第44話『おかえりミスター!-①-』

 ズ……ズ…………。

 “それ”は外を目指していた。


「う……うぅ……」


 頭が重く、視界もハッキリしない。

 長らく自由を奪われていたせいか、体の感覚がまだ戻りきれていない。


「クソ……」


 けれど“その者”は必死にもがく。

 もがいて、もがいて、やっと外の光と風を浴びた。


「ハァー!」


 新鮮な空気を肺に目一杯吸い込み、全身に行き渡せる。


 脳は徐々に覚醒し、その眼はカッと見開いた。


「あんのスカシ野郎……! ぜってぇ、ぜってぇ許さねぇ……!」


 “その者”は憎い憎いと、“ある男”に復讐する事を誓う。





***


 あれからリドが戻り、その後すぐにメリッサが医務室から戻ってきた。


 メリッサの足を見ると、バス事件の時に彼女の腕や拳に付いていた赤黒い金属が足先からふくらはぎにかけてを覆っていた。


「!」


 席に着くなり、それはドロリと溶けて何処かに消える。


(魔法なのかな?)


 少し気になったアスターだったが、その下から現れた痛々しいほどに包帯が巻かれ、ガッチリ固定された足を見てしまい、本当に捻挫だったのか、ヒビでも入っていたのではと、すぐに心配な気持ちに変わる。


『ただの捻挫よ。その内治るわ』


 その視線に気がついたのか、メリッサが溜め息混じりに呟く。


『大体、なんでアンタが気にするのよ。これは私の自業自得なんだし、アンタはいつも通りウザったらしく、へらへらしてなさいよ』


『なにげに酷いな。そうだ魔法でちゃちゃーと治してもらえば――』


『それは無理だな』


『うん、無理かなー』


 彼の提案に相槌を打つどころか、リドとスターチスは全力で否定する。

 そしてリドは続ける。

 『つい先日、お前の怪我を治したばかりだからな』と。


『俺のせい?』


 どういう事だろうと疑問に思っていると、今度はスターチスがそれに続く。


『治癒魔法っていうのはね、使える人間が少ない上に、人から人へと生命力オドを分ける、まさに命を削る魔法なんだ。だから普通の魔法より体力的にも消費が激しくて、そう簡単に使わせられないんだよ』


(あ、そういう)


『ま、今は医療技術はかなり進んでるから、お医者さんに任せた方がいいのさ』


『な、なるほど』

 

 というわけで暫くの間、リドが外へ見回りに行くことになった。

 それが昨日の事である。



「ミスターが居ない?」


 朝食を食べていると、ステラがやっとその話題を口にした。


 アスターはその原因を知っているので、チラリと隣のリドを見る。


「ヒナちゃんの所にも居ないらしくて」


「お、おぉそうだな。そういえば最近見てないな。うん、見てないな――」


 と言いつつ彼の知る限りミスターはリドのバッグの中で氷漬けになったままである。


「もしかして、どこかで事故とか」


「それは無いだろう」


「え?」


「アレに何かあれば、君にはそれが分かる筈だ」


 ちぎったパンを口に含みながら、いけしゃあしゃあとリドが言う。


「確かにそうだけど、でも……」


「きっとその内、ひょっこり戻る」


(それはつまり、そろそろミスターを解凍してやろうという気になったという事だろうか)


「……そう、だよね。うん。もう少し待ってみる」


「い、一応俺もその辺探してみるよ」


 ヘタにその事を知っていた分、なんだか自分まで悪い事をしているような、謎の罪悪感でいっぱいで、アスターはついそんな嘘をついてしまった。


 それに彼女は「助かります」と無理やり笑っているような、心底悲しそうな顔をしていたので、罪悪感は増すばかりだ。


(それもこれも全部リドのせいなのに)


 当のリドは、何食わぬ顔で食後の紅茶を飲んでいた。





 その後、一行はいつものバスで協会へ行き、エントランスでステラと別れ、リドとアスターの二人でいつもの執務室へ向かっていたのだが……。


「まずい事になった」


 二階へ上がる階段の前で、急にリドが立ち止まり、妙な事を言い出した。


「いきなりどうした」


 何事だろうかと、リドに理由を訊こうとするが、よほど言いにくいのか、口ごもってしまい、ソワソワと落ち着きがない。


 顔も心なしか青いような、具合でも悪いのかと思っていたのだが、どうもそうでは無いようだ。


「?」


 変に急かして、いつもみたく自分にダメージが返ってくるのは嫌だったので、アスターは待つ事にした。


 しかしどんなに待っても、リドがその先を口にしない。


(まずい事とは、どのくらいまずい事なんだろうか。俺に関係がある事なのか? それとも……)


 悶々とした気持ちのまま、暫くそこに立つ二人。


 ふと気が付くと、ほかの協会職員達もまばらに出勤しだしていた。


「……」


 リドもそれに気が付いた。

 腕時計をチラリと見ると「……また、後で話す」そうポツリと呟いて、何事もなかったかのように、スタスタと階段の方へ歩き出した。


(何だったんだ?)







***


 一方その頃のアリア達。


「……せ、成功よ」


 ここ数日、例のスプリガンの標本が放つ激臭と戦っていたアリアだったが、試行錯誤の上、その長い戦いにようやく終止符を打ち、人探しの術を掛けることに成功していた。


「おめでとうございます」


 自慢の黒髪を乱しながらも、子供のように喜ぶアリアに、パチパチとやる気のないまばらな拍手を遠巻きに送るガロン。


 一方セイジの横に陣取るシャノンは、その“仕上がり”がどうしても気になるらしく不満顔だ。


「ねぇ、ホントにそれで行くの?」


 シャノンが指差すその先にあるもの、それはスプリガンの左手である。


 だたその左手は薄いピンク色のゴム手袋で何重にも包まれ、腕の断面側は輪ゴムで閉じられているというシュールな状態になっていた。


 その上、人探しの術のせいで、引っくり返って蠢く虫のようにうごうご指先を動かし、非常に気持ち悪い動きを見せているからドン引きである。


「だって、臭いと集中出来ないじゃない」


「それだってゴム臭いじゃないの」


「我慢できる程度ってもんがあるでしょう!?」


「臭いっていうか、そもそも見た目が我慢できる範囲を超えてるんだけど」


「私は我慢出来るもん!」


 シャノンの不満にヒステリックに応戦するアリア。


 しかしこの不毛な言い争いを収めたのは、意外なことにガロンであった。


「術が切れる前に……“兄さん”を探さなくて、いいんですか?」


「「……」」


 もっともな意見である。


「い、今やろうと思ってたの!」


 そう言って威勢良く啖呵を切るアリアは、それに手を伸ばし、ひっくり返した。


 途端、それはカサカサと指を動かし、キャビネットの下を潜り、勢いよく壁にぶつかった後、器用にカーテンをよじ登って、開け放たれていた窓から外へ出て行ってしまった。

 

「…………」


 その様子に呆気に取られるアリアとシャノン。


「……追わなくていいんですか?」


 ガロンのその一言で、アリアはハッと我に返り、すぐにセイジに指示を出す。


「セージ! 命令よ! 私を抱えて早くアレを追いかけて! ダッシュ!」


「……」


 セイジは言われた通りに動き、そして窓枠に足をかけた。


 彼が動く度、その黒き鎧は音を出し、窓を降りた拍子に赤い裏地の漆黒のマントがバサリと舞う。

 

「あなた達も早く! アレは一度走り出したら術が切れるまで止まらないのよ――!」


 金属音に混じり、まだ部屋に残るシャノンとガロンに向かってアリアが叫ぶ。


 それに動揺を隠せないシャノン。

 乗り物にも乗らず走るなんて、そんな原始的な方法で行くなんて思いもよらなかったからだ。


「ああいう使い方なの!? 嘘でしょ!?」


「姉さん、とりあえず行きましょう。このままでは見失ってしまいます」


「貴方ももっと驚きなさいよ!?」


「えぇ。とても気持ち悪かったですね」


「そっち!?」


 こうして、アリアの“彼”を探す旅がようやくスタートした。


 ただ、いきなり過ぎて全員窓から出た挙句、誰一人財布を持っていないと一同が気が付くまで、後一時間掛かるという事を、この時のアリア達はまだ知らない。

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