第4話『ああ無情-④-』
バスを降りると排ガスの匂いと湿気たアスファルトが放つ独特の空気が彼を出迎えた。
上空には大きな鳥や、ホウキに跨り縦横無尽に飛び回る人影が見え、視線を戻せば獣のような顔立ちの者がその辺を普通に歩いている。
この光景にアスターは声を出して驚きこそしないものの、ついつい目で追ってしまっていた。
「お前も空飛べたりするのか?」
「あ、私は……免許が無いので……」
(免許いるんだ……)
そこは現実的なんだなとアスターはちょっぴり切なくなった。
【魔道士協会セントラル支部前】
連れてこられたのは、やはり彼の想像通りの場所だった。
砂色の煉瓦と
「ヤバい、滅茶苦茶カッコイイ……」
テンション高めに辺りを見渡すアスター。
それを見たステラはふふふっと笑い「行きますよ」と未だ興奮気味の彼の手を引いて歩き出す。まるで母と子のようだ。
「「待タレヨ、印シルシ無キ者ハ去レ」」
「!?」
けれど敷地に入り少し進んだ所で圧のかかった低い声が頭上より響く。
恐る恐るソレを見上げると鋭い鉤爪に大きく裂けた口、頭に二本の角を生やした竜に近い造形の古ぼけた二体の石像が彼等を見下ろしていた。
ステラがそっと耳打ちする。
「こちらのガーゴイル兄弟さんは
「ガ、ガーゴイルっ!?」
驚くアスターを横目にステラは堂々としたもので、彼は自分の友人なのだとガーゴイル達に説明した。
「「……フム」」
ガーゴイルは顔を見合わせ、アスターに視線を戻す。
両側から至近距離でまじまじと見られ荒い鼻息が黒髪をクシャクシャに乱す。
アスターの心臓はバクバクだ。
「「ヨカロウ。印無キ者通ルガイイ」」
(……あれ、いいんだ?)
こうあっさり許可されるとは思っていなかったアスターは呆気にとられ、本当に大丈夫なのかとステラに囁いた。
「最近門番ごっこにハマってるんですよ」
「門番ごっこ」
(ちゃんと門番の仕事しろよ!)
心からの叫びだった。
「おぉ……」
重厚な木の両扉を潜り、二人は協会の中へ足を踏み入れた。
開放感のあるエントランスを様々な格好の者達が行き交い、中は賑やかだ。
「あ〜、ステラちゃんだぁ~」
中央に設置されたカウンターから、ゆるく波がかった栗毛の女が身を乗り出し、彼女の名を呼ぶ。
「おはようございます。カレンさん」
「今日は依頼完了の報告? それとも――」
カレンと呼ばれたその女は、それまでニコニコと喋りかけていたのだが、アスターの存在に気が付くとステラと彼の繋がれた手を見て驚いた。
「も、ももも、もしかして彼氏が出来た報告ー!? えー! いつの間に~!?」
物凄いはしゃぎっぷりと自然に繋がれていた手に気が付き、アスターの顔は一気に耳まで赤くなった。
しかし今更その手を放してももう遅く、好奇の目は一層輝くばかりだ。
「ちょっと色々ありまして」
ステラはカレンにハッキリ彼氏では無いと否定した上で大まかな経緯を話した。
その時である。
「「そっかー、これから大変だねぇー」」
「!?」
それは不自然に彼の両脇から聞こえた。
驚きのあまりアスターは後ずさる。
同じ顔が二つ、彼を挟むように立っていたからだ。
「「あはは、ビックリしたー?」」
そう無邪気に笑うのはカレンである。
「え!? ななな何で⁉」
目の前に一人、そして両側に二人。
計三人のカレンが居た。
三つ子か何かかと驚く彼に、今度は真後ろから「違う違う」と同じ声が語り掛ける。
「「「「全部わたしだよ~」」」」
曰く、そういった魔術を使っているのだとカレンはケラケラ笑った。
「ま、魔術……」
「えっへっへー。まだまだ増やせるよ~!」
言いつつ、カウンター内に居たカレンが手鏡を取り出し覗いてみせた。
白い煙と共にまた一人増えるカレン。
いかにもファンタジーな光景にアスターは目を輝かせ感嘆の声を上げた。
「では私は報告に行ってきますね」
「ん、あ、分かった」
十分程で戻ると彼女は言い残し、アスターはエントランスで待つ事にした。
カレンも仕事があるのだろう、増えに増えた分身は散り散りになり今はカウンター内の本体だけが彼の話し相手になっている。
「ね、ね。君って“どっち”なの?」
「どっちとは?」
「魔道士か魔術師のどっちかってこと。ねね、どっちどっち?」
「いや魔法もなにも俺は普通の人間だから……」
彼がそう返すと、カレンは口角を上げた。
「まだ“判って”ないんだね。もし魔術師だったらさ、シロ君の所で初心者用の魔具買えばいいよー。あそこのはウチで買うより安いし質もいいから超オススメだよ~」
「いやだから、俺の話聞く気あります?」
普通の人間だからという言葉は届かないのだろうか? そんな事を彼が思っているとカレンが衝撃的な事を口にする。
「え~でもぉ、こっちに来る異界の人って、その確率高いはずなんだよ~?」
「えっ!?」
「ま、シロ君はどっちでも無かったけど。むしろそういう人の方が稀っていうか~。すっごく珍しいんだよね~。ねーねー調べるだけ調べてみたら? 違ったら違ったで普通の仕事探せばいいし、もし魔力があるならウチに登録出来るしさ~」
「!」
昨日からずっと驚きの連続だった。
けれどこれには彼は一番驚いた。
もし自分が彼女らのように不思議な力を使えたら……。アスターの中で妄想がどんどん膨らんでいく。
「そだ、ちょっと待ってて~」
浮き足立つアスターを前に、カレンはカウンターの中をゴソゴソ漁り、名刺サイズの小さな券を一枚差し出した。
「これは?」
「さっき言ってたシロ君の店の割引券♪」
受け取った券を見ると、店内商品一点のみ二〇%オフと赤文字で印字されていた。
「この近くにある異界の人がやってる雑貨屋さんなんだけどね。そこのお店のぉ、あ、シロ君とシオン君って言うんだけどー。えっとねシロ君が店長さんでシオン君って子が店員さんで~、その子がすっごく可愛いくて~」
なかなか話の飛ぶ人だとアスターは思った。
マシンガンのように喋りまくるカレンに圧倒されつつ、自分と同じく異界からやってきたという人間が近くに居ると聞き彼はまた驚いた。
(有益な話を聞けるチャンスかも)
アスターはその人物達についてもっと詳しく尋ねる事にした。
「その人達が居た国名とかわかります?」
「えっとぉ確かー……に? にぃ何だっけ。ごめーん忘れちゃったあ!」
なんて国かは忘れたがどこぞの小さな島国だったはずだとカレンは話す。
(限りなく日本っぽい!)
こんな所で同郷の人間に会えるかもしれないとは世間は狭いなとアスターは興奮で鼻息を荒くする。
他にもその人物について、色々話を聞き盛り上がっていると――。
「――ターさーん!」
ステラの声がエントランスに響く。
声のする方を振り向くと、彼女は軍服にも似た黒い制服姿の男を二人連れていた。
一人はやたら丈の長い上着を着た男で、銀色の長髪をゆるく後ろで束ね眼鏡を掛けていた。
そしてもう一人は詰襟の黒服に黒皮の紐ブーツ、両手に白い手袋をはめた紺碧の髪と鋭い瞳が何処か冷たさを放つような、そんな若い男だった。
「こちらスターチス・カーターさんで私の……えーと」
「保護者みたいな者かな」
銀髪の男、スターチスがステラの言葉に割って入りアスターに手を差し出した。
「よろしくね」
「こ、こちらこそよろしくお願いします?」
(保護者……親ではなくて?)
「――それで君、異界人なんだってね」
スターチスが陽気な声を上げた。
全体的に優しい物腰のその男はアスターに始終にこやかな笑顔を向けているのだが、アスターはその尖った耳と口元から覗く小さな牙がどうしても気になり、もしや人ではないのだろうかと全然話に集中出来なかった。
「やっぱり私のような者が珍しいのかな?」
アスターの視線に気が付きスターチスが含み笑いをしてみせた。
「すみません! ジロジロ見てしまって!」
「いやいや気にしてないよ。まぁ私は元々人間だったんだけど色々あってね。今では吸血鬼なんだ。あぁ別に毎日血を吸っているわけではないよ? でも吸って欲しい時は是非ご用命を。傷は少々残ってしまうかもしれないけど痛くはしないよ」
冗談なのか本気なのかまったくわからない話に彼が苦笑いで応えていると、もう一人の若い男がアスターと目を合わせる事なく静かに口を開く。
「室長そろそろ」
「えーもうかい? まだ――」
「駄目です。それじゃステラまた……」
「あ、うん。ごめんねリド」
(あのイケメン、リドって名前なのか)
その後すぐにリドは踵を返し去っていった。
その際射抜くような鋭い眼光を向けられた気がしたアスターは気のせいだろうかと首を傾げる。
「ああ、そうそうアスター君だったよね?」
「あ、はい」
スターチスは去り際に彼の肩を抱き寄せ、そっと囁く。
「くれぐれも彼女を傷つけるような事はしないように。いいね……?」
「――っ!?」
目が全く笑っていなかった。
アスターはあまりの事に声が出せず、ただひたすら首を振ってそれに応じる。
「……心臓止まるかと思った」
「アスターさん?」
二人の背中を見送りながらアスターはドッと出た冷や汗を袖で拭う。
その様子を一部始終見ていたカレンがやたらいい笑顔になり、アスターの肩をバシバシ叩いて親指を立てた。
(何なんだ)
そんなやり取りを終え、そろそろ帰ろうかという話になった時カレンがステラを呼び止める。
「ねぇねぇステラちゃん。さっきアスター君と話してたんだけどさ、彼をシロ君の店に連れてってあげたらどかな?」
「そうですね。どうせこの後予定も無いですし。シロウさんの所にはいつか案内しようとは思っていたので買い物がてら行ってみましょうか」
「ほんとか!?」
「はい」
こうしてアスターとステラは異界人“シロウ”が経営する雑貨店に向かうことになった。
***
――同時刻。
とある屋敷の一室でヒステリックに怒り狂うひとりの少女がいた。
時折叫び声を上げ地団駄を踏み、壁に向かって物を投げては周囲に当り散らしている。
「許さない、許さない、許さない……」
少女は自身の髪と同じく、不自然に黒く塗られた爪を噛む。
少女が苛立つ理由はただ一つ。
大金を払い長い時間を掛け育てあげたモノをある男に奪われ、思い描いていた未来を壊されてしまったからだ。
もう取り返しのつかぬ事態に、自分でもどうしようも出来ず、長い黒髪を振り乱し自身の寝所に倒れ込んだかと思うと枕に爪を突き立てる。
ベルベット生地の紅い枕は既にズタズタに切り裂かれ、もはや枕とは言えない代物になっていた。
中の羽毛が宙を舞い、次第に雪の如く降り積もり少女の周りを白く染め上げていった。
「……っ!!」
そして自身が纏うワインレッドのドレスに怒りの矛先を向けたが、そのドレスは少女にとって命の次に大切な物。流石に穴を開ける事に躊躇し、やっとその手を止めた。
「あの男、許さない。絶対、絶対っ許さないんだからっ!」
憎悪は少女の顔を醜く歪ませる。
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