第38話『君を想えど-②-』
翌朝からいつもと違う日常が始まった。
アスターは協会支給の黒ジャージを着てリドと共に協会へ向かい、言われるがままに席に着く。
あてがわれた席は入り口すぐのデスク。
年代を感じさせる木製のワークデスクは、今は使われていないはずなのに、埃や手垢の一つも付いていない程、手入れが行き届いていた。
(暇だ)
ただ座らせられてる状態というのは拷問に近いとアスターは思い知る。
リドはまるで話し掛けるなとでも言わんばかりに、ノートパソコンと向かい合い、入力作業に勤しんでいる。
アスターは三十分程、小気味よいリズムを奏でるタイプ音を聞いて、何もない壁を眺める作業を強いられたのだ。
「おはよ~」
暇死にそうな所に、スターチスの間延びした声が響く。
「あーそうだった、そうだった。今日からアスター君がいるんだった」
「お……お邪魔、して、ます」
「嘘、嘘。冗談だって」
なんて挨拶を交わしながら、彼は内心、やっとできた話し相手に喜んでいた。
「あ、そうだこれ」
「??」
スターチスは一度荷物を机に置くと、手にすっぽり収まる大きさの、仰々しい黒い箱をアスターに差し出した。
箱の中身をその場で取り出すと、リド達が襟元に付けているものと同じ、六芒星の描かれた金のバッジが収まっていた。
「こ、これは……?」
「身分証みたいなものかな。あ、絶対に失くさないようにね、悪用されると後が面倒だから」
それと自分のことは名前ではなく、室長と呼ぶようにとスターチスは続けた。
「で、君にしてもらう仕事は――で、――をこうして、これをああして――」
「室長、パンクしてます」
「おや」
スターチスは、こと仕事に関しては詰め込み型だった。
次々出てくる情報に、アスターの脳は追い付いていない。
「ごめんごめん、そうだよねそうなるよね」
「す、すみません……、ちょっと専門用語が多すぎて……」
「まあ君にはちょっと優先して覚えてもらいたいこともあるから、仕事のことは少しずつおぼえていこうか」
「はい……」
これは先が長そうだとリドは思った。
「おはよーござ――、うげ、まだでっかいままなワケ? 早く小さくなりなさいよ。暑苦しい」
(こっちが本来のサイズなんだが……)
そうこうしている内に、メリッサも出勤してきた。
アスターへの塩対応っぷりは今日も絶好調である。
それからクロエも加わり簡単な朝礼をした後、女子組は外へ見回りに、男衆は執務室に残り事務作業に執りかかる。
「さっき言ってた君に優先してやってもらいたい事なんだけどね。はいこれ」
「これは?」
(ビー玉……??)
受け取ったのは二つの小さな球体だった。
ひとつは濃い赤色で、もうひとつは気泡一つ無い透き通った水色をしていた。
「それは昔、私が使っていた精霊石ね」
「精霊石?」
「なんていったらわかりやすいかな、力の宿る石? うーん電池はわかる?」
「電池ならわかります」
お互い、どこまでがわかる言葉なのかわからないので探り探りである。
「精霊の力……まあ魔力を込めた石だね」
そう言われ、アスターは手に持った球をマジマジと見なおした。
(ビー玉にしか見えん……)
はて、それでその“精霊石”がどうしたのかと彼が首を傾げていると、スターチスはこの精霊石を使い、魔力の流れを掴んで欲しいと彼に伝えた。
「ずっと言われてたからわかってると思うけど、君の魔力タンクは蛇口が開いたままになってる。みたいな話しをしていたろう? ステラ君の魔力を消費するにはうってつけなんだけど、ずっとそれっていうのもね。君の体も不安定なままだし、君から放たれた魔力にあてられて、周りに影響も出かねない。だからまず魔力がどんなものなのか感じとってもらって、自分で蛇口を閉めれるようになってほしいんだ」
そして最終的には魔法を覚え、ステラの魔力消費を手伝えという。
(そうだよな、それに依存しすぎてもな)
ステラも年頃の女の子だ。
その内好いた相手ができるかもしれない。
恩返しするしない以前に、そういったとき、自分の存在が邪魔にならないよう、自立する必要がある。
(あれ? でも……)
「そういえば、なんで俺なんですか? 皆でステラから魔力を貰って協力してあげれば――」
確実だろうし、効率は良いだろうに。
そうアスターが言おうとした瞬間、スターチスの表情が明らかに曇る。
「それが出来ないからお前に言っている」
スターチスの代わりに口を開いたのは、黙々と事務処理をしていたリドである。
出来ない? 何故? アスターがそう聞き返すと、今度はスターチスが悲しげに呟く。
「君達の魔力は特殊でね。我々とは波長が合わないんだ」
「波長?」
「うーん。どう言ったら分かりやすいかな……あー、えーと例えば、血液型がA型の人間に、Bの型の血を輸血すると混ざり合ってAB型になるなんてことはなく、拒絶反応を起こすだろう? そういう感じだと言えば分かるかな?」
吸血鬼のスターチスらしい例えだった。
魔道士といっても万能ではない。
体質的に受け付けない属性が少なからずあり、それによって体内を流れる魔力の質が違うのだ。
「私達があの
「悔しいが、今はお前に頼るほか無い」
出来ることなら頼みたくないが、とリドの言葉からそう読み取れた。
「俺、魔法どころか魔術も使えないし、精霊とか、妖精とかも全然見えないままだけど出来るんでしょうか」
「出来るよ」
弱気な発言をする彼に、スターチスは優しく微笑む。
けれど、そのやり方をリドから教わるようにと言われ、早速壁が立ちはだかってしまったのは言うまでもない。
「お、俺に、出来ますかね……」
「大丈夫だって。それに彼こう見えて“教員免許”持ってるんだよ」
「えっ!?」
意外、という一言がつい口から洩れ、アスターは慌てて口を塞ぐ。
恐る恐る振り返ると、背後で苦虫を噛み潰したような、心底迷惑そうな顔で彼を睨むリドと目が合った。
リドのストレスもマッハだが、アスターのストレスもマッハである。
「――最初に、それ一つで新車が一台買えると言っておく」
それとは精霊石のことである。
(つまり二つで新車二台分!?)
「おおおおお返しします!」
「えー駄目だよー、もう渡したからねー?」
「いやいやいや! 万が一なくしでもしたら、弁償のしようが無いデスから!」
(てかもうこれフラグだ! 絶対なくす系の奴だ!)
パニックである。
「精々大事にする事だ」
「うわー……」
守れない約束には返事が出来無い。
そんな朝の出来事だった。
***
一方その頃のアリア。
「――もう!! まだ臭い!!」
持ち帰ったスプリガンの左手をホルマリン液から出し、ずっと洗っていたのだが、それはとにかく臭かった。
吐くとかそういうレベルを超えた刺激臭に、流石のアリアも泣きべそをかく。
目を刺すような激臭から度々逃げては、風呂に入っての繰り返しだ。
「本当、不愉快極まりない臭いだわ!」
不快な臭いは、洗ったばかりの髪や肌から漂い、何度風呂に入ってもまとわりついたままだ。
「ねぇ、まぁだ?」
天蓋付きのベッドの上。
アリアの長い黒髪を黒騎士セイジがブラシで整える最中、後ろからセイジに抱きついたのは、半身に小さな鱗を持つ妖艶な女シャノンである。
「ちょっと! その下品な胸をセージに近づけないでって、言ってるでしょう!」
「いいじゃない、別にこれくらい。案外彼も喜んでるんじゃないかしら?」
「そんなわけないでしょ!?」
シャノンはアリアが伸ばした手を軽く撥ね退け、胸元が大胆に開かれた黒檀色のロングドレスから、溢れんばかりのたわわな胸をセイジの背中に押し当て続けた。
「ねぇガロン。貴方もこーんなちんちくりんのお嬢ちゃんより、私にこうされてる方がいいって思うわよねぇ?」
「誰がちんちくりんよ!!」
アリアは枕に手を伸ばし、シャノンの頭目掛け何度も何度も振り下ろした。
少々癖のあるシャノンの長い緑髪が、枕から飛び出た羽毛と絡まっていく。
「色魔っ色ボケ! おっぱいお化け!! こんなことならあの鳥女の方がマシだわ!」
尚も続くセイジ争奪戦。
そのやり取りを執事姿の男ガロンが、またかと遠巻きに眺めている。
褐色の肌、黒い
(帰りたい……)
心の底からそう願うガロンであった。
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