第46話『おかえりミスター!-③-』

「うん。術式も正常に作用してるし、昨日より数値も安定してる」


 検査も終わり、ベッドの上で服を整えるステラに向かって、ルドラはカーテン越しに結果を報告した。


 それを聞いて、ステラは胸を撫で下ろす。


「ねぇ、ステラちゃん」


「はい?」


「もっと積極的に魔力消費したほうがいいんじゃないかしら」


「それは……」


 ルドラの言葉に、彼女はギュッとシーツを握る。


 今、ステラがやっている事といえば、アスターや契約精霊やミスターに魔力を分け与え、魔術で使用した魔石に魔力を補充する事のみで、魔法という魔法は使っていない。


 だからいくら強い封印術式を施したとしても、またなにかの拍子に壊れてしまわないとも限らない。


 今回はアスターの無謀な、しかし勇気ある行動のおかげで助かったが……次も同じように上手くいくとは限らないのだ。


「こないだの件で貴女、また上に目をつけられてるわ。それに……室長もそろそろ庇いきれなくなってると思う」


「……はい」


「不安になる気持ちも分かるけど。……私、もう嫌よ……。ステラちゃんがまたあんなになるとこ……絶対見たくないし、やりたくない」


「…………はい」


 震える二つの声。

 ルドラは自分が施す術式で、彼女の心がまた壊れてしまうのではと怖かった。


 そして彼女は力を使うのが怖かった。

 彼女の見る悪夢が……血に濡れ、荒野に立つあの光景が頭に過る。


「……っ」


 震える体を必死に自分で抱きとめる。

 けれど震えは収まらない。

 それ程、あの悪夢は彼女にとって恐ろしい物なのだ。


 いつか自分自身が周りをそうしてしまうのではないかと、不安で押しつぶされそうになる。


「そんな簡単に割り切れるものじゃないって貴女が一番よく分かってるわよね…………ごめんなさい。焦らせるようなこと言って」


「……」


「でもね、これだけは知っていて欲しいの。あのね……私は、私達はね。この先どんな事があっても、ずっとずっと……貴女の味方なんだからね」

 

 ルドラの言葉に、ステラは溢れる涙を抑えきれなかった。


 未だ震える彼女の背中を、ルドラはそっと抱きとめた。





***


(昨日は結局見つからなかったなー)


 もしかしたら拾得物として警察に届けられていないかともアスターは思ったが、既に届出は出していたとのことで、連絡待ちの状態だった。


 なので今日は朝から見回りに同行させて貰うという名目で街に出て、リドはいつもの見回りルートをメインで探し。アスターはリドにかなりしぶられたがメモを頼りに別行動をとっていた。


「本当に、どこやったんだよまったく……」


 彼が一番怪しいと思った場所。

 それは一昨日リドが出動した現場だった。

 そこは協会から少し離れたオフィス街で、着いて早々、植え込みの中を探してみたり、どこかで鞄を保管してはいないかと周囲に聞き込みをしたり、出来る限りの事をしたのだが、結果は見事に惨敗。


 今は諦め、昼に一度落ち合おうと決めていた協会近くのカフェに向かって歩いている。


「――し。もし――」


「はぁ……」


 吐いた息が外気に冷やされ、白くなって顔にぶつかる。


(このまま鞄が見つからなかったらどうしよう。ミスターは、あの状態のままでいたら、どうなってしまうんだろう)


 鬱々した気分で足先を見ていた、その時だ。


「両手を頭の後ろへ回し、地面に伏せろ!」


「!?」


 声と同時に彼の体は動いていた。

 しかし加減が分からず、アスファルトに激しく額をぶつけてしまう。


「痛っ――――!」


「もう、やり過ぎです!」


「申し訳ありませんセレスタ様。こちらの方が早いと思いまして」


 悶絶している中聞こえた二人の女の声。

 その声の主達は――。


「あ!」

 

 恐る恐る見上げると、水色のドレスに身を包み、電動車椅子に乗る聖女セレスタと、それを護る金髪碧眼のシスターレムリアがそこに立っていた。


(ぼーっとして気がつかなかった)


 いつの間にか協会横にある修道院の近くまで戻ってきていたようだ。


「ごめんなさい。ウチの者が」


 柵の内側で深々と頭を下げる聖女と、その横のレムリア。


 レムリアの眼光はリド並み、いや、それ以上に鋭く、不機嫌オーラがだだ漏れだったため、アスターは思わず後ずさりした。


「あら大変! 血が!」


「へ?」


 言われてやっと気がついた。

 先ほどぶつけた額は熱を持ち、じわりと血が滲んでいた。


「早くこちらへいらして、今すぐ手当をしますから」


「だ、大丈夫ですこれくらい! 唾でもつけときゃ治ります!」


 と全力で断ったアスターであったが。

 結局その後、修道院の正門横の警備室で傷の手当を受けることになった。


「何かすみません」 


「……いえ」


 彼の手当をしたのはレムリアだった。

 目が合うたびに眉間の皺は深まるばかりで、今も物凄い顔で睨まれ続けている。


 そろそろ刺されるんじゃなかろうかとアスターは気が気じゃなく、心臓が落ち着かないでいた。


「先程は随分と浮かない顔をされていましたが、どうかされたのですか?」


「あ、あぁえーと、ちょっと探し物が見つからなくて……」


「まぁ、そうでしたの」

 

 そう言うと、聖女はポンと手を合わせ、怪我をさせてしまったお詫びに、探し物を手伝わせてくれないかと申し出た。

 

「いけません! そのようなことにお力を使うなんて!」


 間髪入れずにレムリアが制止する。

 それに聖女は、若干声のトーンを落とし、笑顔を向けた。


「レム~? 元はといえば、これは貴女の責任じゃありませんこと~?」


「ぐっ……」


「で、す、よ、ね~?」


「はい、申し訳ありませ……」 


わたくしにではないでしょ~?」


「……さ、先程は大変失礼致しましたっ」


「い、いえいえ、いえいえいえいえ!」

(わぁ、苦虫を噛み潰したような顔をしていらっしゃる)


 けれどその顔はアスターにしか見えてない。


 とりあえずこれ以上の面倒ごとはごめんだとアスターは笑って済ませることにした。


「さて、仲直りも済んだ事ですし。本題に入りましょうか」


(本当に協力してくれるのか)


 とはいえ有難いことである。

 なにせ彼女は、触れた者の未来を見ることのできる先視の聖女なのだから。


「それでは、手を出してくださいまし」


「あ、はい」


 彼の出した手は、両手とも聖女にそっと握られた。


「では、そのお探し物の事を考えてくださいな。出来るだけ強く、鮮明に」


 アスターは言われた通りに鞄を思い浮かべた。


 紺色の布地に赤と白のラインが入った肩掛けの鞄。彼はずっとそれを探している。


「お探し物は鞄ですね? ……あら、これは魔道士協会の中かしら。エプロンを着けた女性が預かっているようですわ。その方から受け取っている貴方が見えます」


「えっ!」


 エプロンを着けた女性、カレンである。

 まさかそんなに身近にあるとは、完全に盲点だったとアスターは半目になった。


「けれどその鞄を開けて、慌てている貴方も見えます」


「え?」


 どういう事だろうと思い、話を聞くと、驚いたことに鞄の中身は空だという。


「あっ赤いマフラーを着けた、このくらいの蛙を探してるんですが!」


「蛙……」


「二足歩行で声がすっごいしゃがれてて、女癖と性格と顔がとにかく気持ち悪い蛙です!」


「まあ」


 アスターは身振り手振り、出来るだけ詳しく説明した。


 物凄い形相をレムリアにされたが、聖女はパッと表情を変え、柔らかい表情でころころ笑う。


「え、えと?」


「ふ、ふふ。も、申し訳ありません。ふふふっ、だ、大丈夫。ちゃんと、ふふふ。近いうちに会えますわ」


「本当ですか!?」


「ええ、必ず」


 時折笑いを堪えながら、聖女はだから安心しろと彼に言う。


 小さくなったアスターが、ミスターと話している場面が見えたそうだ。

 それを聞いて彼は心底ホッとした。


(そう言えばアイツ、藤四郎さんの店から家まで自力で帰ってこれるんだった)


「お役に立てたようで良かったですわ」


「ほんっとにありがとうございます! すげぇ助かりました!」


「あらあらまぁまぁ」


 アスターはついテンションが上がってしまい、ギュッと手を握り返した。


 それをレムリアに舌打ちされ、ハッと我に返る。


「じゃ、じゃあ俺はこの辺で!」


「あら、もう少しゆっくりされても――」


「あ、いや、実はこれからリドと待ち合わせをしてまして」


「あら。それはそれは。ではあの方にも宜しくお伝えくださいまし」


「は、はい! じゃ! しし失礼しゃす!!」


「ふふふ。またいつでもいらして下さいね」


 こうしてアスターは、レムリアに睨まれながら足早に修道院を後にした。





***


 その夜、その者は住み慣れた我が家の敷地にやっと戻る事が出来た。


 蔓の巻き付いた鉄製の門を潜り、不規則に敷き詰めたタイルのアプローチを跳ねて、まっすぐ家へ進んでいく。


 体の小さな自分用にと主人が設えた専用の入り口を使おうとせず。玄関脇に植えられた一本の蔓薔薇の木を伝い、上に上にと器用に登っていった。


 登った先にあるものは、廊下に面した窓と、とある部屋の窓。


 少し前まで空き室だったその部屋は、今は事情があって居候の男二人が使用している。


 目指す場所はこの部屋だ。

 しかし直接その窓を開けて入ったりはしない。何故なら、流れ込んだ冷たい外気によって、その主達が目覚めるといった事は避けねばならないからだ。


「……よし」


 男達が寝ている事を確認し、その者はさらに上へと登っていった。


 しかし屋根の上には登らない。

 目指すは屋根と壁の間である。


 そこには横に伸びた小さな亀裂があり、その者は小さな体を滑り込ませるように進んでいく。


 そう、この亀裂はこの家の主さえ知らない、その者だけの秘密の入口。

 そこに入ってしまえば、もう何も恐る事はない。ここは小さき者の城。


 どこへ行けばどこに出るか、その者は熟知していた。


「ククク……おっと」


 漏れ出る笑いを抑え、真に目指す場所へと進む。


 水気を含んだ体は、体液と土と埃が混じった独特の臭気を纏い、天井板を踏む度に小さな不快な音を出している。


「……ぅ……ん」


「……」


 男達が寝返りを打てば歩みを止めた。

 今存在を知られるわけにはいかない。


 彼の者は息を潜め、好機を待つとまたその歩みを進めた。


 ゆっくりと確実に、寝息を立てる男の元へと忍び寄る。


「……」


 リドの眠る寝袋へ、ようやくたどり着いた小さな背中。

 月下に照らされたその顔は、不気味な笑みを浮かべていた――。

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