第29話『おもひでクライシス-⑤-』


 慌ただしく床を鳴らす複数の足音、遠くまでハッキリ聞こえる力強い女達の声。


 けたたましいサイレンが修道院中に響き渡り、彼の鼓膜をビリビリ震わせた。


 アスターは仄暗い闇の中、見つからないようにと気配を殺そうと努めている。


「ハァ、ハァ、ハァ――」


 しかし乱れた呼吸を整えようにも整えられず、心臓が暴れて息を止めるのさえも難しい状態だった。


 全身から吹き出る汗は服を濡らし、額にかいた汗が頬を滑って絨毯に染み込み広がっていく。


「マジでどうなってんだ、ここは」


 一旦身を隠そうと、何処かの部屋のドアノブを回しても、何処もかしこも施錠され入れない。


 なので今、彼はただの通路の物陰に隠れている状態になっている。

 見つかるのも時間の問題だった。


「はぁ……」


 大きく息を吐いて、やっと乱れた呼吸を整え終わる。

 さてどうすべきか。


 今見つかって誤解を解こうにも、その頃にはベルフェゴールは消えている。


 しかし、このままくだんの聖女を探した所で、部屋の鍵が開いている確率はゼロ。最善策がひとつも思い浮かばなかった。


「きついな」


「何がです?」


「っぃ!?」


 驚いた猫のように、体と心臓がビクリと飛び跳ねた。


 振り向くと銀髪の美少女がそこにいた。

 白い肌に青と緑の左右違う瞳の色。

 その面持ちを見てアスターは更に驚く。


「せっ――」


 驚きのあまり、つい聖女と口に出してしまいそうになった彼の口を少女は指で塞ぎ、付いてくるようにと手招きしてみせた。


「……??」


 少女は壁に取り付けられた銀色のボックスに右手と双眸をかざした。


 ピピッという機械音と共に、生体認証で守られた扉は、赤いランプを緑に変え、固く閉ざした鉄の門を開く。


「どうぞ、お入りくださいな」


 彼が通された場所は部屋というより、窓のないドーム型の温室だった。


 ステラの家も観葉植物が多いと彼は常々思っていたが、ここはその比ではない。


 何匹もの夜光蝶が飛び交う、円状の花壇と張り巡らされた水路。


 まるで植物園のように珍しい草木や花で溢れ、天井には巨大な月と星空が投影されている。


「すげぇ……」


 見るもの全てが斬新で、彼は溜息しか出なかった。


「さぁ、こちらへ」


「あ、はい」


 促されるまま、ゆるいカーブの石畳をゆっくり中央に進む。


 ひょこひょこ不思議なリズムで歩く彼女の動作にアスターは違和感を覚え、つい口に出してしまった。


「もしかして足が……?」


「ええ、昔ちょっと事故にあいまして。お見苦しい物をおみせ――」


「いやいや全然そんな事! ちょ、ちょっと。そう、大変そうだなって思って!」


 彼は凄く失礼な事を訊いてしまったと思い、すぐに謝った。


 それに彼女は気にしていないと笑い、また歩き出す。


 二匹の青い蝶がまるで戯れるかのように少女の周りを飛んでいる。


 純白のネグリジェが、彼女の波打った髪と同じタイミングで歩く度に揺れ、布の擦れる音が水路の水音に混じって彼の耳に届く。


 騒がしかった心音はすっかり落ち着き、アスターは穏やかな気持ちになっていた。


「お話の前に、こちらへどうぞ」


「えっ!?」


 お互いまだ名乗ってすらいないというのに、案内されたのは、巨大な鳥籠を模した寝台の上だった。


 少女は艶のある声を出し「さぁ早く」と寝所へ誘う。


「え、いやちょっと!」


「さぁさぁ、早くしないと人が来てしまいますわ」


(なっ、何なんだ⁉︎ いや今、人が来ると俺は凄く困るけれども!!)


 アスターはこのよく分からない状況にめちゃくちゃ動揺した。





***

【ガレナ修道院・中央管理室】


「起きな」


 赤髪の修女が拘束されたリドの頬を手の甲で叩いた。


「……」


「おい、起きなって魔道士。おい、おい!」


 頬を叩く音が連続して室内に響く。

 あまりにも加減を知らない不躾な手に、リドは苛立ちながら、ずっと閉ざしていた瞳を開けた。


「やっと起きたか」


 リドの眼前には、汚物を見るような眼差しを向ける三人の修女がいた。


 一人は髪も瞳も赤々と燃え滾らせる勝気な者。その横にヘーゼルカラーの前髪を左側だけ垂らし片目を隠した小さな修女。

 そして残る一人は新緑のように鮮やかな、太く長いお下げを二つぶら下げた黒縁眼鏡の修女だ。


「信号機……」


 リドは素直にそう思い、口に出す。


「こんのっ! ウチ等が一番気にしてる事をっ」


「やめなよルビー、そんな事言ってる場合じゃないよ。ねぇベリル」


「そうね、ルチルの言う通り、今は訊くことが沢山あるもの、時間が勿体無いわ」


「ちょっと、二人してなんでウチを責めるのよぉ!」


 短気なルビーをルチルが宥め、ベリルが淡々と場を仕切り直す。


 初対面のリドにも分かる程、非常に分かりやすい関係のようだ。


「さて正直にかつ端的に答えなさい」


「……」


 ベリルが眼鏡を光らせ、尋問に入る。

 しかしリドは答える気が無く黙りこくり、そっぽを向く。


「こんの……何が目的かって訊いてんの! アンタ隣の奴でしょ!?」


「ルビー、声大きい。耳がキンキンする」


「ご、ごめんなさい」


 まるで叱られた仔犬のように、ルビーがシュンとしたのと同時に、第三者によって管理室の扉が開かれた。


「貴方達こんな所にいたのね。ずいぶん探し――あら、やっぱり。まあまあ、随分と立派になって、いつの間に国家魔道士になったの?」


「ご無沙汰してます、セレナ様」


 現れたのは老いた修女セレナだった。

 リドは拘束具をあっさり外し、片膝をついてセレナの手の甲に唇を落とす。


「「「んなっ!」」」


 何故の一言も出ず、ただただ驚く三人に、リドは向き直る。


 足を狙撃され、麻酔弾で強制的に眠らされていたと思わせて実は着弾する前に氷を張り弾を防いでいたのだ。


「今まで捕まったフリしてたって事?」


「それにしても酷い運び方で、何度頭を打ったことか。これが本当に女性のする事かと思いました」


「!」


 庭からここまでの距離をどうやって移動してきたかというと、リドはルビーとベリルに両足を持たれ、ただただ引きずられながら運ばれていた。 


「というか、魔道士を捕えるのならば、魔封じの札の一つでも貼るべきだと思います。それに万が一捕縛に成功しても、素性の知れない者をこのような、何もかも見渡せるような場所に連れてくるなんて正気の沙汰とは思えません。もし仲間がいた場合、貴女方の動きは筒抜けになり、味方とバッティングしないように誘導することもできるんですよ? 見たところ貴女方は最近入った方々でしょうが、見張りも満足に出来ていない。その後の対応もマニュアルを完全に無視している上、沢山のミスを犯している。これでよく今まで何事も無くやってこれましたね。あぁ先輩方が今まで尻拭いをやらされてきたのでしょうね、あの方々は本当に素晴らしい腕をお持ちですから。それにしてもそこの赤い貴女、貴女は特に酷い。何故相手を制圧しきる前に武器も持たず近づくのですか。貴女方が撃ち込んできた魔弾は魔睡弾ですよね? 魔道士相手に魔弾が効くとお思いか? いくら耐魔装備で身を固めているとはいえ、もし相手が銃を持っていたら? 刃物を持っていたら? 貴方は丸腰で戦えるのですか? 腕に覚えのある者ほど油断を生みやすい。意気揚々と近づく貴女はどうぞ反撃してくださいと言っているようなものでしたよ。次に小さい貴女、貴女はスポッターですよね? でも複数の標的を追いきれていない。それにその耳に付いているインカムは何の為にあるか理解していますか? それはただのおしゃべりの道具では無い、見失いそうならば仲間に正確な情報を伝え、すぐに応援にきてもらう。そういう使い方をするものでしょうに、それと――」


 マシンガン並みに次々出てくる正論に、三人はぐうの音も出ず、ルビーは泣きべそをかいている。


 そこへ見かねたセレナが助け舟を出す。


「相変わらず手厳しいわね」


「思った事を口にしたまでです」


「本当、あの子そっくり。あの子……グレイスは元気にしているかしら?」


「元気過ぎて、義兄にいさんが手を焼いています」


「まあ」


 さも当然のように和やかに談笑する二人。

 そんな二人を見て、ルチルはおずおずと手を上げた。


「あのぉシスターセレナ? お二人はその、お知り合いなので?」


「あら、言ってなかったわね。彼のお姉さんは元々ここにいたのよ。確か……そう“殲滅の守護者グレイス”。貴女達の間では、そう呼ばれているんじゃないかしら」


 三人はその名を聞いて驚愕した。


「“殲滅の守護者グレイス”って――」


「地獄の大公爵率いる悪魔軍勢を一人で迎え撃ったっていう生ける伝説の?」


「あの“殲滅の守護者グレイス”ー!?」


 三人は互いの顔を見合わせた。


「「「ええぇー!?」」」


 狭い管理室に、三人の頓狂な声が響く。

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