第40話『君を想えど-④-』
「嘘……何で開あいてんの?」
辿り着いた先は、管理部が魔具等を保管・管理している部屋のひとつであった。
普段は厳重に管理されている場所だというのに鍵がかかっておらず、無用心にもドアは半開きになっていた。
「「うっ」」
ドアを開け放つと、湿気と埃の独特な匂いが鼻を突き、二人は表情を歪ませる。
けれど換気は出来ない。
窓が在るべき場所に板が張られ、したくても出来ないのだ。
「足跡と……これ、なんの跡だろ?」
電気をつけると、床には割と新しめな大きな足跡と、何かを引きずったような跡があった。
どちらもまっすぐ奥へ続いていたため、二人はその痕跡を追って、部屋の奥へと進むことにした。
「モニカ? そこに居るの……?」
「怒らないから出ておいで~」
刺激しないように、できる限り優しく声をかけようとする二人。
「?」
けれど部屋の奥にあったのは、手のひらサイズの蓋の開いた木箱だけだった。
「あぶね」
(危うく踏むところだった)
アスターはそれを拾い上げ、棚に置こうとしたのだが……。
「え?」
それは突然のことだった。
視界がぐにゃりと歪んだと思うと、次の瞬間には周りが高速で廻っているかのように激しくブレた。
「――!?」
自分の身に何が起こったのかわからない。
何故なら、彼の意識はそこで途切れているからだ。
***
「わざわざ呼び立ててすまないね」
「いえいえ」
「具合はどうだい? 今日から調整を行う予定だと聞いているけど」
「はい。その件でしたら先ほど」
「そう……。お疲れ様。頑張ったね」
日中の街中。
協会近くのざわついたカフェテラスにスターチスとステラはやってきていた。
「……あの、それでスターチスさん、お話というのは?」
「ああそうそう。“彼”の事で少し、話しておきたい事があってね」
「アスターさんの事ですか?」
「そ。ほら、この間ルドラ君に彼の故郷の事や自分の事、覚えている限りの情報を聞き出して貰っていただろう? まぁ彼は“記憶の改ざん疑い”があるから、該当する者がいないかちょっと気になってね。管理局に調べて貰っていたんだ。それで結果なんだけど……一人いたよ。完全に一致する異界人が」
「!」
スターチスは懐から小さく折りたたんだメモ紙を取り出し、彼女に手渡した。
紙を開くよう促されたステラは、書き記されていた名前を見て更に驚愕する。
「セイジ・キリハラ。その異界人のこと、覚えているかな? 以前、君が人狼病について調査した街の、その時の報告書にあった名前だけど」
「はい、……覚えています」
「なら話しは早い。それでどうかな、整形とか。同一人物である可能性は――」
「ありません」
ステラは即答した。
何故なら彼女の記憶している限り、キリハラ・セイジは魔力を持たぬ者だった。
だから違うと、彼女は断言できるのだ。
「だろうね。君の言葉が無くても、そもそも血液型も違うし、私も別人だと分かっちゃいたんだけど。まぁ念の為ね」
「血液型が違う? でも、さっきは情報が完全に一致したって……」
つまりどういう事なのだと、ステラは尋ねた。
「確かに情報が完全一致したのはそのセイジ・キリハラ氏だったんだ。でも、検査の結果、アスター君の血液型はO型で、本人が申告した型とは違ったんだよ」
本人の勘違いか、それともABO式がこちらの世界と異なるのか、わからないから何とも言えないけれどとスターチスは困ったように笑う。
「そう、なんですか」
「うん。……あー、それと話しはもう一つあって。……実はこっちが本題」
スターチスは伏し目がちに続ける。
「これは君に話すかどうか迷っていた事だが……やはり君は知っておくべきだと思うから話すよ」
「……?」
よく聞いてほしい。
そう前置いて、真実を告げる。
彼自身もまだ“知らぬ真実”を。
「アスター君ね、“人間”じゃなかったよ」
「――え?」
あまりに唐突なその言葉に、彼女の意識は、深い闇へと落ちていく。
人ではない、では彼は“何”なのか。
すぐにその思考に行き着かないほど、彼女は深い闇の中に囚われている。
「でさー!」
その時、隣にいた女達のはしゃぐ声が、彼女の意識を淀みから引きずり出した。
淀みで溺れていた肺に、新鮮な空気をめいっぱい送り込む。
「大丈夫かい?」
呼吸を整えるステラに、スターチスは「言い方が悪かったね」とすまなそうに言う。
「純粋な人じゃないという意味さ。彼の半分は妖精、もう半分は人だったんだ」
「ハーフ? という事ですか?」
「んー。そういう事になる、のかな」
だから体質的に魔道士に近く、妖精の部分にライネックが反応したのではないか。というのがスターチスの見解だった。
「本人の話を聞く限り、シロー君と同じ世界線からやってきた普通の人間って事だったんだけど……まぁ、シロー君の従者の件もあるし。異種族がまったくいない世界では無いみたいだから、ただ単に親から知らされていない場合もあるね。そこはもう判断のしようがない」
「そう……ですね」
「ただ、魔法や魔術に関する知識がほぼ無い事は不自然だと思う。彼の消された記憶に関係があるのか。あるいは素質はあれど、力を封じられていたのか……」
でなければ、魔法が使える筈なのだ。
妖精とは本来そういったものなのだから。
「あの……」
「ん?」
本人には知らせたのかとステラは問う。
それにスターチスは「時期がくれば話すが今はその時ではない」と言い切った。
「正直、君に言うのも迷ったんだけよね」
全てが分かるその日まで、自分の中に留めておこうとスターチスは思っていた。
けれど先日の一件で、彼女には彼が必要だと考えを改め、ステラには伝えておかなければならないと思い至ったのだ。
「余計なお世話だったかな?」
「い、いえ、そんなっ」
「そう、ならよかった」
心配顔から一転、ニコリと微笑むスターチス。
「さてと、もっとゆっくり君とお茶したかったけど。そろそろ戻るとするよ。あまり長い時間放っておくのも悪いしね」
「あ、はい。え?」
長いトイレ休憩になってしまったと、心の中で懺悔しながら、スターチスは伏せられた伝票をサッと自分の側に置き直し、立ち上がるついでにステラの頭部に手をやった。
「??」
帽子越しの大きな手にステラは戸惑う。
「頑張ろうね」
その言葉には様々なものが含められていたのだが、ステラは鈍かった。
そしてその後すぐにスターチスは「それじゃあ」とにこやかに手を振って、颯爽に去っていった。
「……」
すっかり冷たくなってしまったティーカップの淵を指でなぞる。
セイジの名が出た時は、心臓が止まるかと思う程驚いた。
それと同時にステラの中で言いようのない感情が渦巻いて、先程から胸の奥のざわつきが収まらないでいた。
(なんで……)
それがなんなのか。
考えても考えても答えは出ない。
まるで紅茶に垂らしたミルクのように、不安だけが広がっていく。
「はぁ……」
ステラは考えることを止め、溢れ出る不安をカップの底に沈んだ檻と一緒に飲み込む事にした。
――今は、そう、今はまだ。
彼女はふっと息を吐く。
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