第47話『おかえりミスター!-④-』
「クソっ、どうなってやがんだコイツァよぉ……」
暗闇の中、ミスターはリドの寝袋の前で、苦悶の表情を浮かべていた。
「……全然隙がねぇ!」
リドに嫌がらせをしようにも、一歩近づく度にミスターは凍てつく氷の攻撃……という名の凄まじい冷気によって冬眠一歩手前まで追い込まれていた。
「ぅーん……」
「!」
物音と共に、真後ろから別の男のうめき声が上がった。
「寒さぶい……」
もぞもぞと毛布や布団を手繰り寄せ、身を縮めて暖を取るアスター。
しかしその声と姿を目にしたミスターは混乱する。
(だっ、誰だコイツ――!?)
そうミスターは未だにアスターの青年状態の姿を目にした事が無かったのだ。
(一体全体なにがどうなってやがる。なんでこの部屋に野郎が二人居るんだ? ここはあのクソチビの部屋だったハズ――)
混乱した小さな脳で、精一杯考えたミスター。しかしそう簡単に答えが出るばずもなく……というか、ミスターは考えるのをやめた。
(とりあえず、今日はこっちにしとくか)
その決断に至るまで、僅か三秒である。
***
アスターの目覚めは最悪だった。
まだ明け方にもなっていない深夜帯。
この時間に目が覚めても、いつもなら二度寝を決め込むところだが、どうも嫌な感じがしていて、彼は起きることにしたのである。
「……?」
その感触を確かめながら布団を捲り、枕元のランプ片手にそっと半身を起こす。
そして現実を直視し、絶望した。
「嘘だろ……」
どう見ても布団と下半身が濡れている。
(やっちまったのか!? この歳で!?)
一気に血の気が引く。
そして同時に、このあとどうすればいいのかを彼は考え始めた。
(隠す? 後々匂いでバレるだろうし、今後ここで寝続けるなんて考えられない。洗う? バレずに一階まで運んで洗うなんて不可能だ。干す? どこにだ)
全ての選択肢が詰んでいた。
「いや……でもあの子なら……」
正直にやってしまった事を言ったとして、彼女はどんな反応をするだろう。
ステラの事だ、人をからかったり、傷つけたりする言動は絶対にしないはずだとアスターは思う。
「よし、ここは素直に――」
「……うるさい……さっきから何をやっている…………」
「!?」
(馬鹿なっ、究極に寝起きの悪いリドが目を覚ましただと!?)
彼は突然のことに動揺し、固まってしまった。
それを怪しんだリドは、寝袋のまま器用に起き上がり、彼が止める間もなく全てを見てしまう。
「……」
リドは何とも言えない表情でアスターを見ている。
「……」
(無言が逆に辛い)
「せめて……せめて何か言ってくれ……」
「言っても良かったのか。……正直、いや、かなり引いた」
「お前はそういう奴だよな。わかってた、わかってたよ」
なんて冷静に返せても、彼の心はズタボロだ。
「……今回だけだぞ」
「えっ」
リドがため息混じりにそう呟くと、寝袋を全て脱ぎ、窓を開けた。
冷たい外気が部屋の中にどんどん流れ込んでいく。
「何を――」
アスターが聞き終わる前に、リドが彼に向かって指をくるくる動かした。
その動きに連動するかのように、シーツと彼の衣類から液体が空中に染み出し、みるみる大きな球状になっていった。
そして、指先を窓に向かってスイっと動かすと、球体が勢いよく外に飛んで、パチンと小さな氷の結晶となってはじけて消えた。
「何がどうなって――」
何食わぬ顔で窓を閉めるリドと、“そんなことなんて最初から無かった”かのように、すっかり乾いてしまったシーツを交互に見て、呆気にとられた。
「彼女には黙っておいてやる。だから、これで貸し借り無しだ」
淡々と言い放ち、寝袋へ戻っていくリド。
どうやら彼は、リドの魔法でこの窮地を脱したらしい。
そんなこんなで迎えた翌朝も、リドから放たれた冷気でアスターの体は芯まで冷えきっていた。
もしやこれが夜中の騒動の原因なんじゃないかと思いつつ、沢山の目覚ましに囲まれているリドを横目に一階へ降りる。
「おはようございます」
「お、おはよ」
リビング前でステラに声をかけられた。
手には野菜いっぱいのカゴをぶら下げている。今日の収穫を終え、戻ってきたところのようだ。
「今日も寒いな」
「温かい飲み物でも淹れましょうか。甘い系にしますか? それとも――」
「甘い系がいいな」
「はいはい」
そんな会話をしながら、暖炉前で差し出されたホットチョコレートを飲む。
曰く、そのホットチョコレートは昨日偶然ヴィンヤード家のメイド長、グレタに会い、貰った物らしい。
「ふいー」
「そういえばアスターさ……。あら」
ステラが何かを言いかけたと同時に、“いつもの違和感”に襲われた。
(あぁ、この感じはいつものアレか)
「戻っちゃいましたね」
「戻ったっていうか、あっちが本来の俺だからね?」
「ふふ、そうでしたね」
アスターの体は、また子供のように小さく縮んでしまった。一方その頃。
(あんのクソガキィ……! そういう事だったんかいワレェ!)
ミスターは天井裏で知ってしまった。
今までアスターの事を子供だと信じて疑わなかったミスターは、自分がずっと騙されていたという事、そして以前赤子になったアスターに、ステラが不意に漏らした『まだ縮むなんて……』という言葉の意味をここでようやく理解したのだった。
当初、自分をこんな目に合わせたリドに復讐するという目的でずっと機会を伺っていたミスター。
しかしアスターの正体を知り、静かに憤怒する。
(つー事はなにかぁ?)
ミスターは思い出した。
あれはアスターが初めてこの家に来た日の事だ。
彼は彼女の部屋でステラの胸の中に抱かれていた。
正直、ミスターはそれが羨ましかった。
自分がステラに近付けば、確実に投げられるから余計にである。
(でも、でもそらァ、アイツがガキだと思ったからで……)
最初から知っていれば、あの時彼を許す事もヒナを紹介する事も無かった。
そして、彼に対する身の振り方も、今とは全く違っていただろう。
(全部、全部……嘘だった……)
覗き穴の向こうで楽しそうに談笑する二人。
それを見た途端、ミスターの中でドス黒い何かが弾け、体の隅々まで広がっていく。
「――てやる。アイツ……ぜってぇこの家から追い出してやる!!」
その顔は怒りに満ち、いつにも増して醜く歪んでいた。
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