第50話『おかえりミスター!-⑦-』
その後、ステラが部屋に訪れ、彼等の心臓は一時停止する勢いだった。
しかし当の本人は気にしておらず、逆に申し訳ないと謝られてしまった。
腑に落ちないまま、眠りに付く男衆。
「……」
深夜、寝静まった室内でうごめく黒い影。
影の正体は言わずもがなミスターだ。
「はぁ……」
あれもダメ、これもダメ、ここまでの作戦は全て失敗に終わっている。
アスターを追い出すにはどうすればいいのか、答えは出ない。
しかし、何もしないのも癪に障るので、とりあえず嫌がらせはしとこうと、今日もアスターの寝所へ忍び込むのだった。
(この家に男は……、いや、コイツはいらねぇ。だってコイツは、絶対アイツを泣かせるから――)
小さな胸に刻まれた、あの時誓った確かな記憶。それはミスターがステラと契約を交わす前まで遡る。
***
『ミスター! ミスター・フロッグ=ダフニエール!』
『おん?』
ある夏の日のこと。
いつものように庭の池で涼をとっていたとき、ミスターは前契約者である魔道士ミラに呼ばれた。
何事かと思ったミスターは、すぐ館に戻ったのだが、彼を待っていたのはミラだけでは無かった。
『こんにちはミスター』
『誰だぁ? おめぇ』
銀色の長髪にたれ目がちな瞳の長身の男。
男はスターチス・カーターと名乗り、小さな女児を連れていた。
少女は虚ろな目をしていた。
全てに絶望しているような、生気の無い赤い瞳。
着ている服は上等なのに、桃色の髪は髪質が悪くボサボサで、目の下のクマは濃く、まるで病人のようだった。
『その子は、お前の新しい飼い主だよ』
『は?』
ミスターは何の冗談だと笑った。
使い魔の契約というのは基本的に一生涯。
契約者か使い魔、どちらか死ぬまで継続されるからである。
『本気さね。お前は今日、今この時をもってその子の僕になるのさ』
そういってミラは一枚の羊皮紙を取り出した。それは彼女とミスターの血で描かれた契約書。
この契約書がある限り、ミスターはミラに逆らえず、ミラもミスターに対価を払い続けねばならない。
『私ももういい歳だ。このままお前を養うにはきつい体になったのさ』
『!』
ミラの齢は七十八。
魔道士としてはまだまだ現役だが、身体は人間、もう無理は出来ない。
けれど、当のミスターは逆である。
契約を交わした頃のミスターは、まだ小さく、そこまで魔力を要しなかった。
しかし身体は年々大きくなり、必要な魔力も二倍、三倍それ以上と膨れに膨れ、いつしか歳老いたミラの手に余る存在となってしまった。
だからと言って、新しい契約者がこんな幼子ではすぐに契約は破綻してしまう。
あと単純に、どう見ても訳ありで、尚且つ幼すぎる主人になんてつきたくなかったミスターはミラとの契約続行を切望した。
『もう決めたよ。それに……この子の力はお前が思っているほど弱くはないよ』
そういってミラは少女を手招いた。
『ステラ、ミスターにお前の力を見せておあげ』
『……』
ステラはコクリと頷き、虚ろな目のまま手の平に火球を出した。
火はゆらゆら揺れ、徐々に小さな人の形を成していく。
『その子は火の精霊イグニスだったね』
スターチスがステラに優しく問い、ステラはまたコクリと頷く。
『他の精霊も見せてあげることは、できるかな?』
『……』
その後、ステラは火の精霊だけでなく、水の精霊、風の精霊、光の精霊と全部で七つの精霊達を出してみせ、ミスターを仰天させた。
通常、魔道士というのは二つか三つの属性しか扱えない。
それを七つ、しかもその歳で精霊を使役・具象化させる力を持つ者など、はじめてみたからだ。
『この子は精霊使い。馬鹿弟子の娘だよ』
『アイツの?』
厳密に言えばステラは養女で血の繋がりはないのだが。
『なら尚更御免だね』
ミスターはミラの弟子、つまりステラの養父とは元々相性が悪い。
それも相手は意思の疎通が難しそうな幼子だ。そんな相手に使い魔として接することも、お守りも無理であると突っぱねる。
『だからさ、お前も知ってるだろ? あの子はあの性格だ。こんな小さな子を男手ひとつで育てられるわけがない。現に見てみろ、娘を弟子に任せて
だからお前が行ってこいと、ミラはミスターとの契約書に筆を入れ始める。
赤黒いインクは、契約者であるミラの血だ。
『やめろミラ! 俺様はまだ――!』
制止むなしく、契約は破棄された。
燃えにくい筈の羊皮紙は、あっという間に灰となり宙を舞って消えていく。
『ゲコッ――、ゲコゲコォ! グワッグワグゴォオオ!!』
一方的とはいえ、契約を破棄されたミスターはもう人語が話せない。
魔力供給が絶たれ今は二足歩行も出来ず、正真正銘のただの蛙に戻ってしまっては、直に魔力が尽きて老化が始まってしまう。
だからミスターは選ぶことができなかった。
『ミラっ、テメェ!』
無事ステラとの契約を終えたミスターは、開口一番、前契約者であるミラに恨み辛みの罵詈雑言を浴びせかけようとした。
けれど、その身体に再び通い始めた魔力の質に気がつき、醜く歪んでいた顔は、すぐに恍惚の表情へと変わる。
ステラ・メイセンの魔力は極上だったのだ。
『なん、だ、こりゃ……』
数多の精霊を使役しているというのに、良質の魔力が大量に流れ込んでいく。
一度その味を知れば、もう戻れない。
ミスターは蜜のように甘いステラの魔力にもうぞっこんだ。
『まったく、あの馬鹿弟子ときたら、こんな時まで孫弟子を使いおって』
『師匠は忙しい身ですから』
『お前がそうやって甘やかすからいかんのさ、娘のことくらい自分でやれと断れ』
『それはちょっと、私も耳が痛いです』
『ったく、この馬鹿弟子どもめ! 今に家族に刺されるぞ』
ミラはスターチスの脇腹を小突いた。
こうして、ミスターはステラ・メイセンの使い魔となった。
そしてその日の夜、ミスターは夢を見た。
見渡す限りの荒野に並ぶ、幾百の同胞達が一瞬にして血と肉塊になる夢を。
『うわぁああああああああ!! ――っ、ウブッ、オヴェエ!!』
その生々しい映像に、ミスターは耐え切れず嘔吐した。夕食で食べた未消化の鶏肉と胃液が枕元に散る。
『はぁ、はぁ、はぁ、はぁ――!』
(なんだ、あの夢……)
心臓は痛いほど激しく脈打っている。
今まで見てきた悪夢を、凝縮してもしたりないほど悪趣味な夢だった。
落ち着けと自分に言い聞かせても、脂汗は止まらず、夢で見た光景がまた脳に焼き付いて離れない。
『う……っく、うぅ……』
あまりのことに動揺し、周りを見る余裕がなかったミスターは、ようやくその声に気が付いた。
すすり泣く少女の声。
ステラ・メイセンは夢の中に囚われたまま、滂沱の涙を流し泣いていた。
『この
『あ?』
明かりを持ったスターチスが、いつの間にか部屋にきていた。
『本当に酷い夢なんだね。いつもこんなに泣いて……、朝まで泣き腫らして……、さっきの君のように、起きぬけに吐くこともよくあるんだ』
『もしかして、さっきのクソみてぇな夢は……』
そうミスターが言ったところで、スターチスはステラの頭を撫で抱き起こした。
小さな身体が、さらに幼く赤子のように弱弱しく見える。
『君達はこの娘と深く繋がるから、きっと同じ夢を見るんだろうね』
毎日、毎晩。
薬や術で眠らせても、その悪夢は繰り返され、誰も干渉できなかった。
幼いステラの心は、とっくの昔に限界を迎えているというのに、誰も彼女を救ってやれない。
ステラの養父もスターチスも、その悪夢を彼女と分かち合うことも出来ない。
『もどかしいよ……』
小さな子一人救えず、何が国家魔道士か。
スターチスはそう小さく呟いて、ステラの涙を指で拭う。
『ミスター、君はこの娘と苦しみを分かち合うことが出来る。だから……私達の代わりに彼女の心を救って……守ってやってくれないか』
スターチス達には、彼女がどんな夢を見ているのかわからない。
カウンセリングにかかろうにも、彼女は失語症を患うほど心に傷を負っている。
けれど他者を介して情報が得られるのならまだ道はある。
ここでやっとミスターは理解した。
ステラが病人のようにやつれているワケを。難しい言葉を読み書きできるのに、彼女が喋れないそのワケを――。
(俺様が守ってやらねぇと)
ミスターはその日、彼女を守る騎士になると誓ったのだった。
***
(やっとあの夢を見なくなったってぇのに)
アスターが来てから、ステラはまた悪夢を見だしている。
最初は小さな体で行く当てもない可哀相なアスターと過去の自分を重ねて、思い出してしまったのかと思った。
けれどアスターが子どもではないと知ってしまった。あとやっぱり羨ましい。
複雑な感情を胸に、ミスターは毛布の中を進んで、さあそろそろ目的地周辺だと思ったその時。
「やっぱりお前か! ミスター!!」
「!」
毛布が剥ぎ取られ明かりが灯された。
眩しさに目が眩み、ミスターは身悶える。
「もう、今までどこに行ってたの。心配したのよ」
そんなミスターを優しく抱き上げたのは、ステラである。
「おま、なんでここにっ」
「貴方が変なことをするからでしょう? 何年一緒にいると思っているの」
ステラには全てお見通しだった。
「駄目じゃない、こんなことして」
アスターに迷惑かけるなと、ミスターが反論する前に懇々と説教するステラ。
それに助け舟を出したのは、今回一番の被害者であるアスターだった。
「ごめん、実は俺達が悪いんだ」
「え?」
「リド」
もう腹をくくろう。
そうアスターに言われ、リドは渋々今回の原因と考えられる自分達の行動について、ステラに説明した。
「ミスターが怒るのも無理はないんだ」
「あらら」
「……すまなかった。どうしても、君に言い出せなくて……」
「ミスターもごめんな」
「おっ俺様は! 俺様は……」
そんな理由じゃない。
そう言いたかったけれど、言葉は喉元でつっかえて出てこなかった。
アスターは、彼女の中に亡霊が巣くっているとまだ知らない。
でも彼のおかげで今、ステラがこうして穏やかに過ごせていることをここでやっと思い出す。
ぐるぐる、ぐるぐる。
不安や嫉妬、怒りの感情の中に、感謝の気持ちが少しずつ混じっていく。
「おおお、俺様はまだ認めねぇからなー!」
「あ、ミスター!」
複雑な気持ちを胸に、ミスターは部屋を飛び出していった。
「あいつ、またっ!」
すぐに追おうとするアスターを、ステラは引き止めた。
「もう大丈夫だと思いますよ」
「え?」
「わかるんです。私には」
だって、ミスターは大事な家族で、パートナーだからとステラは微笑むのだった。
全裸キスから始まるやさしい異世界恋物語 守山かなえ @kanae_m
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