第15話『ともだちができました-③-』


 少年は市街地へ向け駆けていく。


(クソッ)


 どれぐらい走っただろう。

 少年は勝手知ったる土地だろうがアスターは新参者。相手を追うことしかできないというのは実に効率が悪いと思い知る。


 鈍りきった体に整う事のない呼吸、そして脇腹に刺すような痛みが走る。


「全っ然っ追いつかねぇ!」


 大きな道から脇道に入られてしまい彼がここまでかと諦めかけたその時だ。


 何かが大量に割れた音と野太い男の怒号が飛んだ。


「あーあーあーあーっ! こんなにしちまってどうしてくれんだ!」


 辺り一面が赤黒く染まっていた。

 果物や土、そして酒の匂いが混じった酷い臭気が鼻を突く。


「な、なんだ?」


 彼が目視できたのは何本割れたのか分からないワインボトルの残骸とアスファルトに染み込まず、道に広がる液体だった。


 傍にはガタガタと震えているあの少年が倒れ込み、血管が切れそうな程怒り狂うガタイのいい男が立っていた。


(ここ、酒場か……?)


 状況を見るに酒類を搬入中に少年が飛び出し箱ごと落としてしまったのだろうとアスターは推測した。


 路肩に寄せられたトラックの荷台に、同じような瓶が入った木箱が沢山積まれていたからだ。


「聞いてんのか! あぁ!?」


 吠えるような男の声に少年は嗚咽混じりの消え入るような声で許しを乞う。


「ごめっなさ……ゆるし……」


「あぁん!? 聞こえねえよ! ハッキリ喋れハッキリ!!」


 そんな言葉で怒りが静まる事はなく、男は苛立ちを地に転がる酒瓶に移した。


 酒に濡れたアスファルトの上を割れた酒瓶が勢い良く転がっていく。


(まずいな)


 どちらに非があるかは明白。

 けれど小さな子どもに対しあのように暴力的に怒り狂う姿は見ていて気持ちの良いものではない。


 彼は怒りの矛先が少年の体へと移ってしまう前に思い切って声を掛ける事にした。


「すみませんっ、そいつ俺の友達なんです。俺が追いかけっこしようっていったから……俺が悪いんです! 怒るなら俺も怒ってください!」


 聞きしに勝る名演技とまではいかないが、男はアスターの突然の登場に混乱したのか、ぐっと言葉を詰まらせた。

 そこへ――。


「それくらいにしといておやりよ」


 酒焼けした声の女が酒場から出るなり自制を促す。


 男に劣らず縦にも横にも貫禄のある中年の女はすぐさま少年の元へ行き、へたり込んでいた少年を抱き起こした。


「怪我ぁ無いかい? まったく、こんなに汚しちまってなぁ」


「あ……ありがと……ござい、ます」


「いいんだよぉ、あの人がグズグズ運んでるからいかんのさ」


「なっ!」


「アンタ! この辺は子供が多いんだから気ぃつけなっていつも言ってんだろ! それともなにかい? アンタの耳はマカロニなのかい!?」


 茹でで食うぞと耳を摘ままれ痛がる男。


「いてぇ、いてぇよ母ちゃん!」


「ちゃんと聞いてんのかい!? えぇ!?」


 そんな犬も食わない夫婦の喧嘩を店の中から飲んだくれの客達がもっとやれと野次を飛ばす。


「まぁーガキはこれくらい元気じゃなきゃーな、俺等がジジババになった時おんぶに抱っこしてもらわにゃ! 腰が痛くてしょうがねぇわ!」

 

 ドッと笑いが巻き起こり周囲の空気がどんどん穏やかになっていく。


 そんな中、野次馬が道へしゃがみ込み、無残に流れた酒を恨めしそうに見つめ、ため息を漏す。


「もったいねぇなー。道にくれてやるくれぇなら俺がタダ酒飲みたかったぜ」


「アンタにタダ酒飲ますくらいなら、その辺の草にくれてやったほうがまだいいさね。酒臭い息しか吐かないアンタと違って、草は空気を綺麗にしてくれるからね」


「はっはっは! 違いねぇ!」


(何だこの状況……)


 小芝居のようなやり取りにアスターは困惑気味だ。


(あぁでも)


 アスターは少年の顔をチラリと見た。

 先程まで泣きっ面だったあの少年が、いつの間にか体の強張りを解いている事にホッと胸を撫でおろす。


「ほれ、ここはガラスが散って危ないから向こうで遊んでおいで。でも角を曲がる時は一度止まって周りに気を付けて進むんだよ」


「は、はい」


「……いい友達だね。大事にしな」


 優しくそう囁く女将の言葉は少年に届いただろうか。


 二人はそのまま背中を押され酒場から離れた道の端へと移動した。


「おい、ちゃんと謝るぞ」


 アスターは少年の背中をバンと叩き、せーのと声を合わせた。


「本当にごめんなさい!」


「ごめんなさい!!」


 息ピッタリとまではいかなかったが、二人は誠心誠意謝った。きっと気持ちは届いただろう。


「ちゃんと前見て遊べよー!」


「「はーい!」」


 店の前で腕組みしたままの仏頂面の男一人を除く全員に手を振り、二人はその場に別れを告げた。




「……さて」


 酒場も完全に見えなくなった所でアスターは改めてと少年に向き直る。


「んで、ヒナの家に何の用があるんだ?」


「……」


「だんまりかよ」

(そりゃひと月も屋敷の前に立ち続けたんだ。そう簡単に教えてくれないとは思ってたけど……)


 これは長期戦になる。

 そうアスターが覚悟したところに——。


「おや坊っちゃん」


「?」


 聞き覚えのある声が後ろから聞こえた。

 振り返ると買い物袋を両手に抱いたグレタがそこに立っていた。


「あれギル坊も何を――」


 ギルと口にした途端グレタはハッとした表情で固まった。


(なんだ、そういう事か)

「知ってたんですね、コイツの事」


「……ええ」


「何であの子に黙っているのか、訳を訊いてもいいですか?」


 二人はバツが悪そうにうつむく。

 暫くの沈黙の後グレタは場所を変えようと話の場は彼女の自宅へと移された。




「そろそろ説明してくれますか?」


 少年、ギルは居心地悪そうにグレタも何から話すべきかと迷っている。


「オ、オレの……」


 一番最初に口を開いたのはギルだった。

 けれどその声は今にも泣きだしてしまいそうに小さく震えていた。


「オレのせいでヒナの母ちゃん死んだんだ」


「え……?」


 言葉と共にポタリポタリと涙がこぼれ机を濡らしていく。


(俺はこの話を聞いて良かったのだろうか)


 それはあまりに突然で受け止めるには時間の掛かる話だった。

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