【番外編】リド・ハーツイーズの追想

※この物語はリドの過去話、リド視点です。

 リドの何かが失われています。ご注意ください。





 俺にはふたりの姉がいる。

 十歳年上の可愛い物にとにかく目がないマイペースな姉と、その二つ下の騎士道を地でいく自分にも人にも厳しい姉だ。


 小さな頃から男は強くあるものだと毎日剣の相手をさせられ下の姉貴には扱かれた。それだけなら自分の身になるのでどんなに辛くても納得も我慢も出来た。


 しかしあれは俺が十歳になった年の事。

 下の姉が修道院に入った頃から、それまで害のなかった上の姉が、己が内に秘めていたであろう悪癖を拗らせてしまった。


 これが俺にとってあまりに耐え難く、憂鬱で……ついに我慢の限界が来てしまい、初めて家出した過去がある――。



 その日も上の姉に弄ばれ、俺の格好は散々たるものだった。


 花飾りが縫い付けられたサンダルを用意され、水色のリボンが腰に付いた白のサマードレスとフリルまみれの手袋。頭には大輪の花が咲く可愛らしい麦わら帽子を被らされていた。


 そう悪癖とは弟を女装させて遊ぶ事。

 きっと寂しさ故の過ちなのだと、上の姉の気が済むまでと思い、嫌々付き合っていたのが良くなかった。


『ぼっ……坊っちゃま……⁉︎』


『!』


 メイドのひとりにその姿を見られてしまった。幼かった俺は、それが死ぬほど恥ずかしくて気がついた時にはもう家を飛び出していた。


 しかし、そのままの格好で出てきてしまい、すぐに後悔する事になる。


 こんな姿で見知った人間に出会ってなるものかとがむしゃらに走った。走って走って、見慣れぬ景色に辺りが変わった頃。


『グルルル…』


『!』


 路地裏で寝ていた野良犬の尻尾を踏み付けてしまい、追い掛け回された。

 子供の足で逃げ切れるわけもなくすぐに追いつかれ野良犬の牙がドレスを裂く。


『うわぁあああ!!』


 次は足を噛まれると覚悟した瞬間。パンッと何かが破裂する音が鳴り、驚いた犬が一瞬怯む。


『こっち!』


 突然誰かが叫んで、俺の手を引いた。

 その人物は俺よりも小さな背丈で、桃色の髪を二つに結った女の子だった。


 これが俺と彼女の出会い。

 俺の初恋の思い出だ。

 


『こ、ここまで、くれば、もう、だいじょうぶ――』


 街の中を駆け回り、犬の鳴き声が聞こえなくなった頃。俺達は息を切らし、林の奥の少し拓けた草むらに座り込んでいた。


『あ、ありがとう。その……助けてくれて』


 礼を言うと少女はふにゃりと顔を綻ばせ、ころころ笑った。


 しばらく走り回っていたからか、腹の虫が鳴き、空腹を知らる。


 彼女はそれを聞いて、すっと立ち上がり、辺りをキョロキョロ伺い歩き出した。


『ど、どこ行くの!?』


 俺は慌てて彼女の後を追った。

 彼女が向かった先には、甘い香りを放つ一本の木が生えていた。


 しかし木に実る沢山の小さな赤い実は、子供の俺達には届きそうにない位置に生えていた。


 登ればとれるだろうかと考えたが、ハッと自分の格好を思い出し、踏み止まった。


 そんな俺に少女は待つように言い。慣れた手つきで木によじ登り、次々その実を摘み取ってスカートにためていく。


『ふんふんふふ~ん。落とすから、ちゃんとうけとって、えーと……くださいね?』


 彼女はそう言いつつニッコリ笑って、もぎ取った小さな実を、上から俺に向かってパラパラ落とした。


 俺は彼女の真似をして、それをスカートで受け取ると、彼女はころころ笑って降りてきて、それからその実を二人揃って並んで食べた。


 その実は甘くて時々すっぱい、ちょっと不思議な味がした。


 食べて暫くすると、彼女はふと『あ』っと声を上げた。


『たいへん。そこ、やぶけてる』

『これはさっき、犬に――』


 説明している最中に、俺に立ち上がるよう言って彼女はしゃがみ込んだ。


 何だろうと思っていると、少女はうーんと頭を傾げ、暫く破けた箇所を手に取っては、何やら凄く悩んでいた。


 その時、彼女の胸元に、赤い宝石がはめ込まれた大きな逆十字のネックレスが見えた。


『……でき、ました!』


 突然パっと明るい声を出し、彼女がウサギみたいにぴょんと跳ねる。

 

『あり、がとう……』


 改めて礼を言うと、彼女はまたころころ笑った。


 そしてふいに彼女が空を見上げたので、釣られて俺も空を見た。


『あめ、ふるかも、です。そろそろかえろ?』


『…………で、でも、どうやって帰ればいいか、わからなくて……』


『まいごだったの、です?』


『……う、ん……』


 その時の俺は、曇り空のせいか、それとも自分が迷子だと思い出したからか、途端寂しさと不安が自分の中で弾けて、情けないことに泣いてしまった。


『だいじょうぶ……です、からね』


 涙で濡れた俺の手に、彼女はそっと手を重ね、大丈夫、大丈夫と慰めてくれた。


 その時の彼女が俺に掛けた言葉と、手袋越しの小さな手の温もりは、今でも鮮明に覚えている。


 それから少しして、俺は彼女に連れられ、林を抜け、大きな通りまで歩いて出た。


 そこに見覚えのある地名の書かれたバスを偶然見つけ、急いで乗り込んだ。


『じゃあ、またね!』


『う、うん! 絶対! 絶対また会いにくるよ!』


『待ってるね!』


 そう言って彼女と別れ、俺は家路についた。





『今までどこに行ってたの!! それにその格好は何!?』


 家に戻るなり、無残な姿を母に見つかり、問い詰められた。


『?』


 その時ソファに座らされ、違和感を感じて後ろを調べると、あの少女が髪に付けていたヘアピンがドレスの裂け目に付いていた。あの時、これを付けていたのかと納得する。


 その間も母からは何があったのかとキツく問われた。


 言っていいものか悩んでいると、そこに上の姉が現れ、自分からそれを話してくれた。


 理由が理由だけに母には泣かれたが、その後、姉から女装を強要される事は無くなった。


 ただこれは、反省中に妹が出来たと聞き、公に可愛らしく着飾られる相手が出来た為だと邪推する。

 

 けれど俺は、それから彼女に会っていない。


 正確には、思い出の地に出向いても会えなかった。


 この地から引っ越したのだろうか? せめて名前を聞いておけば良かったと、あのヘアピンを眺め思いを馳せる日々が続く。



 そして……就職したての魔道士協会で、俺は彼女と再開した。


 桃色の髪に、白い肌と真っ赤な瞳。そしてネックレスからブローチへ形を変えていていた赤い宝石の嵌った逆十字の装飾品。


 色褪せることのない思い出の中の彼女は、変わらぬ姿で俺の前に現れた。


 変わった事と言えば、あの頃無理に丁寧に話そうとしていた、たどたどしかった口調がすっかり板についていた事くらいである。


 けれど、あの時の話を振る事は出来無い。

 何故なら、彼女の記憶に残っていたとしても、それは女同士の記憶だろうから。



 それから彼女に気持ちを伝えれぬまま、彼女が大変な時に支えてやることも出来ず、その隣を素性も分からぬ異界人に奪われた。


 その男は、俺の出来ない事を軽々とやってのけ、平然と彼女の隣に居続けている。


 俺の心はずっともやもやしたままだ。

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