第30話『おもひでクライシス-⑥-』


 大人しい顔をして、少女は大胆だった。


「はぁ、はっ、はっ――」


「ああ殿方とこんな……まるで夢のようですわ」


 一度は静まった胸の鼓動が早鐘を打つ。

 激しく揺さぶられる体と体温は、腰に回した手や服を伝って行き来している。


 何故、彼等がこんなにも互いの体を密着させているのかというと、話は十五分程前まで遡る。





 おいでおいでと手招きされたアスターは、彼女の言う通りに従った。


 最初聖女が何を言っていて、どうしてほしいのか、彼は全く理解が出来なかったがそう深く考える暇もなく人が来ると言われ、最終的に無理やりソコへ押し込まれてしまっていた。


『やはりお目覚めでしたか、セレスタ様』


『ええ、どうにも寝付けなくて、昼間の続きをしておりましたの』


 やはり彼女は聖女“セレスタ”であった。

 部屋に入ってきた若い修女レムリアは、窺うような声で聖女に尋ねる。


『……ご存じかもしれませんが、現在、侵入者を一名探しております』


『まあ夜分遅くにご苦労さまです』


『ロックが一度外れましたが部屋の外に?』


『ええ先ほど外が騒がしかったので様子を見に、それが何か?』


『怪しい人物を見かけませんでしたか?』


『ええ』


『……神に誓って?』


『誓いますわ』


 二人はそんなやり取りをしていた。

 神に仕える身で、そんな平然と嘘を付いていいのかと彼は色々不安になったが、その言葉を聞いてレムリアは黙る。


『……失礼!!』


 レムリアが突然声を上げ、聖女の半身を覆っていた寝具を剥いだ。


 けれど当てが外れたのか声を落として息を吐く。


『あら、起床の時間にはまだ早いようですが、どうかしまして?』


『いえ……私の思い違いだったようで、申し訳ありません。それでは私はこれにて――』


『ああレムリア、待って。これどうかしら、バザー用に作ったレース。雪の結晶をモチーフにしてみたのだけど』


『素晴らしい出来です。皆も喜ぶでしょう』


 返答を聞いて聖女は笑う。

 それからコツコツと石畳を蹴る足音は遠ざかり、再び部屋に静寂が訪れた。


『もう大丈夫ですわ』


『ぷはっ!』


 聖女は彼が入っていた大きな枕のファスナーを開け、笑顔を向けた。

 アスターは新鮮な空気を思いっきり吸い込んで息を整える。


『生きた心地がしなかった……』


『まあ、ふふふ』


 汗に外気が触れ、体温が一気に下がるのを彼は肌で感じた。


 あの時、ベッドの上の数あるクッションや枕の内、一番大きなクッションを指ささした聖女は、手早く内布を破き、詰め物を他の物に急いで分散させた。


 そして半分以上中身を抜いた物に、彼の小さな体を収めると、上部の隙間を埋めるように詰め物を移動させ偽装していたのだ。


わたくし、昔からこういった遊びは大得意でしたのよ』


『へ、へぇ……』


『それで、貴方のような小さな殿方が何故このような場所に? ここまでどうやっていらしたの?』


『えっ、あっあのそのっ、ここへはリド――っ、知り合いと一緒に来てて! よよよ要件は貴女に会ってもらいたい人がいて、さっきの奴とは別なんですけど、相手はただ会うだけでいいって言ってて。俺的には話の一つでも聞いてやって欲しいけどっ、つ、つまり、ベルフェゴールっていう悪魔の事は覚えてますか!? 相手は柵越しでも、一目見るだけでも十分だと言ってるんですけど――!』


 伝えたい事がありすぎて、アスターは思いついた言葉をどんどん喋る。


 その必死な様子に、聖女は天井を見上げ、ふぅと柔らかい息を吐いた。


『……ずっと、この日が来るのを心待ちにしておりました』


『じゃぁ!』


 一緒に来てくれるのかというアスターの言葉に、セレスタはこくりと頷いた。


 しかし、さぁ会いに行こうと言っても、部屋の外は戦場だ。足の悪いセレスタは走れない。


『……時間が無い、何か、何か良い手は』


 抱えられれば早いのに。

 彼がそう思った時、ふと昼間の出来事が蘇る。


『そうだ――!』


 メリッサから受け取ったあの飴をアスターはポケットに入れたままだったのだ。


 今のところ使えないのは左腕のみ。

 右手で支えれば何とかなるかもしれない。

 そう思い、彼は飴を手に取った。


『死ぬ気で我慢すればいけるか?』


 ぶつぶつ思考を巡らせる彼に、聖女はまた首を傾げる。


『っとすみません、この包帯を取ってくれませんか?』


『それを、ですの?』


 今、彼がしているギプスは取り外し可能で、分厚く巻かれた包帯を取ってしまえば簡単に取れる造りになっていた。


『っ――ててて』


 パンパンに腫れた腕を動かすと、激痛が走り脂汗が出る。


 それを無理やり我慢して彼女が驚かぬよう一言入れて、飴を頬張った。


 暫く苦しみ、もがきながらアスターが大きくなる様を、聖女は冷静にそして時折溜息を漏らしながら眺める。


『実はこっちが元の姿で……って、あれ? 腕痛くない?』


 あんなに腫れていた腕は何事もなかったかのようになんともなく、押しても動かしても痛むことは無かった。


『うわー……』


 体が縮んだり元に戻ったりというのもなかなかのものだが、それにより怪我まで治るとは本当に都合のいい体であると彼は呆れた。


 しかし今はそんな事に気を取られている場合では無い。


 包帯を取るのに時間が掛かってしまい、残り時間は後僅かなのだから。


『行きましょう』


 こうしてアスターは聖女を抱え走り出し、冒頭へ戻る。




【ガレナ修道院・東側エリア】

 警報鳴りやまぬ修道院内。

 けれど人気ひとけはまったく無く、アスターは誰ともすれ違わない事が不思議だった。


(どうなってんだ?)


 外から響く発砲音と人の怒号。

 交戦の音は確かに聞こえる。

 しかし何故、護るべき対象者の居る“院内”を放置しているのか、彼は嫌な予感がした。


「その扉を開ければ、外に出れますわ」


「わか――!」

 

 重い鉄の扉を開き、アスターが見たもの。

 それはまさしく戦場だった。

 

「なん……だ、これ――」


 敷地をぐるりと囲む柵に向こう側に、数え切れぬ程の悪魔の類が集っていた。


 翼を持つ者が空から仲間を、まるで荷物でも投げ入れるかのように運び入れ、地上を這う者達が、その肉厚と数で柵を壊し、敷地に攻め入っている状況だった。

 そして、それに応戦していたのは――。


「三番隊、撃ち方始め! ッテ――!」


「一番隊前へ、侵入を許すな!」


 小銃や鈍器片手に、完全武装した修女達だ。


「ギャッ!」


 乾いた銃声の後、悪魔が断末魔の悲鳴を上げた。


 それはアスター達から遠く離れた場所から始まり、撃たれた悪魔は次々と光を放ち消えていった。


 飛び交う弾丸に慈悲は無く、悪魔の頭や心臓を正確に打ち抜いていく。


「あの」


「……なん、なんだよこの状況」


「もし――もし――」


 セレスタが彼に呼びかける。

 しかしその声はアスターに届いていない。

 

 彼は今、この場で何が起こっているのか、まるで理解が出来無かったからだ。


 頭を過るのは、ベルフェゴールが裏切ったのではないかとなれば、これは自分が引き起こした惨劇ではないか……。

 アスターは自責の念に駆られている。


「しっかりなさい!」


「!」


 右の頬に痛みが走る。

 セレスタに叩かれたと彼が認識したのは、頬がジンジンと熱を帯びだしてからだった。


「狼狽える事はありません。これは想定内、定められた運命なのです」


「……運、命?」


 未だ状況が掴めていないアスターにセレスタは魔界と人界の間に歪みが生じる“イレアデスの夜”は知っているかと問う。


「今日のような蒼い月の出る晩は、騒ぎに乗じて邪なことを企む者も少なからずおります。しかしここに来ている彼等の殆どは、その歪みに巻き込まれた哀れな迷い子、私達に救いの手を求めに来ているのです」


 通常、ベルフェゴールのような上級悪魔であれば、自らの意思で魔界と人界を行き来する事が可能である。


 けれどそのような力も持たぬ下級悪魔や魔界に住まう魔物の類が、召喚されたわけでもなく、こういった形で人界へと迷い込んだ場合、自力で帰る術はない。


 中級悪魔程度であれば、帰らないという選択肢もあるのだが、彼等悪魔は魔力の他に、負の力“瘴気しょうき”を食べて生きているため一部地域を除き、瘴気濃度が不安定である人界では、彼等のような力なきもの者は生きていけないのだ。


 そのため、悪魔を強制的に魔界へ送還する術を持つこの修道院へ、下級悪魔達はこぞって集い、わざと討たれにきている。


 という話をセレスタは分かりやすいようにかみ砕いて彼に説明した。


「セレスタ様!」


 修女の一人が叫ぶ。

 刹那それはアスター達の目の前で二つに両断され、どさりと地面へ転がった。

 間髪入れずにレムリアが聖水を撒く。


「リド⁉」


「ぼさっとするな!」


 迫りくる悪魔を退けたのは細身の剣を構え全身に闘気を纏うリドであった。


「ここは危険です。院内へお戻りください」


「でも……」


 渋るセレスタにリドはその時が来れば呼び戻すとレムリアに目配せした。


 レムリアに連れられ、元来た扉をくぐるセレスタ。


 その顔は寂しげに、がっくりと肩を落としていた。

 

「そうだ! ベルフェゴールの爺さんは⁉」


 戦場へ残ったアスターがリドに尋ねる。

 それにリドは「あそこだ」と指をさす。

 見ると、協会の敷地内に育つ大木にもたれ、ぐったりとしたベルフェゴールがそこに居た。


「先ほどまで立っていたが、もうその力も無いようだ」


「それ! 急がないとやばいんじゃ!」


「……心配ない。直に制圧完了する」


 リドのその言葉通り、銃撃の雨はいつしか止み、群れをなしていた悪魔達はもう目視で数えれる程になっていた。


「頃合いだ」


「あ、じゃあ俺が――」


 セレスタを呼んでくる。

 彼がそう言い終える前に老いた修女セレナが柵の向こう側へ移動していた。


 一歩、また一歩、セレナはベルフェゴールへと近づいていく。


「待っ! その悪魔ひとは!」


 アスターが慌てて声を上げるも、セレナはベルフェゴールに小銃を向け、発砲した。


 「ギャッ」


 乾いた銃声と断末魔の叫び。

 撃たれたのはベルフェゴールの後ろに居た小さな悪魔であった。


「おぉ……おぉ……」

「まったく、無茶をして……」


 ベルフェゴールとセレナは、近寄る度にポロポロ涙を流し、互いの距離を詰めていく。


「やっと、貴方に触れる事が出来るのね」


「――っ!」


 二人は互の存在を確かめ合うように、そっと手を重ねた。


「すまぬ……すまぬ……遅くなって……」


「全くです。こんなしわくちゃになるまでほったらかして……お陰で行き遅れましたよ」


 むせび泣くベルフェゴールをセレナが優しく抱き止めた。


 この二人のやり取りを見て、アスターの頭は疑問符で一杯だ。


「まだ分からんのか」


 リドが呆れた声を出す。


「セレスタという名とその容姿は代々聖女に引き継がれるものだ。つまりシスターセレナが先代のあの悪魔が探していた聖女セレスタという事だ」


「はぁああああああああ!? だっ、え!? 嘘だろ!?」


 聖女は銀髪でオッドアイ、でもあのシスターはどう見ても白髪で、両の目は同じ色をしているじゃないか。という彼の主張にリドは再び溜息を吐く。


「話を聞いていなかったのか? 容姿は引き継がれると言っただろう」


 二人が出会い、離れ離れになったのは、もうずっとずっと昔の話。


 その者が人間ならば皆平等に歳を取る。

 それを考えれば分かる事だろうと言われ、アスターは複雑な気持ちになった。


 どうやら自分はファンタジー脳を相当こじらせ過ぎているようだと落ち込んだ。


「ああ……時間切れのようじゃ」


「ええ……そのようで」


 ベルフェゴールの体を柔らかな光が覆い、うっすら透けだした。


 けれど今までの時間を取り戻すように、二人は抱き合ったまま……ピッタリついて離れようとはしなかった。


「愛している。最後にそれを言いに来た」


「あぁ……」


 大粒の涙がセレナの瞳から次々と零れ落ちていく。


 長年待ち続けた不器用な男から捧げられた愛の言葉への喜びと、その男の体が消えゆく悲しみ。


 二つの感情が合わさり、涙は止めどなく流れて止まることはない。


「私も、ずっと貴方を……、貴方だけを愛しているわ……」


「………………そうか」


 セレナの返事を聞いたベルフェゴールは、満足そうな笑みを浮かべ空へと消えた。

 セレナの胸にぬくもりだけを残して――。


「今度は、私が会いに行きますからね……」


 満天の星空に元聖女はそっと呟いた。 






――その後、アスターはリドに滅茶苦茶長い説教を受け、全てを知ったのだった。


「知り合いなら、知り合いだって、はじめから言ってくれよ……つーか、なんだよ。一度痛い目を見ればいいと思ったって」


 リドは最初から全てを知っていた。

 何故かというと、彼は姉の命により現聖女セレスタの遊び相手をさせられていた時期があったのだ。


 そこでセレスタ本人から、今日という日セレナとベルフェゴールの再会の場面に立ち会うのが夢である事を延々聞かされ続け、その場に自分がいることも教わっていた。


「そもそも自分で引き受けた以上、自分の力で対処するべきだ。当たり前のように周りを頼るな巻き込むな。そしていかに自分が無謀かつ身勝手な事をしたのか理解しろ」

「ご……、ごめんなさい」


 お節介も大概にしろというリドの言葉に、アスターはしゅんと肩を落とす。

 二人の溝は深まるばかりだ。

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