第16話『ともだちができました-④-』

 ギルはヒナとは一学年上でよく遊ぶ仲だった。けれど今のヒナの中に自分は居ないと言う。そしてヒナにはここ数年の記憶が無いのだとも……。


「どういうことなんだ?」


「……アタクシからお話し致します」


 ヒナの母が死んだ日、その日何が起きたのか一部始終を見ていたグレタが時折言葉を詰まらせながら語りだした。


 元々体の弱かったヒナの母は定期的に病院へ通い検査を受けていた。


「あの日は朝からお体の調子が良くないということで早めに屋敷を出たのです」


 家を出てすぐの大きな十字路での事だ。

 信号は青、横断歩道の前に行儀よく並んだ車の最前列。


 二人が乗った車はエンジンをふかしながら信号が変わるのを待っていた。


 そこへヒナとギルが通りかかった。

 ヒナは自分の家の車に気が付くと、歩道を渡り終えるまで手を振り、車中の誰もがそれに応えていた。


 ここまではごくありふれた風景だった。


 悲劇が起きたのは二人が信号を渡り終えた時だ。ギルが自分の靴紐がほどけているのに気が付き、その場でしゃがみ込んだタイミングであった。


「あれは突然の事でございました。当家の車が急に歩道に乗り上げて……」


 暴走した先にはギルがいてヒナが咄嗟にギルを突き飛ばし車と壁に挟まれたのだ。


 その場にいた誰しもが言葉を失い、そして同時に悲鳴をあげた。


 運転手は慌てて車を動かしたがヒナの小さな体は衝撃に耐え切れず、呼吸さえ難しい状態に陥っていた。


 一刻も争う危険な状態にヒナの母が動く。

 ヒナの母は魔道士。それも癒しの力“治癒魔法”を得意とする魔道士だった。


 けれどその力を使う事を事情を知る者は良しとはしなかった。


 何故ならば力を使えば使うほど本人の命が削られてしまうからだ。


「お力を使えば奥様の体がどうなるかアタクシ共は分かっておりました。でも……奥様はご自身のお命よりもお嬢様が大事だからと」


 救急車なんて待っていられない。

 目の前で苦しむ我が子を黙って見ていろと言うのか。どうせそう長くない命、今使わずしていつ使えと……そう捲し立てた。


 そして魔法を使うその前にヒナの母はギルと“ある約束”を交わし、我が子の命を救ったのである。


「お力を使い果たした奥様は……まるで眠っているかのように安らかなお顔で深い眠りにつかれました……」


 グレタの頬を伝う大粒の涙がボタリと床に落ちた。


「オレが……オレがあの時くつひもなんてむすびなおさなければ……」


 封を切ったかのようにギルもむせび泣き、グレタがそれを抱き留める。


「ギルは悪くないだろ! 一番悪いのは運転手だ! 何で急発進なんか……。それさえなければそんな悲劇は起きなかったのに……」


 行き場のないアスターの怒りにグレタは首を振る。


「運転手も悪くはないのです……。あの事故はグレムリンの幼体がライネックに取り憑かれ引き起こしたものでございました」


 誰が悪いでも無いただの不運な事故だと。

 けれど――。


「奥様がお亡くなりになられた事で、お嬢様がパニックを起こしてしまいまして」


 祖父との別れを経験していたヒナは人が死ぬという意味を知っていた。


 その原因を作ってしまった自分と大好きな母との別れにヒナの涙が枯れる事は無かったという。


 過呼吸を起こしては意識を失う日々。

 まだ幼いヒナにとって、それほどまでに受け入れがたい事だったのだ。


「お食事も水も何も受け付けず……元々お小さいお体がどんどん痩せて細くっ……!」


 そこで記憶を封じる処置を施す事になった。


 けれど忘却術というものは実に曖昧で、その日限定で封じる事なぞ出来ない。


 数分の記憶を封じることも出来れば、ヘタをすると十数年分封じてしまう場合もあるというとても扱いの難しい術なのだ。


「お嬢様の場合、四~五年分といったところでしょうか、ギル坊と出会うより遥か昔まで封じられておりまして」


 もう九歳になるというのに幼子のように屋敷でひとりぼっちで遊ぶヒナ。


 その状態が長く続けばヒナにとって良くないことだと誰もが理解していたが、家族を含め皆が皆どうしたらいいのかわからなかった。

 

「でもオレ、あの時約束したから」


 ――ヒナは寂しがりやだから、私の代わりにヒナの傍にいてあげてね。


 それが二人が交わした約束だった。


 けれどギルは怖かったのだ。

 自分といる事でヒナが事故の事を万が一思い出してしまったら……。


 狂ったように泣き続けたヒナの姿をギルは見ている。


 だからこそ不安で不安で堪らなかった。

 そして掛かった分だけ行動に移すのに勇気がいった。


 今日、また明日、今度こそは……。


「オレ……門の前から足が動かなくて……」


 その一歩が難しい程追い詰められていた。

 自分のせいでヒナの母が死んだ。その罪悪感はギルが抱えるには大きすぎた。


「正直に話したほうがいいと思う」


「そんなこと!!」


 出来るわけがない。ギルの言葉を遮って、アスターは続ける。


「部外者が知ったような口をって思うかもしれないけど。このままだとあの子はもっと傷つくよ。それこそお母さんを亡くした時より深く。自分も周りも全部が全部信じれなくなって壊れちゃうんじゃないかな」


「でも……」


「もし俺があの子の立場だったら、本当の事を言って欲しい。受け入れるのに時間が掛かっても、ちゃんと真実を知って墓前に手を合わせたいよ。それにヒナのお母さんだって、お前にヒナを託したんだ。今のこの状態は望んで無いってことだろ」


 その言葉にギルは言葉を詰まらせた。


「気持ちの整理って確かに大変だよ。それも自分が絡んだ事で親を亡くしたんだ。悲しみは測り切れない。でも今の状態は……この嘘の付き方は駄目だよ。この嘘は誰も幸せになれない、優しくない嘘だ」


「坊ちゃん……」


「ヒナがまた泣いたら、胸を貸して抱きしめてやれよ。お前の胸で足りないならばあやさんだっているし。俺もシオンも今ならクソガエルだっておまけで付いてくるんだぜ?」

 

 心強いかどうかは分からないけれど、という言葉にそれでもとギルは煮え切らない。


「ばあやさんもこのままじゃ駄目だって事分かってるんですよね? だから今日俺達を呼んだんでしょ?」


「…………えぇ。仰る通りでございます」


 最後の最後まで思い悩んでいたグレタは、キッカケが欲しかった。凪いだ水面に波紋を生じさせる為の一石が。


 藁にも縋る思いでミスターに今日の件を頼み、ヒナの世界を広げたかった。


「お友達が居れば……もし記憶が戻っても前に進めるかもしれないと……。アタクシ供大人がどんなに寄り添おうとしても、きっと嬢様を真の意味でお支えすることは出来ません。同じ目線、同じ歩幅で共に歩む存在が、今のお嬢様には必要だとアタクシは考えました」


 そう、闇雲に記憶を封じるのではない。

 ゆっくりでもそれを乗り越える力をつけなければ、ずっとヒナは大きくなれないのだ。


「ではもう、やる事はひとつですね」


 アスターがニヤリと笑う。


「しましょうか! お誕生日パーティー!」


 全て元通りとはいかなくても、きちんと真実を伝え、ヒナは一人ではないと、悲しみを共に乗り越えようとする者がいる事を伝えるために——。

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