第33話『寄り添うふたり-③-』


「ステラちゃん? まだ戻ってないわよ~?」


 夕刻、アスターはステラと一緒に帰る為、いつも通りの時間に協会へ向かった。


 けれどカレンからまだ戻ってきていないと言われ、彼女と合流するまでの間、エントランスで暇を潰す事にしたのだが……。


「クッキーあるけど食べる? あ、でもこんな時間に食べちゃったらご飯入らなくなっちゃうかー」


「そんな、子供じゃないんだから」


 それもそうかとケラケラ笑うカレンから、カラフルにラッピングされた小袋を受け取り、アスターは一度外に出た。


 中身は分厚いスティック状のクッキーだった。


「「オイ小僧、旨ソウナ物ヲ持ッテオルナ」」


 横から首を伸ばすのはガーゴイル兄弟だ。

 ガーゴイルも物を食べるのかと訊くと、食べる事は出来るが、消化に時間が掛かると返答があった。


「へぇ……」

(消化、消化ねぇ)


 消化されたものは、やはり排泄されるのだろうかとアスターは気になってしょうがなかった。


「えと……食う、か?」


「「モラオウ」」


 手の平に置かれたソレを、二匹のガーゴイルは交互についばむ。


 それはさながら鳩に餌付けでもしているかのようで……見てくれがドラゴンに似ている事もあり、アスターは今もの凄いものを手懐けているのではなかろうかとテンションがうなぎのぼりだ。


(凄いがっついてる)


 クッキーはあっという間に食い尽くされ、結局彼は一つも食べることが出来なかった。


 しかしそれ以上のものを得た気がするので満足気だ。


「邪魔」


「わ、ごめんなさい! ってなんだお前か」


 不愛想にアスターに声を掛けたのは、鬼畜ツインテことメリッサだった。


 仕事終わりで髪は下ろされ、いつも着ている灰色のパーカーはファスナーがキッチリ閉じられている。


「あんた、こんなところで何してんのよ」


「ステラを待ってる」


「あっそ」


(え、それだけ?)


 と彼が思う程、メリッサはあっさりとそのまま帰ってしまった。


(あいつ、いつ俺にデレるんだ……)


 なんて彼が考えていると、ガーゴイル達の震えた声が左右から発せられた。


「「悪イコトハ言ワン、アノ娘ニハ近ヅカナイ方ガイイ。アレハ獰猛ナ野獣……ソウ野獣ナノダ……」」


 先ほどまで餌付けされていたガーゴイル達が、今ではもうシャンと背筋を伸ばし、いつもの位置に雄々しく座っていた。


 けれどその体は小刻みに震え、大量に汗をかいている。


 過去に何かあったのだろうか。

 メリッサに対する怯え方が尋常ではなく、アスターは少し気になった。


「あいつに何されたんだよ……」


「「アレハ、末恐ロシイ娘ナノダ……」」


 強面のガーゴイル達が涙目になっていたので、それ以上訊くのははばかれた。


 アスターは考えるのをやめ、空を見る。

 すると――。


「お、遅くなって、すっ、すみませっ」


 息を切らしたステラがやってきた。

 その後二人は帰路に着き、いつもの時間に夕飯を済ませた。


 そして夜は真新しいベッドに潜って、いつもと変わらぬ朝を迎えるものだと、寝る前までの彼は思っていた。





***

 朝起きると、まだ十月に入ったばかりだというのに真冬のように寒かった。


 いつも丁度いい感じに温度調整がなされていた分、寒さが余計に体に堪える。


「さびぃ……」


 アスターは二度寝を決め込もうとしたが、あまりの寒さに目がさえた。

 ブランケットを羽織り部屋を出る。


 階段を一段下る度、冷たくなった白息が、顔にぶつかり消えていく。


「あれ?」


 静まり返ったリビング。

 いつも光の精によって淡く照らされている室内が暗い。


 天井からぶら下がった沢山のガラス玉が空っぽのままだ。


 いつもこの時間には起きているはずのステラの姿も見当たらない。


「珍しいな、まだ寝てるなんて……」


 凍える体を温めようと、ケトルに水を入れ、湯を沸かそうとしたアスターの手がふと止まる。


(開けても……いいんだよな?)


 この家のコンロは構造上は昔ながらの薪ストーブだが、火種は火の精霊だ。


 ステラはいつも炉の扉を開き、薪を一本くべて妖精に火をつけてもらっていた。


 アスターはまだ、この家に沢山住む精霊や妖精を見たことが無く、自分がそれをやってもいいのか戸惑った。


「し、失礼しま~す……」


 恐る恐るコンロ下の小さな小窓を開けて中を覗いた。


 しかし中には何も居なかった。

 扉の内側から何から何まですすで汚れ、燃え残しの薪だけがそこにあるだけだ。


(俺には見えないって事なのか?)


 ならばもうしょうがないと諦め、アスターは待つことにした。


 けれど、それから一時間、二時間と時が過ぎたが、ステラが起きてくる気配はない。


「雨……やみそうにないな」


 窓にぶつかる大きな雨粒。

 それは次第に間隔を狭め、数分後には土砂降りの大雨になっていた。


「そろそろ起こしたほうがいいんだろうか」

 

 時刻は午前七時半。いつもなら食事も終わり、食器を洗っている頃だ。


 仕事があっては大変だと思い、アスターは彼女の部屋に向かう。


「朝だぞー」


 ドアの外から呼びかけるが、反応が無い。

 どうしたのかと部屋に入ると――。


「はぁ……はぁ……っ……」


 苦しそうに呼吸を乱すステラが、ベッドの上に横たわっていた。


「熱っ」


 額に置いた手の平から、人が発しているとは思えない程の熱が伝わり、アスターはついたじろぐ。


「そうだ、熱冷ましか何か――」


 そういったものがどこかに無いか、ミスターに訊いてみようと、彼は急いでミニチュアハウスの屋根を開けた。


「キュゥ……」


「お前もかよ!!」


 不運なことにミスターも高熱を出して伸びていた。


「クソっ」


 もうこの家で動ける者は自分しかいない。

 アスターはミスターをキッチンの水桶に突っ込み、水を出しっぱなしにして急いで家を出た。


 この大雨の中、傘も差さずに道を駆ける子どもに通勤通学途中の道行く人々が驚きの表情を浮かべている。


「痛っ――!」


 雨で濡れ、滑りやすくなった排水溝の蓋に足を取られ、アスターは盛大にこけ、膝を擦りむいた。


 しかし足を止めるわけにはいかない。

 髪を伝い目に入る雨水を拭い、彼は再び走り出す。


 ズキンズキンと膝から血が滲む度、痛みと不安が、涙と共に溢れていく。


(どうしよう、このままステラが死んでしまったら。どうしよう、もうあの子の笑った顔が見れなくなったら。どうしよう……どうしよう)


 不安ばかりが頭を過ぎる。


「開けて、開けてください! すみません!! 誰かっ、誰か居ませんか!!」


 アスターは無理やり柵を抜け、無礼を承知でヒナの屋敷の扉を叩いていた。


「まぁまぁ、坊ちゃん。あらあらどうされたんです泥だらけで。まー! 膝まで擦りむいて、今救急――」


「ばあやさん! 先生に連絡取れませんか!? ステラが凄い熱出しててっ、家には薬も置いて無くてっ!!」


 とにかく大変なのだと彼に説明され、急ぎルドラに連絡を入れたグレタは彼と共に家に向かった。


 しかし二人がそこで目にしたのは……。


「ステラ……?」


 未だ熱にうなされる彼女の髪は、桃色から熟れた林檎のように赤みが増し、床を這うように長く、うごめいていた――。





***


「嘘……、何でこんなに早く……」


 駆けつけたルドラは、ステラを診るなり青い顔でそう言い淀んだ。


「先生、ステラは……」

「……魔力が暴走してるわ」

「じゃ、じゃあ魔力を俺が貰えばいいんですね!」


 そうすればスッキリする。

 簡単な事じゃないかと彼は胸を撫で下ろす。

 しかしルドラの表情は硬く、暗いままだった。


「そう簡単にはいかないの……。この子の魔力は強すぎて……。ちょっと事情があって一部を封じている状態なのよ……。そうね、大きな風船に少しずつ空気を送り込んで、それが今パンパンに膨らんでいる状態って言えば分かるかしら。それと同じよ、そんな状態で変に触れてみなさいな。下手すればこの辺一帯吹き飛ぶかもしれないし、彼女も無事じゃ済まないわ」


「だから俺が魔力をもらえば――」


 手っ取り早いと言い終わる前に、すぐに駄目だと制される。


「この子の魔力を扱う力はずば抜けて高いわ。でもこんな状態の時に調整なんて出来るはずない。貴方の体がもたないわよ」


「それでも、やってみる価値は――」


「駄目だって言ってるだろ!」


 ルドラは声を荒らげた。

 その雄雄しい怒鳴り声に彼が驚き、固まっていると、ルドラはハッとした後、小さく「ごめんなさい」とつぶやく。


「坊ちゃん……」


 部屋から追い出されたアスターはグレタから調理用のボウルを受け取った。


 中には氷水が張られており、ミスターがプカプカ浮かんでいる。


 それから二十分ほどが経っただろうか、表に車が止まりスターチスとリドが駆けつけた。


「あの子は⁉」


 荒々しく玄関のドアを開けたのはスターチスだった。

 その後ろにリドが続く。


「そ、そこの部屋です」

「おい、ソレもこちらで預かる。渡せ」


 ボウルの中のミスターを指さされ「でも」と口籠くちごもるアスターに、リドは怒鳴り散らす。 


「お節介も大概にしろと言ったはずだ! これは遊びじゃない、彼女の命にかかわる事だとこの状況を見て何故理解しない! これ以上お前の自己満足に彼女を巻き込まないでくれ!」


「っ!」


 リドは大きくため息を吐く。


「……現状、お前に出来ることは何一つない。いいから早くソレを寄越せ」


 アスターはもう何も言えなかった。

 いつもの冷静さは微塵も無く、凍てつく空気と殺気を纏うリドにミスターを託し、閉じらたステラの部屋の扉をただ呆然と見るしかなかった。


「とにかく運ぼう」


 中では一通り話を終えたスターチスが、おもむろにステラから毛布を剥ぎ取ると、体から無数の黒い触手を伸ばし、そのまま彼女を包み込んだ。


 それはすぐに丸い球体となり、慌ただしく窓から出しては、二人が乗ってきた黒いバンの荷台へ運んだ。


 車は丸い球体と二人と一匹、そしてルドラを連れてあっという間に走り去ってしまった。


「……」


 雨の降る中、アスターは道に立ち、車の去った方向をただ眺めていた。


「何も出来なかった……」


 髪を伝い、肌を濡らす雨はどんどん彼の体温を奪っては地面で跳ね、足に小さな泥を付けていく。


「坊ちゃん……」


 なんて声を掛けるべきか迷い、立ちすくんでいたグレタがこのままでは風邪を引くと傘とタオルを差し出した。


 ボタボタと雨が傘に当たって弾ける音が耳を突く。


「……俺、どうしたらいいんですかね」


 彼等の間に入る事も、傍で見守る事さえも出来無い。


 完全なる蚊帳の外。

 リドの言葉が頭に響く。

 自分には何も出来ない、出来ることと言えば、このままただじっと待つしかないのか。


「それもそれで辛いな」


 小さな体に似合わぬ焦燥感。

 それを見てグレタは言葉に詰まっている。


「すみません、変な事言って」


「いいえ坊ちゃん、……温かいミルクでも如何です? ここはお寒いでしょう?」


「はい……すみません。頂きます」


 グレタの温かな好意に比例して、彼の中では寂しさが増していく。


(あぁ彼女が……皆が遠い)


 アスターは、自分が本当に無力なのだと思い知る。

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