第23話『黒犬達の円舞曲-⑥-』
あっという間だった。
咄嗟にステラの袖を引き前に出たアスターは、ゴルボに腕を掴まれ、まるで玩具を放り投げるようにバスの前方に投げ捨てられてしまった。
その衝撃で座席の角で頭を切り、バスの床に流れ出た血が道を作る。
車内はまさに阿鼻叫喚。
猫又族の老婆は天に祈りを捧げ、子供は泣き喚き、釣られてその母親や若い女性も涙を浮かべ悲鳴を上げた。
「アスターさん!」
ステラはすぐに彼に駆け寄った。
しかしその夥しい出血量を見てまたパニックに陥ってしまう。
「大丈夫、だ。派手に血が出て見えるだけで、大した傷じゃないと思うから……」
「で、でもっ!」
アスターは額から流れる血を手で拭う。
けれど血は止まる事無く流れ続けた。
「ほんと大丈夫だから……落ち着け……」
「っ……!!」
ステラの手はやはり震えていた。
その顔も唇を噛みしめ、今にも零れそうな涙を必死に堪えているような状態だ。
「あの人のアレ、ライネックだよな……」
「は、はい。そう、だと思います」
ライネックは寄生した宿主を凶暴化させる。
だからきっとこれも本望では無く、その人なりに中で戦っているかもしれない。
しかし、このまま手をこまねいていても、被害は増える一方だ。
これ以上人を傷つけてしまう前にどうにか出来ないか? とアスターは続けた。
「や、やってみます」
未だ震える手を握りしめ、ステラは杖を手に取った。
正気を無くしたゴルボが座席にはまり、身動きが取れていない今が絶好のチャンスだ。
「彼の者の戒めの枷となれ! ウムブラ!」
「ガッ!?」
詠唱が終わると同時に、杖から放たれた黒い影がゴルボの足や腕を締め上げ、自由を奪う。
「運転手さん、今すぐバスを停めて乗客を降ろしてください!」
アスターがそう叫ぶと、運転手は慌てて路肩にバスを寄せ、降車ドアを開放した。
乗客は次々バスを降りて行き、残されたのは運転手を含む彼等二人と、後部座席に取り残されたサブとゴルボだけになった。
ガランとした車内。
エンジン音が響く中、攻防は静かに続く。
「ひぃ……!」
「大丈夫、ゆっくりでいいですから、慌てず進んでください」
通路にはゴルボがいるため、サブは座席の上を伝って進むしか道は無かった。
いくら術で拘束されているとはいえ、すぐ傍でゴルボが鼻息を荒くしていると思うと、サブは気が気ではなく、恐ろしさで力がうまく入らない。
まるでナマケモノにでもなったかのように、ゆっくりゆっくり手足を動かし、常にぎこちない。
(もう少し、あと少しで……)
サブの足がやっと床に着地したところで、ステラはホッと安堵した。
「お願いします! アスターさんを、その子を連れて降りてくださいっ!」
「!」
そう懇願する彼女の声は悲鳴に近かった。
けれどサブの視界に彼は入っていない。
ただただ自分が助かる事ばかりを考え、極度の緊張でガチガチに固まった足腰を無理矢理動かし……最悪な事に、サブはステラを道連れに転倒してしまう。
そのせいでステラの気が削がれ、術が緩む。
「ゴガァアア!!」
ゴルボが一際大きな雄叫びを上げた。
そして力任せに術を破ると、ステラとサブに掴みかかり、二人を車内後方へ思いっきり投げ飛ばした。
「っ!」
「グェッ!」
バス後方のガラスにまず彼女がぶつかり、その上からサブの背中が直撃した。
壁とサブに思いっきり挟まれたステラは、そのまま後部座席に落ち、動かない。
「ステラ……!」
(くそっ、今すぐアイツの元へ駆け寄りたいのに、心臓はこんなにも激しく脈打っているのに!)
額を切ってからというもの、彼の体は力が抜ける一方であった。
立とうにも足に力が入らず、その光景をただ見る事しか出来ない今の状況がアスターにとって何より腹立たしく、自分がいかに無力であるかを痛感した。
「っ……運転手さんバスを出して! 俺達を
アスターが渾身の力を振り絞り叫ぶ。
彼女が救った命が、これ以上脅かされることのないように、被害を最小限にするためだ。
「くそっ……くそぉ――!」
せめて元の姿でいたならば、状況は変わっていたかもしれないのにと今更後悔するがもう遅い。
飴はステラの鞄の中、どれだけ手を伸ばしても今は届かぬ場所にあるからだ。
( 人気のない所に行ったとして、それからどうする……俺は、何をしたら――)
「だめ……だ……」
目の前がチカチカ白く光り、
彼の意識は、ここで一度途絶えている。
***
【星室庁通信指令部・中央指令センター】
壁一面に広がる巨大モニターを目の前に、男は呟く。
「このバスはどこに向かっている……。ドライバーとの連絡は?」
「通信機器にトラブルが起こっているらしく、連絡はついていません」
男は切れ長の目をさらに細め顔を顰める。
そんな男に、横に立つ髪の長い女が淡々と資料を読み上げていく。
全身真っ白の制服に身を包み、背中に正義の六芒星を背負う彼等は、魔道士や魔術師そして異種族を裁く事が出来る唯一の警察機関“星室庁”の人間だ。
「司令、これより問題車両を誘導すると
オペレーターが振り向きざまに報告する。
「誘導先は?」
「セントラルパーク第六駐車場です」
「あそこか……まあ、やりやすい立地ではあるが……、カーターのところにはもう連絡はしたのか?」
「はい」
「“ナインズ”は?」
「急行しています」
「そうか」
男は短くそう返すと、再びモニターに視線を戻した。
一見すると緊迫した様子の室内であるが、男の口元は何故か若干の笑みを含んでいた。
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