第27話『おもひでクライシス-③-』
夜の修道院に緊張が走った。
騒ぎを聞いた老いた
「二人組の内一人は、既に捕縛したとの事ですが――」
部屋には若い修女が報告に来ていた。
老いた修女の着替えの傍ら、大きな黒いベールから金色に光る髪と、端整な顔立ちを覗かせた若い修女がその蒼い瞳に戸惑いの色を浮かべた。
「レムリア?」
老いた修女の「どうかしたのか」との問いに、若い修女レムリアは硬い表情のまま口ごもる。
「捕らえた賊なのですが、協会所属の国家魔道士のようでして……」
老いた修女が、その情報は本当かとレムリアに問い返す。
「はい。制服も着用していますし、身分証と左上腕部の紋章を確認したと」
「こんな時に身分証まで……反撃もしなかったそうだし、随分と礼儀正しいこと。協会は? 何か言ってきてるの?」
「いえ、とくにそういった事の申告はなく問い合わせも見合わせています。……その者の画像データご覧になりますか?」
レムリアはタブレット端末を手際よく操作すると、老いた修女に見えるようにソレを掲げた。
薄暗い室内で体を拘束されたリドの姿が、画面全体に映し出される。
捕らえられた時に付いたのであろう顔は泥で汚れ、艶のある紺の髪に所々芝が絡まっていた。
それを見た老いた修女は眉を顰めた。
「それともう一人は、ドワーフかホビットでしょうか。まるで小さな子供のような背丈で協会関係者らしいのですが、何故か左手をギプスで固めていると報告にあります」
レムリアのその言葉を聞き、さして広くない、古めかしい家具の置かれた質素な室内に老いた修女の錆びた声が響く。
「皆に装備レベルを最大まで引き上げるよう通達を。指揮は引き続き貴女が執りなさい」
「はっ」
命を受けたレムリアはすぐに踵を返す。
その後ろ姿を見ながら、老いた修女は窓の外を見た。
「……今日はまた、随分と賑やかな夜になりそうね」
そう呟くと、痛みきった白髪を軽く手でとかし色あせたベールを頭に被る。
蒼い月光に照らされたその顔は、若干の笑えみを含んでいた。
まるで、いつもとは毛色の違う“侵入者”を喜んでいるような、そんな表情で――。
***
【???】
――同時刻。
とある古城の地下牢で男が拷問を受け、八日経った。
「ねぇレナード、いい加減吐いたらどう?」
「……」
煌びやかなワインレッドのドレス。
それを纏った黒髪の少女は、小指以外の爪が剥がされた男、レナードの痛々しい足を厚底のヒールで踏みつけ苛立ちをぶつけていた。
「ねぇ」
「……」
不機嫌そうな少女の声に、レナードは苦痛の表情を浮かべながらも無言を貫く。
(言ってたまるものか……)
天井から下がる鎖に、足と両の手は封じられ、この寒い時期にも関わらず、服さえまともに纏っていない。
集中的に攻撃を受ける背中は、カサブタが出来る前に別の斬撃を受けるため傷口が酷く膿み、元々澄んだ空色だった髪は、皮脂と埃で汚れ元の色が分からない程になっている。
そんな危機的状況に晒されていても尚、レナードは己が信念を突き通し、今日も無言を貫く。
その頑なな態度に、少女は一層苛立ち。
地に付きそうな程長い黒髪をガシガシかき乱し舌打ちした。
今日もまた、この上ない苦痛をレナードに与える為に無慈悲な命令を下す。
「セージ、レナードの背中を斬って。命令よ」
顔以外の全身を余すこと無く黒い甲冑に身を包む男、セイジはその声に反応し、その剣先でレナードの背を裂く。
「っ!」
一太刀の重みは、日を重ねる毎に重くなり尋常じゃない程の痛みが断続的にレナードを襲う。
「ふふん♪」
苦痛に歪む声を聞き口角を上げる少女。
少女は残酷だった。
レナードの親友であるセイジの心を奪い、無理やり“物”にしただけでなく。
その手でレナードを傷つけようというのだから。
――事の始まりは、まだ学生だったレナードが森で倒れていた異界人“キリハラ・セイジ”を拾った事から始る。
拾いたてのセイジは、利き手が不自由で慣れない異界生活、異なる言語にも随分と戸惑っていた。
最初はジェスチャーでコミュニケーションを取っていたが、彼は元々頭が良く要領もよかった。
ひと月経った位には普通に喋れるようになり、利き手も治って自信が付いたセイジは、世話になっている礼にとレナードの家族が経営する“宿屋”を手伝いたいと申し出る。
掃除洗濯、配膳等、ありとあらゆる事を完璧にこなす“働き者の真面目な男”。
人当たりもよく社交的で、折角休暇を与えても『何もしないのも暇だから』と、彼は自作の紙芝居を近所の子ども等に読み聞かせ、住民の頼み事を引き受けたりと近所でも評判だった。
そんな彼は、レナードの家族からも息子同然に大事にされていた。
彼とレナードが親友と呼べる仲になるまでそう時間はかからなかった。
けれどセイジが異世界に来て二年が経った頃、レナードが大学を卒業すると同時に王都セントラルでの就職が決まった時。
『君も一緒にセントラルへ来ないか?』
ずっとこんな田舎にいてもつまらないだろうという話になった。
けれどセイジは首を横に振る。
『親父さん達には良くしてもらってるし、俺はここの生活が気に入ってるよ』
そう言って、セイジはセントラル行きを断った。
それを言われてしまうとレナードはなにも言えない。
彼にとっても自分の家族にとっても、セイジはもう家族なのだから。
そしてレナードがセントラルへと居住を移しニ年が経った。
季節は冬。
一週間の休暇を取ったレナードが地元に帰省した日に事件が起きた。
それがレナード・ギリアと、キリハラ・セイジの人生を大きく変えた事件である。
『三人目が出たか……』
『やだねぇもう、こんなんじゃ商売あがったりだよ』
レナードの父と母が、すっかりガラガラになってしまった食堂でボヤく。
実際、その事件が起きてからというもの、客足は遠のくばかりだった。
事件とは街で相次ぐ無差別傷害事件である。
すでに発生から三日目。
レナードが帰省してからほぼ毎日、一日に一人のペースで襲われていた。
幸い被害者は皆、皮膚を裂かれる程度の軽症で済んでいるが、犯人が獣人で人狼族のような外的特徴をしていることから、通り魔は“人食い狼”という呼称が付き、このまま犯行はエスカレートしていくのではないかと住人は怯えた。
レナードの父は、折角帰省してきた息子に『危険だから、早く帰ったほうがいい』と言ったのだが、当のレナードは危険なのは皆同じだと、当初の予定通り一週間の滞在予定を曲げることはなかった。
事件発生直後から、住人総出で山狩りもし警戒にあたったが、被害者はなおも増え続け捜査は難航していた。
そして五人目の被害者が出た所で、遅すぎる決断であるが、これ以上被害を出さぬためにと役人が重い腰を上げ、やっと魔道士協会に依頼をだした。
そしてその日のうちに、協会本部より一人の国家魔道士が派遣された。
肩まである桃色の髪を風になびかせ、魔道士協会特有の黒い戦闘服に身を包む、その魔道士の名はステラ・メイセン。
まだ幼さの残る少女であった。
もしかしなくとも戦闘になる。
本当に大丈夫なのだろうかとレナードはステラに声をかけた。
それに彼女は『大丈夫ですよ』と自身の制服の袖を見やすいように前に出す。
袖に施された金色の二本のライン、それは確かに戦闘職種を示すものだ。
ステラの滞在中は、ギリア家が経営する宿屋の一室が提供された。
彼女があまりに幼いためレナード同様、不安を抱いた住人達が代わる代わる彼女の様子を見に来ては、少し騒ぎになったりもしたが、彼女は逆に都合がいいと、集まった住人に簡易検査をして回った。
ステラ・メイセンは優秀だった。
彼女が街へやってきて二日目の朝、早くも人食い狼の正体を突き止めたのだ。
『貴方だったんですね』
『え……?』
自身が宿泊していた宿屋の一室で、ステラはその人物にそれを告げた。
『――僕が……人食い狼…………?』
人食い狼の正体は、レナードだった。
『なん、で……』
『……最近どこか怪我をしませんでした? それも獣族の方と争って……』
『!!』
レナードは動揺した。
心当たりがあったからだ。
それは休暇を取る前の事、ある任務を遂行中、彼は右腕を負傷している。
それも相手は多数の獣人族。
不運なことにその傷を付けたのが人狼病のキャリアだったのだ。
『そんな…………』
『大丈夫。安心してください。今ならまだ間に合いますから』
“人狼病”を患うと晴れた日の晩。月の満ち欠けに関係無く月光を浴びることで獣人化してしまい理性を失ってしまう。
なんの処置もせず放っておくと、最終的には狼そのものになってしまうという、やっかいな奇病であるが治す術が無いわけではない。
副作用が高確率で出る薬ではあるが、彼女が持ち込んだ特効薬を飲めば普通に治る病気なのだ。
その後、被害者や住人達には彼女が話をつけた。
通り魔の正体は人狼病を患ったただの人間であること。
その患者本人は、獣人化している間の記憶が無く、他意はないとはいえ、人を傷つけてしまったことを心から悔やんでいること。
そして近日中に必ずケリを着けると一軒一軒回って約束していた。
その後レナードは予定通りにセントラルへ帰る事を伝え、朝早くに家を出た。
そして街から離れた森の中、今は使われていない荒れ屋でステラと落ち合い、そこで治療が始まった。
『……思ったより早く進行してますね』
まだ夕方であるにも関わらず、顔の産毛が長くなり、手足の爪が伸び始めるなど、人狼化の片鱗を見せていた。
その事実を目の当たりにし、ひどく動揺するレナード。
彼女はそんなレナードを落ち着かせようと震える手を取り固く誓う。
『大丈夫です。私が絶対に助けますから、信じてください』
赤い瞳は揺れることなく真っ直ぐ前を見た。
そのとても強い眼差しと言葉にレナードは改めてその身を委ねることを決意し、彼女の指示に従った。
『うっ――』
それから数時間後。
レナードが次に目覚めた時、夜は既に明けていた。
『治ってる……』
鋭く伸びた爪は丸みを帯び、毛深くなっていた顔も、皮膚の感触を直に感じ取れる程、全てが元通りになっていた。
レナードは人狼病という奇病から開放されたのだ。
それから半年後、レナードが再び地元へ帰省した時のこと。
何故かセイジの姿は無く、彼の部屋は客室になっていた。
驚いたレナードが父親にセイジの所在を聞くが、父親はとんでもない事を言い出した。
『まさかアイツが人食い狼だったとはなぁ』
『!?』
驚くレナードをよそに、父は事も無げに語る。
レナードが出発した後すぐ、セイジが突然自分が人狼病を患っていた事を告白してきたのだという。
そして被害者に謝罪して回り、レナードの父と母に今まで世話になったと礼を言って、その日中に出て行ったと……。
『なんでそんな! だってあれは僕が!』
『お前は絶対そう言ってアイツを庇うって事も言われたよ』
『だから!』
この話はもういいと父親は無理やり話を切り上げた。
項垂れるレナード。
状況が全く分からず、混乱した頭で置き手紙の一つでもないかと物置に向かい、セイジの私物をまとめているという箱を漁った。
『これは……』
レナードは一冊の本を手に取った。
元々それはレナードの所有する物だった。
しかし本の内容が余りにもくだらない内容だった事もあり、捨てようとした所セイジに止められ、彼にあげていた。
手に取った本に、開きグセのある箇所がある事に気付く。
そこに驚くべき記述があった。
とある地方の民間療法で人狼病患者が、他の人間に直接噛み付いた場合、人狼病は他者へ移り、噛み付いた本人はすぐに完治するというにわかには信じがたい一説が……。
『!』
レナードはハッとした。
ステラが用いた薬は、効能が強い分高確率で副作用が出ると言われていた。
副作用とは服用後二~三週間は月の光を浴びると体の一部が獣人化してしまうというものだ。
そしてレナードはその話しを宿屋で聞いていた。
もしそれを、扉の外でセイジが聞いていたとしたら、そしてこの本の存在を思い出し、読み返したのなら――。
全てを察したレナードは絶望し、膝から崩れ落ちた。
『君は……本当に……』
レナードの勤め先は星室庁。
それも彼は、順風満帆に出世街道を突き進める程の優秀な人材だった。
それも多忙の中、定期的に長期休みを取っていたレナードには余計な休暇を追加で取ることが難しく、戻ればすぐ任務に着くことになる。
任務は昼間だけではない。もし万が一副作用が残った状態で月の光を浴びてしまったら……。
不可抗力とは言え、幾人もの人を傷つけてしまったレナードの経歴には傷が付いていただろう。
だからセイジは全ての罪を自分が被り、未来あるレナードのために自らを犠牲にし、効くかもわからぬ民間療法で親友を、家族を救ったのだ――。
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