございますね。坊ちゃん」


「え?」


「先程の坊ちゃんのお言葉です。アタクシも坊ちゃんにお救い頂いた身ですから。出来うる限りを尽くしましょう。こんな老いぼれの、化石に近い頭がお役に立てるかは分かりませんがね」


 その言葉を聞いて、アスターは目頭がじわりと熱くなった。


(あてもなく、どうしようもなかった不安を全部掻っ攫うなんて、この人はどんな魔法を俺に掛けたのだろう)


 アスターの心の内側が、どんどん温かな感情で満たされていく。


「心強い限りです」


「まあ」


 グレタがまた、ふふふと笑う。

 それに釣られて、彼も表情を緩ませた。


「お知恵、拝借します」

 

 彼女の横にまた並べるように。

 あの笑顔を見るために、今はただ前を見据え、動くのだ。

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