記憶の海に溺れて(下)
第37話『君を想えど-①-』
彼等が家に帰れたのは夕刻をとうに過ぎてからだった。
ステラは昨夜の残り物を温め、その隣でアスターが食器をいつもより一人分増やして夕飯の用意をしている。
「酷い目にあった……」
そこに羽毛だらけで疲労困憊状態のリドが戻る。
「おつかれー」
「ごめんねレグさんのご飯、任せちゃって」
「あ、いや……別にこれくらい……」
リドはレグの洗礼を受けていた。
何故リドがこの家にいるかと言うと、話は彼女が目を覚ます前まで遡る。
***
『ただいまー……』
執務室の扉を開けて早々、疲れ切った声を発したスターチスに、リド、メリッサ、クロエの三人は同時に席を立ちリドが口を開く。
『お疲れ様です。それで彼女の処遇は……』
『んー、“最果ての塔送り”――』
『『『!』』』
『には、ならずに済んだよ。“今回”は』
少し意地悪な言葉選びに一瞬表情を強張らせた一同であったが、次の瞬間には安堵の表情を浮かべていた。
『クロエ君ー、お茶淹れてもらっていいかな? 出来れば火傷するくらい熱い奴』
『は、はい! ただいまっ』
相当疲れが溜まっているのか、スターチスは自分の席に着くや否や、また大きくため息を吐き、だらしないと自覚しつつもネクタイを緩めた。
何故ここまで彼が疲れているかというとスターチスは今の今まで協会上層部による査問を受けていた。
といっても二時間続いた査問の内のほとんどの時間はステラ・メイセンの今後の対応についてである為、厳密には査問ですらないのだが……。
スターチスはまた深いため息を吐くと、天井を見上げ、ポツリと
『塔行きは免れたけど、保護観察処分だって』
『!』
『そんな……! 犯罪を犯したわけでもないのに!?』
『まあもう“三度目”だからね』
『……っ!』
それでもと声を荒げるメリッサにスターチスは目を伏せる。
実のところ、今回のようなことは今に始まったことではなかった。
ステラは過去に二度魔力暴走を起こし、それが原因で一年半前、国家魔道士免許を剥奪されている。
『協会は……あの子からどれだけ自由を奪えば気が済むの……』
メリッサが吐いたこの言葉に、辺りの空気は一層重くなった。
ステラ・メイセンは人の世を脅かす“危険分子”であると、協会は判断したのだ。
『それでまあ、これは彼女が拒む事かもしれないけれど。……使えるものは使えと、“そういう意見”も出た上で今回の処置なんだよね』
『どういう意味ですか?』
リドが首を傾げる。
使えるものとは何なのか、素直にわからなかったからだ。
『アスター君さ』
『!』
スターチスは続ける。
彼は彼女の魔力をその身に受けれる、唯一の存在なのだから……と。
『ただ彼はまだ力の使い方もわかっていない不安定な状態だ。だから、もしもの時に備えて彼には早いところ自覚してもらわなくちゃいけない。――なので急な話にはなるんだけど。彼を臨時職員としてウチで雇うことにしました』
『はあ……えっ? どういうこと?』
『臨時職員、ですか?』
『正気ですか?』
自分の力も満足に扱えないものを雇って何をさせるというのか、ましてスターチス率いるこの部署は危機管理部ライネック特別対策課。
戦闘経験の無い完全ド素人である上、過去寄生されたこともあるというのに危険では無いかと疑問は絶えない。
『まー皆の言いたいことはわかるんだけど、実は他の部でも彼が欲しいと言われててね。でもほら一旦引き渡してしまったら何されるかわかったものじゃないだろう? だからまあウチで“雇う”というか実質もう“保護”だよね』
実際問題、ライネックが人に寄生したという件は初めてのケースであり貴重なサンプルだ。
そんな対象が存在するのならばノドから手が出るほど欲しいだろう。
それが普通の研究であれば、何の問題もないのだが、もし彼の身が過激な思考の持ち主等に渡ったら非人道的な扱いを受けかねないのである。
『それにほら、最近は特にライネックの発生件数が上がってきているだろう? だから彼にはここで事務作業をしてもらって、見回りを強化していこうかなと』
『そういうことなら……』
前線に出ないのであれば文句はないと、メリッサとクロエは顔を見合わせるが、リドは眉間に皺を寄せたままだ。
スターチスはリドに視線を合わせる。
『事務作業の傍ら、彼には早いところ力の使い方を覚えてもらわなければならない。そこでリド君、君には暫くの間アスター君と行動を共にしてもらいます』
『なっ!』
『事務作業は私が教えるから、君は魔力コントロールと力の使い方を教えてあげてほしいんだ。君得意だろ? そういうの』
『……拒否権は、無いんですね』
『うん。決定事項、ごめんね』
『……』
リドは暫く押し黙り、苦悶の表情を浮かべながら、小さくその任を了承した。
その横でメリッサが、そっとリドのデスクに新品の頭痛薬を箱ごと置く。
この薬もきっと一週間持たないなとメリッサは遠くを見た。
***
という事があり、今に至る。
詳しい事情は本人に伏せられているが、安定した収入が得られることにアスターは喜び、二つ返事で了承が得られた。
またステラも上の判断についてはかなり迷ったが、彼の為だと説得され、不安ながらもそれを受けることにした次第である。
「あ」
食事も終え、ステラはリドに二階にもうひと部屋あるが、物置になっているという事と、古いベッドは諸事情により使い物にならない事を伝えた。
そして今の時期ソファで寝るには寒いし、今晩の寝床はどうしようかという話になった。
「寝袋を持ってきている」
「用意良すぎだろ」
「……お前は、居候までいる家に、迷惑だと分かっていながら手ぶらで行くのか?」
「う……」
一を言えば、嫌みを含んで威力十倍にして返してくるこの男に、アスターは暫くこれを相手にしないといけないのかと、早くも不安でいっぱいだ。
その夜、リドはアスターの部屋で寝袋を広げた。
視界に入れると寝付けないと思ったアスターは、壁に向かって寝る体勢を取る。
それからどれくらい経っただろう。
窓辺に置いたランプが壁のシミを照らし、ゆらゆらと影を揺らす中、不意にリドが口を開いた。
「一つ、言っておきたい事がある」
「……何をだ」
アスターは体勢を変えること無く返答した。
「俺は……控え目に言ってお前が嫌いだ」
「えぇ、ほんといきなり何ぃ?」
それ“死ぬほど嫌い”って言ってるようなもんだぞ、と突っ込みを入れたくなったアスターだったが、なんだかそういう雰囲気では無いと察し、でかかった言葉をグッと奥へ引っ込めた。
「お前のその、ヘラヘラと締まりのない顔や、無鉄砲に何にでも首を突っ込んでいくお節介さとか、後先の考えなさは正直虫唾が走る」
「ちょっ待った待った。凄くグサグサ来て辛いんだけど、ほんと何なの!?」
つまり何が言いたいのだと問うと、リドは口をへの字に曲げ、苦虫を噛み潰したように言葉を続けた。
「だが、お前にはその……感謝、している。だから……今日、お前に言った言葉は撤回しておく。……すまなかった」
あの時の言葉。
それはステラを運び出す前にリドが彼に放った言葉だ。
それを聞きアスターはため息を吐く。
(ああ、そうか、そういえばこいつは)
「お前ほんっとにステラのこと好きだよな」
「はっはぁ!? なんっ僕がっ!?」
相当焦っているのだろう、リドは自分の事をつい僕と口走った。
普段すましているだけに、その焦りようが新鮮で、アスターの口元がつい緩む。
「その態度見て気がつかない奴は相当だと思うぞ」
「んなっ!」
リドは半身を起こし、慌てふためく。
けれど撃ち返されたのは、アスターが思っていたものとは違う返しだった。
「おっお前だって、彼女に気があるんじゃないのか!?」
「はぁっ!?」
「だってそうだろう! 彼女の事を愛していなければあんな無茶な事なんか!」
「あっあああ愛って! 何言ってんだお前っ!?」
姿が変われば骨折も瞬時に治る都合が良い体なのだ、何を恐れる事があるか。
それに彼女はまだ幼い。
馬鹿な事を言うんじゃないとアスターは言うが、リドは取り合わない。
「いやまあ確かに可愛いよ、それに家庭的で良い子だと思うけどもだ」
「だろう? 彼女は素晴らしい女性だからな、ってやはりお前」
「いや、だから人の話は最後まで聞けってば」
始終疑いの目を向けるリドの目線を外し、アスターは窓の外を見る。
「確かに一緒にいると凄く安心するけど、これはそういうんじゃないんだよ」
「お前は何を言っている?」
「……いや、だからな? 本当アレなんだって、恩返し的な感じなわけさ。俺はこっちに来てまだ日が浅いけど、受けた恩は一生かかっても返せないくらいでかいから、今は少しでもそれを返したいんだ」
それが今の、彼女に対する正直な気持ちだと、彼はきっぱり言い切った。
「その顔、さては信じてないな?」
「信用できない」
リドはまだ疑いの目を向けている。
(めんどくさい奴だな……)
「じゃあ、あれだ、お前の恋路が上手くいくよう協力してやるから」
「何!?」
「つっても俺には何もないから、お前らが二人っきりになれるように空気読んで適当に席外すってことくらいしか出来そうにないけどな」
「本当か!?」
「だから恩返しするのは多目にみてくれ」
毎回変な誤解をされるのは堪らんと、アスターはリドを見た。
これにリドはとても複雑そうな表情を浮かべ「多少だぞ」と念を押す。
(本当にめんどくさいな)
放っておいたら延々この話になりそうだと思ったアスターは、そういえばと前置いて話を変えることにした。
「ミスターって今どこにいるんだ? あれから全然見てないんだけど」
「……ああ、“アレ”か」
リドの声が一気にトーンダウンする。
そして自身の傍らに置いていた大きな鞄を漁り、ゴトリと何かを取り出した。
「お前それ……」
それは氷漬けにされたミスターだった。
リド曰く、ずっと凍らせたまま持ち歩いていたそうだ。
「それ死んで……」
「生きてる」
「いや、だってそれ絶対――」
「冬眠のようなものだ」
(いやいや! モロ氷漬けだから!)
彼がその言葉を必死でこらえていると、リドはハッキリ言い放つ。
「騒がしいのは嫌いなんだ」
それはもう真面目に嫌悪感を露わにするものだから、自分がああいうタイプの人間じゃなくて良かったとアスターは心底思った。
どうやら、いくら彼女の事を好いていてもミスターだけは受け入れられないようだ。
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