第28話『おもひでクライシス-④-』


 その後、魔道士協会のステラを訪ね、レナードは真実を知った。


 ――投薬治療を行うには、まず完全に人狼化している状態でなければならないこと、けれどその日の夜は、空は分厚い雲で覆われていた。


 だからステラは荒れ屋の窓辺にレナードを拘束した後、雲を散らす為に一旦外に出た。


 しかし荒れ屋で彼女を待っていたのは、獣人化したレナードだけではなかった。


 月光を浴びても何故か人の姿を保っているレナードとその横で血だらけで佇む黒髪の男。


 男はレナードに左肩を深く噛まれた“キリハラ・セイジ”だった。


『キリハラさんから、ある民間療法を試したと言われました』


『やっぱり……』


『そして、そのことは貴方に伏せていてほしいとも』


 念のため、眠ったままのレナードを一晩中月光の元に晒してみたが、レナードの人狼病はすっかり完治していた。


 セイジの希望もあり、何も言わずレナードを見送ったステラだったが問題は残ったままだ。


 今度はキリハラ・セイジを治療しなければならない。


 けれどその頃のセイジは潜伏期間中で、発病を待たねばならぬ状況だった。


 それからレナードが居なくなったあの荒れ屋を拠点に数日ともに過ごし、人狼化を待った。


『四日後の夜。キリハラさんは発症しました』


 思ったより早く発病した。

 治療はすぐに行われたのだが……。


 次の日の朝にはもう、キリハラ・セイジはそこに居なかった。


 荒れ屋の前の地面に『ありがとう、そしてすまない』という言葉だけを残し――彼はステラの前から忽然と姿を消したのだ。


 それからレナードは仕事を辞め、暇さえあればセイジを探す日々を送った。


 そして一年半あまりが過ぎた頃。

 ソーン東部の街中でセイジとよく似た人物を見つけ出す。


『セージ! 君っセージだよね!?』


『……』


『僕だよ、レナードだよ!』


『……』


 肩を揺さぶり、必死に声をかけるがセイジの反応は無い。


 実は人違いで、その人物は困惑している……という事ではなく、本当に反応が無いのだ。


 おかしいと思ったレナードは、こんな道端で何用か、非常識だと怒る連れの少女から無理やり当時のセイジの様子を聞き出し、更なる自責の念に駆られることになる。


 彼の人狼病は治っていなかった。

 セイジは人狼病を治すべく、様々な土地を渡り歩き、この地でこの少女、魔道士アリア・ダフォディルと出会った。


 アリアは治療の条件にセイジに自分の従者になるよう命じた。


 そして治療を進めるうちにアリアはセイジに好意を抱き、このまま彼をモノにしたいと考えたという。


『でも彼、ちっとも私になびかないから』


 だから心を封じたのだと、アリアは悪戯が見つかった子供のように笑った。


 こういったとき、不用意に術者から離すと厄介な事になってしまう場合が多い。


 だから術者であるアリアを説得し、術を解いてもらうが最善なのだが、アリアはセイジに固執している。


 交渉が上手くいくとは思えなかった。


 星室庁へ通報する事も考えたが、この辺一帯を管轄している星室は、元々良くない噂が多く、旧家であるダフォディル家と繋がっている可能性もあった。


 レナードは様々な事を考え、結局、自分の職歴の一切を伏せ……アリアの住む小さな古城に通っては彼女を褒め称え、必死に取り入って弟子として傍に置いてもらえるようにまで信頼を得た。


『くそ』


 アリア・ダフォディルという魔女は、年齢に似合わず狡猾で、なかなか隙を見せてはくれなかった。


 不安や焦りばかりが日に日に募っていく。

 そんなある日の雷鳴轟く晩のことである。


 ふいに目を覚ましたレナードは乾いた喉を潤す為に食堂へ赴いた。


 そこでレナードは“彼”と出会う。


(明かり……? こんな時間に……?)


 行きは気づかなかったが、普段使われていない部屋から微かに光が漏れているのを不思議に思い、レナードは扉を開けた。


『……あら、起きたの?』


 部屋の中にはアリアが居た。

 アリアは筒状の水槽前に立ち、振り返る。


『っ!?』


 その瞬間、稲光が怪しく笑うアリアの顔と、その奥の水槽を照らす。


 その光景に驚いたレナードは、堪らず声を上げた。


 一瞬だったが、レナードは確かに水槽の中に人影を見たのだ。


『完成してから見せようと思ってたのに』


 アリアが自慢気に見せたそれは、緑色の保護液の中で浮遊する半裸の男だった。


『死っ死体――!?』


『生きてるわよ、失礼ね!』


『じゃあ!』


 よもやどこぞから攫さらってきたのかと尋ねると、アリアは何も悪びれた様子もなく言い放つ。


『これはね、元々私の従兄が使ってたものなの。ほら見て、この綺麗な黒髪。顔つきも何となく彼に似てるし、背丈もほとんど変わらないでしょう?』


 だから買い取ったのだとアリアは続けた。


『これに記憶と心を移して、私だけのセージを作るの』


『記憶と心――?』


『そうよ。“穢れる前”の彼に私が愛を教えてあげるの。素敵でしょう? 私だけを愛する私だけのセージが出来るのよ。ふふふ、ふふふふふ!』


『!!』


 その後、頬を染めながら聞いてもいない事をべらべら喋るアリアにレナードは適当に相槌を打ち、怒れる心を表面上は凪いだ海のように静め、心の奥底で業火のごとく燃え上がらせた。


(もう……なりふり構っていられない――)


 それからのレナードは行動が早かった。

 アリアに計画を悟られぬよう、周到に準備を進め、それから半月もせず実行に移した。


(寝たか……?)


 レナードが最も得意とする魔法は催眠である。


 しかしアリアも魔道士それもレナードと同系統であるため掛かりが悪い。


 そこでレナードは食事に大量の睡眠薬を混ぜることにした。


 その日は、長年かけてようやく作り上げた理想のセイジ完成を祝う日だった。


 祝いの料理を存分に飲み食いしたアリアが眠りについた後、その上から更に何重にも魔法を掛けて時間を作る。


『セージ』


 その呼びかけにセイジの反応は無い。

 何故なら“セイジはアリアの命令しか聞かない”からだ。


 何が彼をそこまで縛り付けているのか、アリア・ダフォディルという魔女の恐ろしさをレナードは再確認した。


 しかし動き出した計画を止めるわけにはいかない。


 レナードはセイジの心が眠る“あの部屋”へ行き、傷つけぬように慎重に水槽の外へと出した。


『……』


 彼の意識がコチラ側へと戻される。

 膝をついて倒れ込んだ彼は、レナードにシーツを掛けられ、うっすらと瞳を開けた。


『おはよう。僕が誰で、ここがドコだか分かるかい?』


 その問いかけに彼はゆっくり首を傾げた。


『誰……だ。オレは…………なん、で』


 彼はレナードの事がわからなかった。

 ただ言葉が分かるという事は都合がいい。

 不安げな目をした彼に、レナードは一言、友達だと笑ってみせた。


『とも、だち……?』


 彼は頭を抱え混乱した。

 知らない男が自分の友人だと涙を流し、自分も何故か涙が溢れて止まらないのだから。


 混濁した頭をめいっぱい回転させても答えは出てこない。

 そんな彼にレナードは微笑む。


(僕が迎えにいくまで、セージの心を彼に守って貰わないと……)


『……ごめん。今の状況をちゃんと説明してあげたい所だけど、もう時間がない』


『?』


『今から君に魔法を掛ける。でも、それは絶対に君を傷つけるような魔法じゃない。僕を信じて、少しの間じっとしてて欲しいんだ』


 レナードが彼の手を取った。


『……君とセージがまた笑えるように……魔法を掛けてあげようね』


『……』


 目を瞑るよう言われた彼は頷き、言われた通りに瞳を閉じた。


 じわり、額に置かれたレナードの手から温もりが伝わり、彼を包み込んでいく……そして同時に彼の脳の内側にどんどん蓋がされていった。


 レナードが掛けた魔法は、記憶の封印処理と強い睡眠魔法。


 彼が再び目を覚ました時、一人ぼっちの彼の心が壊れてしまわぬよう配慮したのだ。


『ごめんね』


『……』


 彼は深い深い眠りについた。


『よっと……』


 彼の体をレナードは易々やすやすと起こし、濡れた体を素早く魔法で乾かし、被せていたシーツごと彼をテラスへ運び指笛を鳴らす。


『クロ、出ておいで』


 その名を呼ばれ、深い木々の間から姿を見せたのは“黒竜ブラックドラゴン”だ。


 この黒竜は、森で弱っていたところをセイジが保護し、“クロ”と名付けた。


 そのせいもあってか、クロはセイジとレナードにとてもよく懐いていた。


『いいかいクロ。もし待ち合わせの場所に僕達が来なかったら。そうだな、セントラルを目指すんだ。それで出来る事なら協会の魔道士を探して、彼に引き合わせてほしい』


 そう言ってレナードは事前に用意していた布を広げクロをその上に誘導した。


 布に描かれた陣が光を放つ。

 レナードは彼等に不可視の魔術を掛けたのだ。


『クロ……頼んだよ……』


 体に当たる突風と羽ばたく音を聞き、レナードは安堵する。

 けれど、額からは汗が流れていた。


『……もう起きたか、本当に化け物だな』


 レナードは先程から嫌な予感がしていた。

 部屋の外から微かにセイジの鎧が出す独特の金属音が聞こえているのだ。


(あんなに薬を盛ったのに一時間も持たないとは)


 しかしその顔と心は晴れ晴れとして、これから待ち受けているであろう現実に向き合う事にした。


『腹をくくろう』


 彼を裸同然で放り出したのは無謀で、愚かな行為だ。


 しかしレナードはセイジの心を救いたかった。いや、救わねばならなかった。


(今度は僕の番だ。あの日、君が僕を救ってくれたように、僕が君を、あの魔女の呪縛から解き放つ!)


 そう強く決心し、今にも怒鳴り込んでくるであろうアリアを待ち構えた。

 そして怒り狂ったアリアと戦ったのだが……。古城の魔女は強くレナードは歯が立たなかった。


 それからレナードは魔術も魔法も使えないように身ぐるみを剥がされた上、結界を敷いた地下牢で拷問を受けた。


『まさか国家魔道士、それも星室庁の犬だったなんてね。紋章を消すために肌まで偽装して……あぁ忌々しい! そんな事も見抜けなかったなんて!』


 アリアから問われる事は、彼を何処へやったのか。


 仲間はいるのか……様々だったが、レナードは決して口を割らなかった。


 最初は鞭、次に水攻め。

 中々口を割らないレナードにアリアは苛立ち、ついにはセイジをけしかけた。


 次の日も、また次の日も、命令されるがままに剣を振るセイジ。


 壁に向かって固定されていたお陰で、レナードの視界にセイジは入らない。それだけが救いだった。


「強情な男ね悲鳴の一つも上げないなんて」


 連日連夜の拷問に、すっかり飽きてしまったアリアはセイジを連れ部屋に戻り、地下牢にはレナード一人だけが残された。


 静寂は冷たい空気を運び、手枷と足枷は容赦無く彼から体温を奪う。


(ああセージ、君の“心”は、今何処にいるのかな……もう誰かに会えたのかな……)


 レナードは願う。

 願わくば、彼を心から支えてくれる、心優しき人に巡り会えますようにと――。


「……」


 蒼い月が古城の真上に差し掛かった時。

 硬い土に根を張る花が美しき花弁を散らす。

 ハラリ、ハラリと地に落ちて、その全てを風が空へと舞上げた――。

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