第3話『ああ無情-③-』
「一緒の部屋で大丈夫ですよね?」
フロントで飛び出た言葉にアスターは思わず仰け反った。
あれから街までやってきた二人だったが、時間的にも体力的にも今晩はこの街で宿を取った方がいいと判断した。
けれどアスターの服一式を揃えた事によりステラの手持ちが足りない事が先ほど判明した次第である。
「ごめん。お金使わせちまって」
「どうせ必要な物ですし、大丈夫ですよ」
そう言われてしまうと何も言え無いアスターだった。
「で、でもアレだな。この世界はかなり文明が発達してるんだな」
ごく普通に車が走り、道行く人は当たり前に携帯端末を持っていた。
そしてフロントには薄型のノートパソコンが二台。全くと言っていいほど現代的で異世界にいるという気がしないと彼は思っていた。
「もっとこう馬車が走ってるとか、電気が通ってないイメージで……なんか案外ファンタジーしてないんだなーってビックリした」
「?」
「あ、こっちの話」
その後チェックインと食事を済ませた二人が部屋に戻った頃、時計の針は午後十時を回っていた。
そこから先にアスター、後にステラの順番でシャワーを浴びて、今はステラの番だ。
「……」
アスターは部屋に戻ってきた時からずっと落ち着かずにいた。
何故かと言うと彼も健全な男だからだ。
「なんでよりによってベッドが一つなんだ……」
おいしい展開と言えばおいしいのかもしれない、しかしこういった経験のない彼にとってこれは非常事態だった。
「サッパリしました」
「ひっ!」
そうこうしている内にステラが戻る。
さっきまで子供だ子供だと思っていたが、風呂上りのガウン姿を見て完全に女であると意識してしまった。
このままではマズイ。
自分は床で寝るとアスターは主張するが、ステラは気にしない笑う。
「俺が気になるの! 大体っ嫁入り前の娘が会って間もない、よく分からない男をそうホイホイ信用するもんじゃない!」
そう切に言い聞かせるアスターにステラは「誠実な方なんですね」と笑った。
(地面よりはマシ、地面よりはマシ……)
結局毛布を敷いて床で寝る事にした。
上は一枚しかない掛け布団を半分床に落とす事で無理やり解決した形だ。
「明かり消しますね」
「ん」
月明かりで淡く照らされる室内。
シーツが擦れる音と時折引っ張られる布団が彼の何かを掻き立てる。
「……あの」
「ん?」
ステラが声を掛ける。
「ずっと考えていたのですが、アスターさん行くとこ無いんですよね。それで良ければなんですけど……生活が安定するまでの間、家に来ませんか?」
「えっ!?」
「部屋は余っていますし、不便は無いと思うんです。それに困った時はお互い様といいますし……」
得体の知れない男をこうも簡単に家に招くとは大丈夫だろうか? と彼女の貞操観念について不安になるアスターであった。
「皆も反対しないと思います」
「あ、どなたかとお住まいで」
「ええ家族と一緒に」
その言葉を聞いてアスターは安堵した。
「あ、俺も寝る前に一つ訊いてもいいか?」
「私で答えられる範囲でしたら」
「ラ、ライ……なんだっけ、あの黒いトゲトゲ、あれって何なんだ?」
「ライネックですね。ライネックは――」
実の所詳しく分かっていないと言う。
分かっている事といえば、その存在が確認されたのはここ数年であるという事と、朝から昼過ぎの日が高い時間帯しか活動しないという謎の活動サイクル。
それと魔物や異種族と呼ばれる“人ならざる者”のみに寄生し、魔力や生命力を奪い、寄生された宿主は理性を失い凶暴化するという事くらいだと言う。
「そんなものが俺に……」
正直それを聞いた彼はゾッとした。
「“人”に寄生したという事例は、まだ聞いたことが無いのですが……あんなに大きなライネックは見た事がありませんし、もしかしたらライネックも進化しているのかもしれませんね……」
「……俺大丈夫なの?」
「一応全部剥がしたので、多分大丈夫だと思うんですが……念のため外套も置いてきましたし」
一応、多分、思う。
なんと不安になる言葉のチョイスだろうと彼は思った。
しかし今は何ともないのだ、きっと大丈夫だと自分に言い聞かせることにした。
「あ、そうだ。それとは別に――」
「?」
ライネックの事以外にも、寝る前に彼が是非とも聞いておかなければならない事が一つあった。
この状況が万が一、億が一でも彼がこの世界に飛ばされた事に“何か”別の意思が働いている場合。つまり勇者またはその一行である可能性だ。
「この世界には、ま……魔王とかいる?」
「居るには居ますけど」
「やっぱり!?」
(となるとやはりあれか? 俺は今から仲間を集めて冒険するわけか?)
なんて妄想に胸躍らせている横で、彼女は淡々と言葉を続けた。
「そうですねぇ……五〇〇とかそれ以上は居ると思います」
「――多くない?」
意識を持っていかれる程の数字に彼は間抜けな声を出す。
ただ魔王と人が争っているというような事もなく、勇者も居ない平和な世界だと言う。
「勇者なんて絵本や物語の中だけですよ」
(えぇ……)
この言葉がこの日一番腑に落ちなかったのは言うまでもない。
「はぁ……」
すっかり意気消沈したアスターは天井を見つめていた。
隣からは可愛らしい寝息が聞こえる。
(もう寝たのか)
やましい気持ちは無く、確認の意味で彼女の顔をチラリと覗く。
でも彼はその寝顔を見たことをすぐに後悔してしまう。何故かというと彼女の目元から一筋の涙が流れていたからだ。
「!」
アスターは急いで顔を伏せた。
(よくよく考えれば、俺は森の中を全裸で彷徨っていたド変態だし、実は泣くほど嫌だったんじゃ――?)
などと思い始め、興奮は罪悪感に変わり、鬱々した気持ちのまま朝を迎える事になった。
「おはようございます」
「おはよう……」
(全然寝れなかった)
そのせいで随分心配されたのは言うまでもなく、自分は本当にステラの世話になってもいいのか、嫌なら断ってくれていいと確認を取った。
「何だってまた急に」
「泣きながら寝てたら大丈夫かなって思うだろ」
「なるほど」
ステラはポンと手を叩いた。
そして笑いながら言い放つ。
「私そういう体質なんですよ」
「体質ぅ!?」
よもやそんな体質があるとは、過去の自分に教えてやりたいとアスターは思った。
「俺の純情を返せ……」
「え?」
「もういい……」
その後二人はバスに乗り、彼女が暮らす王都“セントラル”へと向かった。
時間にして一時間程度、アスターは昨日の分を取り戻してやろうと、これでもかという程惰眠を貪っていた。
「――ターさん、アスターさん」
「んあ?」
心地よい眠りの中、揺り起こされ、寝ぼけ眼のまま辺りを見渡す。
「そろそろ着きますよ」
「おー、おおー?」
先程までいた街とは明らかに違う巨大なビル群に道幅、車や人の多さに圧倒される。
「おお……」
その景色は新鮮でとても輝いて見えた。
「あれ?」
そんな中、彼は視界の端でソレを捉える。
「んんん!?」
見間違いか、それとも幻覚かとアスターは驚き何度も目を擦る。
「何で……」
彼が驚いた物、それは記憶の奥底に根深く刻まれた英国の代表的なシンボル。
「何でここにビッグ・ベンが⁉︎」
あの時計塔が建っていたのだ。
街で見かける看板が英語表記な事もあり、ここが英語圏だという事はどことなく感じていた彼だったが、ビッグ・ベンまであると流石に動揺は隠せない。
「ここイギリスか!? ロンドンなのか!?」
「ここはセントラルですが」
「そうなんだけど、そうじゃなくてっ」
なんて言えばいいのか分からず、アスターはジタバタと小さく地団駄を踏む。
そんな彼にお構いなしに、ステラはそれを指差し今からそこに行くのだと説明した。
バスのアナウンスが流れる。
魔道士協会前とハッキリ発音するそれを聞いて、そこで初めて彼の中で疑問が浮かぶ。
ここに来た時からずっと彼女をはじめ、周りの人間が喋っている言葉を普通に聞き取り、アスターもまた普通に会話しているという事だ。
さらに言うと、街のあちこちに掲げられた英語表記の看板も習った事の無い単語もあるはずなのに普通に読めてしまう状態だった。
そこでアスターは一つの結論を導き出した。
「これがご都合主義って奴なのか……?」
(噂には聞いていたが、実際に体験するとは……)
まったく酷い世の中だと思うアスターだった。
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