第41話『君を想えど-⑤-』
誰かが嗚咽を漏らしながら、シクシクと泣いている。
声はどこから聞こえてくるのだろうか。
***
「う……」
息苦しさで彼が目を覚ました時、光源が一つもない“闇”が目の前に広がっていた。
指先すら見えない状況にゾッとした。
(俺はいま、何処にいるんだ?)
部屋に充満していた湿気や埃の匂いがこれっぽっちもしない。
という事は、今、彼は先ほどとは別の場所にいるということだ。
それを理解した瞬間、更に血の気が引き、体は恐怖で震えだす。
(暗い、独り。怖い、嫌だ。ここに居たくない――)
カチカチ、カチカチ。
闇の中に自分の歯が鳴らす不快な音だけが響く。
「…………うるっさいわね」
「!!」
聞き覚えのある声が聞こえた。
「鬼畜ツインテ!? そこにいるのか!?」
「アンタいい加減ぶっ飛ばすわよ!?」
声のする方に乗り出し、目一杯手を伸ばすと、指先に柔らかな感触と温もりが伝わった。
「どっ! どこ触ってんのよ変態!」
「理不尽!」
お互い何も見えない状態だというにも関わらず、メリッサの平手はアスターの頬を綺麗に張り飛ばしていた。
「痛ってぇ――!」
けれどアスターは一人じゃないと分かってホッと胸を撫で下ろす。
「本当、何なのよもう――」
流石のメリッサも不安なようだ。
ブツブツ、ブツブツ、アスターに対する不満と、現状に対する不安を交互に口にしている。
「なぁ、俺、“あの後”どうなった?」
彼には木箱を手に取った後の事が思い出せない。しかし何かあったとすれば、その後でしかないとアスターは尋ねた。
それにメリッサは、ただ一言吸い込まれるように消えたのだと返す。
「じゃ、お前は、その、もしかしなくても助けに来てくれたのか?」
吸い込まれてしまった彼を見たのに、すぐに後を追って来てくれた。
それはつまりそういう事なんじゃないかとアスターは素直に思い訊く。
「……」
少しの間を開けてメリッサが口を開く。
それはそれはもう気恥ずかしそうな声で。
「べ、別に心配なんてしてないし。そ、それに万が一モニカも吸い込まれていたとしたら大変でしょ!」
「あ」
アスターはすっかり忘れていた。
彼等はあの部屋にリドの妹、モニカを探しにきていたのだ。
ただ、あの部屋にモニカが居た可能性はゼロでは無いが確実ではない。
床に残されていた痕跡は、子供のものとは思えない大きな足跡と、何かを引きずったような跡しか無かったのだから。
「携帯は?」
「圏外」
「そっか。……とにかく辺りを調べてみよう。ちょっとその辺照らしてくれないか?」
「……いいけど」
メリッサの携帯端末で辺りを照らす。
けれど彼等が思ったより闇は深く、床が石材であるという以外、何の情報も得られなかった。
「困ったな。あ、そうだ。お前の魔法でさ、バーンとこの辺一帯照らせないか?」
「馬鹿なの?」
「えぇ……」
本当に酷い反応である。
それもそのはず、もしガスが充満していたらどうするのだとメリッサは続けた。
「あ、そっか。でも、ガス臭くなんてないぞ?」
「本当に馬鹿ね。アンタが認識してるガスの臭いは人工的に付けられてんの。ガスが漏れてたら気が付けるようにね」
「へー」
「どっちみち専門外の系統だし、ここじゃ何にも出来ないけど」
メリッサは落ち込み気味にそう言った。
とうの昔に試みたが、魔法や魔術の類がまったく使えないのだという。
「え、もしかしなくても、めちゃくちゃヤバイ状況だったりする?」
「激ヤバよ」
「参ったな。こう暗くちゃお手上げだぞ」
「……」
メリッサが黙る。
けれど何か考えがある、そういう間だった。
「とりあえず服を脱いで、渡しなさい」
「なんで!?」
こんな暗闇で何する気だとアスターは慌てるが、要はそれを互いが持ち、はぐれないように綱にしたいのだとメリッサは言う。
「手を繋いで歩くじゃ駄目なのか?」
「アンタと手を繋ぐなんて、死んでも嫌なんですけど」
それはそれはもう、明らかな拒絶であった。
それからアスターが携帯片手に先頭を歩き、二人は壁を探して真っすぐ歩いた。
壁はすぐに見つかったのだが……。
「ドアや窓の類が無いな……」
アスターは後ろを付いてきているであろうメリッサに話しかける。
けれど返事は無い。
「なんか喋ってくれないか」
「アンタと喋る事なんて無いから嫌」
「えぇ……」
あまりの拒絶っぷりに、アスターは心にダメージを負った。
「……モニカちゃん、見つからないな」
けれどめげずに話を振る。
暗闇の中に長時間いることの方が、彼にとって何よりも苦痛だったからだ。
「…………よく考えたら、あの子は“そういう教育”を受けてるから、不用意にああいった物に触ったり、拾ったりしないはずなのよね。ま、そうなるとアタシは今、誰かさんのとばっちりでここにいることになるんだけど」
「悪かったよ」
「本当、いい迷惑だわ」
「ごめんって」
これがもしステラだったら、こうはならないのにと考えてしまう。
「あ、あーその。俺がリドじゃなくてすまんかったな」
「は? いきなり何?」
「俺と居ても不安になるだけだよなーと」
「だから何でそこでリドが出てくるわけ?」
「……だってお前リドの事好きじゃん?」
メリッサは「はぁー?」と呆れた声を出した。
「だって前、薬持ってってやってたじゃん」
「だから何? それだけでアタシがリドを好きって事にどうしてなるわけ?」
「え、違うの?」
「アンタ、どんだけ色ボケ思考なのよ」
「色ボケ……」
始終呆れた声で、アスターは時折腕を小突かれた。
「でも、家族に面識あるんだよな?」
「そりゃあ、リドとはまあまあ長い付き合いだから当然よ」
「ほぅ。そんな幼馴染を追ってこの仕事に」
「アンタ、人の話聞く気無いでしょ」
「イデッ」
また腕を小突かれる。
「アタシがここに居るのはね、室長に声を掛けられたからで自分から志願したわけじゃないからね」
「へー」
「ちょっとは私の話に興味持ちなさいよ」
「いやだってお前も国家魔道士って奴なんだろ? 結局同じ道辿ってんじゃん」
「……何勘違いしてんのか知らないけど、アタシはただの魔道士よ」
「えっ」
「大体、アタシみたいなその辺の小娘がおいそれと国家資格取れるわけないじゃない、アンタ国家魔道士舐めてんの?」
もっともである。
「それに、アタシはリドにとって友達の妹。それ以上でもそれ以下でも無いのよ」
(流石に悲観しすぎじゃないか?)
とアスターは思ったが、リドの好きな相手が誰か彼は知っている。
それを思うと、実らぬ恋に進展はないのだろうと、彼なりにメリッサの心情を理解してしまった。
「ちょっと、なんとか言いなさいよ」
「あ、いや……ごめん」
何に対するごめんなのか。
分かりやすい返答に、メリッサはアスターの尻を思いっきり蹴り飛ばした。
「はぁ……」
ずっと歩き回ったせいか、全身からしっとりと嫌な汗が出る。
壁伝いに歩けど歩けど、出口らしきものはちっとも見当たらず、携帯もバッテリー節約の為に暫く付けていなかったからか、時間の感覚もおかしくなっている。
あれから何を話すでもなくお互い無言のままだった。
時折、背後から「はぁ」とため息が漏れ、その頻度は増していくばかりだ。
「流石に疲れたな」
ずっと歩きっぱなしで、そろそろ疲れも見えるだろう。
とりあえず休憩するか? とアスターが提案したが、メリッサは頑として受け入れなかった。
「まぁ俺は座るけどな。お前も座っとけよ」
「ちょっ!」
今、二人は繋がれている状態だ。
彼が座ればメリッサも座るしかない。
アスターはわかっていて、ドカッと思いきり床に座り込む。
「チッ」
(しっ、舌打ち!?)
女子が発したとは思えないほど、ガチ目な舌打ちだった。
「…………そ、そういや、リドの妹はお兄ちゃんっこなんだな」
「……急に何」
「いや、なんかほら、あれくらいの子が兄貴を追いかけてくるってのが、微笑ましいなって思って」
「……まぁ、確かにあの子は、リドに依存してるけど」
「依存?」
その言い方に違和感を覚えた。
「アンタ、リドの寝起き見たことある?」
「何故いまこのタイミングでその話を?」
「いいからあるかどうかよ。答えなさい」
「そりゃお前、昨日から同じ部屋で寝泊りしてるし、いやでも目に付いたよ」
「どうだった?」
「どうって……あー、リドって滅茶苦茶寝起き悪いのな。早い時間からアラーム何個も掛けるのはいいんだけどさ。こう、上半身だけは起こすんだ、でも、なかなか立ち上がるまでに至らないっていうか、覚醒するまでが長くて、下手に喋りかけたらすげぇ睨んでくるし、怖いったら――」
「そうじゃなくて」
「え?」
一体何を言いたいんだろうと疑問に思っていると深く息を吐き、こう訊き直した。「今日はやけに部屋が寒くなかったか」と。
「そういえばあったな、そんなこと。何で知ってるんだ?」
実は今朝それに関してひと騒動あった。
強烈な寒気で目覚めたアスターが、よもやまたステラが魔力暴走を起こしたのかと焦り、急いで部屋を出ると、彼の部屋だけが異常に寒いだけだった。
その後、既に起きていたステラと温かいお茶を飲んで、朝食の用意を手伝ったり、レグの餌やり等をしていたからか、そんな事があったなんて今の今まで忘れていた。
「リドはさ、アタシが言うのもなんだけど、割と不器用な方なのよね」
「しっかりしてるように思えるけど」
「……性格はね。でも、アタシが言っているのは“体質的”にってこと」
「体質的に不器用?」
それはどういう事なのかと聞き返すと、リドは感情が極端に高ぶったり、少しでも気を抜いてしまうと、冷気を放ってしまう難儀な体質なのだと、だから普段から自分を律しているのだとメリッサは言う。
「あの手袋もそう」
冷気は体から外へ向かって放たれていく。
その時、自分以外の人間が驚かないように、そして傷つけないように、リドは四六時中白い手袋を身に付けているのだ。
(極度の潔癖症か、それともただのカッコ付けなのかなって思ってた)
アスターのリドに対する認識も存外酷いものである。
「それをあの子、モニカはさ、ありのままでいて欲しいって自分が厚着するからって言って、どんなに暑い日でもあんな格好して頑張ってるのよ。なんでそうまでして、あの子がリドにべったりなのか、分かる?」
「家族だからだろ?」
「それもあるけど……話し相手が……、友達がいないのよ」
「?」
友人と呼べる相手がいないから、必要以上に家族に依存する。
そして家族もそれを受け入れる。
だから悪循環なのだと続けた。
「……リドの家って、代々王家に仕えてる由緒正しい貴族なのよね」
「お、王家!? 貴族!?」
「そ、まあ別に貴族だからって、どこの誰と友達になろうがリド達は全く気にしないんだけど周りがね。“お前はこの家にふさわしくない”っていう目を向けてくるわけ」
「変な話だと思うでしょ?」と悲しく呟くその言葉に、メリッサは「でも、あの空気は経験した者しか分からない」と付け加えた。
「でもお前は――」
「言ったでしょ? アタシのお兄ちゃんがリドの友達なの。ほとんど家か外で遊んでたから最初は分からなかったけど。一度リドの家に行った時に実感したわ。ああこういう事かって……住んでる世界が違うって、その時思ったもの」
(俺には分からない世界だ)
「な、なんか大変なんだな」
「そ、大変なのよ」
それから流石のアスターも話を続けることが出来ず、静寂が訪れた。
けれど先に沈黙を破ったのは、メリッサだった。
「……ねぇ、もう十分でしょ? さっさとここから出る手がかり探さないと」
「あ、ああ。じゃあそろそろいくか」
けれど、彼が立ち上がると同時に重心が後ろに引っ張られた。
アスターはどうしたんだろうと思い、振り返りざまに預かっていた携帯で下を照らす。
「え」
そこには
「どうした?」
「どうも、しない……」
「いやいや、明らかおかしいだろ」
「うっさいわね。ちょっとふらついただけよ。ほっといて」
「もしかして、どっか具合でも悪いとか?」
メリッサが深い溜息を付いた。
そしてすぐに「だから座りたくなかったのに」と呟いて顔を伏せる。
そうメリッサの体は、とうに限界を迎えていたのだ――。
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