第49話『おかえりミスター!-⑥-』

 目当ての物を探し終えたリドは、荷物をまとめ自室を出るところだった。


「私に挨拶もせず行くつもりか?」


「……いらしていたのですか」


 リドに声を掛けたのは、藍色の艶やかな長い髪を高い位置で一つに結った、とても凛々しい顔立ちをした若い女だった。


 女は赤い絨毯の引かれた長く立派な廊下に仁王立ちで構え、リドに圧のある面差しを向けている。


「ああ、こちらには今朝着いた。暫く滞在する予定だ」


義兄にいさんもご一緒にですか?」

「いやあれは置いてきた。最近何かと小煩こうるさいからな」


 毎日毎日飽きもせず、そろそろ息が詰まりそうだと女はぼやく。


「それは姉上の、身重の妻の体を心配しておられての事でしょうに。いい加減わかってあげてください」


 女の名はグレイス、殲滅の守護者グレイスという異名を持つ、ガレナ修道院の元戦乙女ことハーツイーズ家の二番目の娘。

 つまりリドの姉である。


「あれは過保護が過ぎるのだ。まったく、必要ないと言っておるのに安定期に入る前から育児休暇なぞ取りおってからに」


「それほど大事にされているのです。良いではありませんか」


「ちっとも良くない。ろくに引き継ぎも終わらぬ状態で休暇に入ったのだ、おかげで毎時毎晩、奴の部下が引っ切り無しに泣き言の電話を寄越してくる始末。これでは体を壊す一方だ」


 その話を聞きながら、リドはなるほどと一人納得した。


「ああ、だからお一人で戻られたのですか。“義兄さんの負担を減らすために”」 


 腹に自分との子を宿す妻と、自分都合で放ぽりだしてしまった仕事。


 どちらも大切だからこそ、なんとかしようと日々奮闘する義理の兄。


 グレイスは日に日にボロボロになっていく夫を見るのが辛かったのだ。


 安定期に入った頃合いを見て、彼が仕事に集中できるよう、グレイスを安心して送り出せる場所であるこの実家に戻ってきたというわけだ。


「わ、私は電話の声が煩くてかなわんから避難してきただけだ。勝手な憶測でものをいうんじゃない」


 男のように凛々しい顔が、一瞬だけ女の顔になる。


(殲滅の守護者グレイスも形無しだな)


 きっと義理の兄は、いつもの調子で「決定事項だ」と言い放たれたに違いない。


 グレイスはこと夫の前では、弱いところをなかなか見せない。


 素直になれば良いものを、我が姉ながら不器用な人だとリドは義理の兄を不憫に思うのだった。


「モニカには会ってやらんのか?」


「今日はこれを取りにきただけですから」


 リドの手元には、くたびれた児童用の教材が数冊握られていた。








 その日の夜。

 食後の片付けが終わった頃、アスターはリドから一冊の本を渡された。


「やさしい魔法の使い方?」


「家にあった物の中で、一番初歩的なことが書かれているものを持ってきた」


「もしかして、今日はこれを取りに帰ってたのか?」


「ああ、誰かさんがまっっったく上達する気配がな――、なんだその顔は」


 ふとリドが横を向くと、アスターがなんとも言えない顔をしていて、はす向かいに座るステラもニコニコ柔らかな表情でリドを見ていた。


 何だかんだ言ってリドも優しい男なのだ。


「と、とにかく教科書を開け。七頁目『魔力の発生について』から始めるぞ」


「あー、そのことなんだけど」


「?」


「実はスタ――、室長から言われてたことが出来るようになりまして」


「はっ!?」


 あれだけ懇切丁寧に教え込んでも出来なかったことを、何故突然出来るようになったのだと、ステラにでも教えてもらったのかとリドが問うも、彼女も初耳だと首を振る。


「人間って、極限状態に陥ると案外何でも出来るもんなんだなぁって……」


 まるで悟りを開いたかのような顔で、明後日の方向を見るアスター。


 あの後何があったかと言うと、スターチスより預かり肌身離さず持ち歩いていた超高級精霊石の魔力を、以前藤四郎から貰いただのネックレスと化していた水の魔具に移し、ステラに教わった呪文を用いてウォシュレットを自力生成し、窮地を脱していたのである。


「い、意味が解らない」


「私達が居ない間に一体何が……」


「色々あったんだよ……」


 こうして、ついにアスターは魔力供給方を会得したかのように思えたが、事実は違ったりする。


「ぐぬぬぬ……」


 ダイニングで和やかに話す三人を、天井裏から覗く小さな影があった。


「クソォ、アクアの野郎、邪魔しやがってぇ!」


 影の正体は言わずもがなミスターである。

 今回の一件の首謀者はもちろんコイツだ。


 そしてアスターは勘違いしているが、今日、彼は魔法も魔術も使えていない。

 そもそも魔具に魔力が移せたとして、彼は陣の存在を忘れていた。


 ステラの使う上級魔具なら陣を描かずとも発動できるが、彼の持つ初心者用の魔具は陣が必須なのだ。


 つまり事実は、ミスターの嫌がらせを不憫に思った水の精霊アクアによって、助けられていただけなのである。


「ふん、まあいい。次の仕込みはもう終わってる頃だしな。次だ、次こそアイツをこの家から……フ、フハハハッ! フヒャヒャヒャヒャヒャ!」


 醜く笑うミスターの、歪に押し殺した笑い声が屋根裏に響く。

 ミスターによるアスター追い出し作戦は、着々と進んでいた。





【二階・アスターの部屋】

「はー」


 何だかんだ色々あった一日を終え、アスターはベッドに飛び乗った。

 その後ろで、埃が舞うからやめろとリドは窘たしなめる。


「明日も朝早いんだよな?」


「ああ、昨日と同じ時間に出る」


 枕元の大量の目覚まし時計をセットし、リドは寝る準備を進めた。

 そんな姿を見ながら、アスターも布団に潜ったのだが……。


「ん?」


 肩まで毛布を被ったとき、左足に何かが触れた気がした。

 アスターはその違和感の正体が何なのか、布団を捲って確かめる。


「なんだこれ?」


 シーツと毛布の間から、拳大の白い布の塊が出てきた。


 布には小さな花柄模様が描かれており、折りこまれるように畳まれていた。


(ハンカチ? じゃないな)


 明らかに形状も質感も違う。

 アスターは不思議に思い、広げてみると……。


「ああなんだ、パンツか」


 布の正体はパンツだった。

 それも女性用下着、つまりステラのものとみられるパンツである。

 ここでやっと正気に戻る。


「どぅおおおお!!」


 驚きのあまり、アスターはパンツを床に投げてしまった。

 

「お、お前、それ……」


 そしてリドと目が合い、一気に全身から血の気が引く。


 リドは今、何を思っているのだろうか。

 ステラ大好きマンの彼が、アスターの話をまともに聞いてくれるとは思えない。


 パニクった脳みそをフル回転させても、氷漬けにされる未来しか見えず、心臓は爆音を奏で暴れている。


「はっ!」


 しかし彼は気付いてしまった。

 青い顔で、戸惑いの表情を浮かべているリドの手にも水色の縞パンが握られていることを。


「まさかっ、お前のとこにも!?」


 コクリ、リドは頷く。


「寝袋の中に、入っていた……」


 男達の狼狽えようは酷いものだった。







 一方その頃、ステラの部屋。


「???」


 ステラの寝床にも、アスターとリドの下着が仕込まれていた。

 サイズ違いのボクサーパンツを目の前に、何故こんな所に紛れているのかとステラは首を傾げる。 


 どうやらミスターが頼んでいた“仕込み”に手違いが生じているようだ。

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