第22話『黒犬達の円舞曲-⑤-』

 飯を食べ終えたところで、アスターは再度ルドラの診察を受けることになった。


 検査項目は先ほどより若干増えたものの順調に進み、今は年齢から血液型、出身地等、色々質問されていた。


(名前以外はスラスラ出てくるのねぇ……)


 家族構成や子供の頃の思い出等、ルドラが思いつく限りの、かなり突っ込んだ質問にも言い淀む事なく全て返されている。


 本当に、彼の中で自身の名前に関する記憶だけが無い状態であった。


「こちらに来た時の状況はさっき聞いたけど。その前に何かこう、辛い事とか悲しい出来事は無かったかしら? 例えば大切な人を亡くしてしまったとか、仕事で行き詰ったとか……。何でこんなことを聞くかというとね。これはまあ統計の話しなんだけど。こっちに来る人って、元居た世界で大きなストレスを抱えてたって人が多いのよね」


「ストレス……」


 思い当たる節はあった。

 彼は家族の反対を押し切り、高校卒業と共に漫画家を目指し上京した。


 しかしだからと言って漫画家になれるわけでもなく、仕送りも無い分、働きながら我武者羅に漫画を描くという生活を送っていた。


 けれど描いて描いて、描き続けた結果、ペンも握れなくなってしまった。


 自業自得で不甲斐無いとしかいえない。


「あらま、大変だったのねぇ」


「あとはまあ……」


 この話には続きがある。

 彼がバイトを休んでいる間の事だ。


 彼が初めて付き合った年下の彼女が、同じバイト先の同期男性と浮気し、一方的に振られてしまったのだ。


『――先輩は良い人だけど、それだけだからつまんない』


 それが彼女が彼に寄越した最後の言葉だった。


「あれだけ向こうから好きだと言っといて浮気って。なんかもう意味がわかりませんでした」


 こう思い返すと色々な事が重なって、ストレスになっていたのかもしれない。


 もしかしてそれが原因なのだろうかとアスターはこぼす。


「可能性は大ね。にしても酷い女も居たものねぇ」


「笑顔が可愛い子だったんですけどね」


「あら、なぁに? 顔で選んだの~?」


「そういうわけじゃ――」


 ないと言ったところで、医務室のドアがノックされた。


「お、お待たせしましたっ!」


「あらステラちゃん。早かったわねぇ」


 扉を開けたのは、息を切らしたステラだった。


「丁度こっちも終わったとこよ~」


「そ、そう、なんですか?」


「とりあえず落ち着けって、めちゃくちゃ汗かいてるじゃないか」

(どれだけ急いで来たんだ)


 ステラは元々、今日は仕事が入っていた。

 しかし一連のごたごたでキャンセルしようとしたのだが、代わりの人間が見つかず、ダッシュで依頼をこなし、帰ってきたのだ。


「そんなに急がなくても良かったのに」

 

 いざとなれば一人でも帰れたのにと、協会を出てすぐ彼女に言うと、ステラは何の気なしに返事する。


「依頼は簡単な内容でしたし、それに……今日は一緒にいたい気分でしたので」


「……お前、あんまそういう事ポンポン言うなよな……」


「そういう事とは?」


 キョトンとした顔のステラは、何も分かっていない様子で首を傾げた。


「……こりゃ、リドも大変だな」


 アスターの聞こえるか聞こえないかの絶妙な声は、道行く車がかき消した。


 それから道路を渡り、丁度やってきたバスに乗り込む二人。


 流石の魔道士協会前。

 乗客は一気に降車し、車内は混雑する事無く、席はまばらに空いていた。


 優しそうな猫っぽい老婆や、子連れの親子を横目に、二人は後ろから二番目の席目掛け車内を進んでいく。


(ゴリラとチンパンジーがいる……)


 アスターは一番後ろに座っていた獣人の乗客に目が行った。


「どうかしましたか?」


「いや」


 今まで人外の者を見ると、極端にテンションが上がっていたアスターだったが、人間すぐ慣れるものでそこまで驚くことは無くなった。


「慣れって凄いよなぁ」


「……え?」


「こっちの話」


「?」


 扉が締まり、バスがゆっくり発車する。

 バスに乗る時は大体アスターが窓側で、ステラが通路側に座る事が多い。


 今日も今日とて、二人はぼんやり外を眺め、暫く身を任す。


「そろそろですね」


「ん」


 実はこの路線には、バスが大きく揺れるポイントがある。


 それは協会近くの交差点を少し過ぎた所で、二人はさてそろそろだと前の座席背面に付けられた取っ手を握り、力を入れた。


「「うぉっ!」」


 真後ろから頓狂な声が上がる。

 同時に何かが複数、パラパラと音を立てて床に転がった。


「落としま――」


 足元まで転がったそれを拾おうと、ステラは身を乗り出し、手を伸ばしたが……その言葉は途中で止まってしまった。


 不審に思ったアスターが、どうかしたのかと声を掛けるも、返って来たのは「何でもありません」という返答だった。


(絶対何かあるって顔だろ)


 彼女は一言二言の短い会話でも、相手の目を見て話す人間だ。


 しかし今は彼の目を見ること無く、ただまっすぐ前を向き顔色も悪い。


 車酔いでは無い、明らかに彼女が動揺していると彼が思ったその時だ。


「ぐっ、ぐうぅぅ!」


 大型の獣人の男、ゴルボが突如唸り声を上げた。


 その様子は時折嗚咽を漏らし、とても苦しそうだ。


 あまりに突然の事で、ステラとアスターは驚き、席を立つ。


「ガァアアアア!!」


 ゴルボが咆哮を上げ、もがき苦しむように服を破く。


 そして獣本来の姿を丸出しに、分厚い胸板を叩きだした。


 その姿を見てアスターは驚愕する。


「おい! あれっ!」

「!!」


 二人の視線のその先に、確かに見える黒いもの。


(ライネック!)


 ゴルボの胸間にライネックが自らの存在を主張するかのように大輪の花を咲かせていた。





***


【魔道士協会:従業員食堂】

 昼時になり、ほとんどの席が埋まっている中、スターチスの横にクロエ、リドの隣にメリッサと向かい合わせに座った四人。


 腰を落ち着け、みながさあ一口食べようかとしていた時、リドの丁度真後ろのモニターが、路上で慌ただしく緊迫した現場を報じる女性リポーターを映し出した。


《バスは依然、セントラル市内を北上中です。先ほど入った情報によりますと、逃げ遅れた乗客の中に、重傷を負っている方が数名いるようです。犯人は獣人型の異種族であると見られ――》


「け、結構近い……よね?」


「やーね。今時バスジャック~?」


 食事に集中したいタイプのリド以外の三人は、テレビに釘付けだった。


 ここで画面は、車内で暴れまわる大柄の男に切り替わった。


「ゴリラだわ」


「ゴリラだねぇ」


「ゴ、ゴリラ……だね」


(犯人はゴリラか)


 ゴリラゴリラとざわつく食堂内。

 しかしその空気は一瞬でかき消されることになる。


 報道カメラが、頭から血を流している少年を映し出したからだ。


「アスター君!?」


「アイツ何やってんの!?」


 慌てて立ち上がったスターチスとメリッサにリドは何事かとそこで初めて画面を見た。


 大画面に映し出された血まみれのアスターと、後部座席でぐったりした様子のステラを見て、事の重大さにやっと気が付いたのだ。


《♪~》

 

 四人の懐から、同じ着信音が鳴り響く。

 ほぼ同時に懐から端末を取り出し、全員それを見た。

 

「――諸君、出動だ」


 普段のおどけた様子からは、想像出来ない程のスターチスの暗い声。


 それにリド、メリッサ、クロエの三人は短く返事をし、四人は食堂を後にした――。

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