第2話『ああ無情-②-』
少女は外の様子を見てくると言い残し彼は洞窟内にひとり残されていた。
「う……ん」
どれだけ時間が経っただろう。
うたた寝をしていた彼が気がついた時には焚き火は消えていて、空は赤く色付こうとしていた。
「あの子は……」
すぐ戻ると言っていた少女の姿は無い。
(そりゃそうか、俺みたいな得体のしれない……しかも全裸の男なんて、本来なら死んでも関わり合いになりたくないよな)
これが普通の反応なのだと自分に言い聞かせた。
(うわ、やばい)
途端、孤独と恐怖感が押し寄せる。
「……」
木の葉が風に揺れる音さえ、得体の知れない何かがそこにいるかもしれないと思えてしょうがない。
すぐ傍に闇が忍び寄ってきている。
カチカチ、カチカチ。
恐怖で顎が震え、歯と歯がぶつかる音だけが洞窟内に響く。
「……っ」
(もうあの子は居ない)
今度こそ一人ぼっちになってしまった。
絶望の中、少女の外套を抱きしめる。
このまま一人孤独に死ぬのだろうか。
体温が指先から徐々に低くなっていく。
「……?」
(違う!)
それに気付いた時には既に遅く、冷たい感触が右手から顔面に向かって伸びていた。
「っ!」
反射的に身体を仰け反らせる。
しかし右腕は既に黒い棘のようなもので覆われていて地面と繋がっていた。
逃げられない。
キシキシと硬い何かがせめぎ合う音が、肌を伝い耳に届く。
「目と口を閉じてください! 早く!」
洞窟内に凛々しくも幼い声が響いた。
ハッと我に返り、顔に力を入れる。
「――っ」
無理やり口を閉じたからか、棘が口元に当たり唇を少し切った。
けれどそれ以外に痛みのある個所は無い。
彼はホッと胸を撫でおろすが、右半身が得体の知れぬ棘で覆われていることにかわりはない。
そんな状態ではあるが、少女もホッと胸を撫で下ろした。
「こんな大きなライネック見た事ない……。なんで……それにもう“夕方”なのに……」
少女は険しい顔で彼を見た。
いや、正確には彼の右半身だけを見ていた。
「大丈夫ですからね」
だから安心してくださいと少女は彼の左手を握り、精一杯笑ってみせた。
「……大丈夫、大丈夫」
繰り返される言葉は、彼にというよりも彼女自身を奮い立たせているようだった。
「どうしよう……でもこのままじゃ……」
少女が顔をしかめる。
その表情はどんどん曇っていくばかりだ。
そして――。
「ごめんなさい。失礼しますね」
そう謝る少女の片側だけ長い横髪がふわりと彼の肩に落ちる。
(え……)
次の瞬間柔らかな感触が唇に重なった。
甘い味と血の味が口の中でじわりと交わっていく。
自分は今何をしているのだろうか。
重なる唇と時折漏れる温かな吐息に戸惑いつつ、全身に電気が走ったようなビリビリとした感覚が巡っていく。
全身が熱い。
血液が沸騰しているかのような高揚感が内側からどんどん溢れでてくる。
「ん……、は……」
塞がれていた口元に冷たい空気が当たる。
丸みを帯びた吐息がこそばゆい。
けれどその余韻はすぐにかき消されることになる。
「大丈夫ですか? ごめんなさい、これから少し痛い思いをさせるかもしれませんが……私を信じて身を預けてください。絶対に助けますから」
なにかを決心したかのように少女が笑顔を向け、少し後退すると彼に杖を向けた。
「お願い皆……私に力を貸して、あの人を助けて!」
少女がそう言った直後、凄まじい衝撃波が彼を襲う。
「あああああああ!!」
黒い棘は衝撃に引っ張られ、ガラスが割れるような音が肌を伝う。
皮膚を剥がされるような強烈な痛みに彼は耐え切れず絶叫した。
***
「う……」
次に目覚めた時には、洞窟から遠く離れた場所だった。
まるで簀巻きにでもされたかのような状態で寝かされていて、意識が戻った彼に少女がすぐさま声を掛ける。
「体の方は大丈夫ですか? その……気分が悪いとか。吐きそうとか頭が痛いとか――ええとそのっ、すっごくしんどいとか!」
「いや、そういうのはないけど……」
「良かった。私と同系で助かりました……」
「?」
未だ状況を掴めていないが体調は良好だ。
全身は衣類に包まれ体温が保たれている上、先ほどまでの事が嘘のように何ともない。
「――くしゅんっ」
「だ、大丈夫か?」
そんな彼とは対照的に、少女の体は酷く冷えていた。
焚き火の傍とはいえ、薄手のブラウスに袖なしのセーター、それに短いスカート姿という軽装で日の暮れた森の中に長時間いたからである。
彼は慌てて自分に貸し与えられていた外套を返そうと起き上がる。
「あ、あれ?」
しかし体に巻き付けられていたのは借りていた外套ではなかった。
黒いジャケットに赤いシャツ、それにカーキ色のカーゴパンツが地面に散らばっていく。
「サイズが合わないかもですけど、着れそうなものを買ってきたので使ってください」
「えっ!?」
驚く彼に少女はまだ紙袋に入ったままの新品の下着類や靴を手渡した。
この近くには街があり、外の様子を見がてら買ってきていたのだという。
「戻るのが遅くなってごめんなさい」
「い、いやいや! むしろありがたいっていうか! そっかそっかこれを買いに行ってたんだなって!」
「?」
「いや、えーと。とにかく着替えてくる!」
目のやり場に困っている少女を残し、彼は受け取った服一式を持って茂みに入る。
「はぁ……」
(俺はさっきあの子と……)
まだ感触が残っているのではないかと自分の唇に指で触れた。
(柔らかかったな……)
むず痒い気持ちに戸惑う。
「あの」
「う、うん!?」
そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、木を一本隔てた場所から少女が声を掛ける。
「本当にすみません……」
「え?」
少女の声は心なしか震えていた。
「あれは……あの黒い鉱石は“ライネック”と言って、寄生した宿主の
時折言葉を詰まらせ涙ぐむ少女。
少女が何を言っているのか理解出来ない彼は、どうであれこうして助かっているのだから気に病む事はないと笑って答えた。
「でも……」
「ビックリしたけど、俺は嬉しかったんだ」
「え?」
「あ、いやその! 変な意味じゃなくてだなっ、あの時はもう戻って来てくれないんじゃないかって思って! だからその」
普通こんな得体の知れない男なんて放っておくだろうと続ける。
「このまま一人で死ぬんだな~。なんて考えてた時だったからさ。ほんと生きてるだけでめっけもんっていうか。戻ってきてくれて凄い嬉しかったんだよ」
着替えも終り、茂みから出ると大きな赤い瞳に涙を溜める少女と目が合った。
桃色の右側だけ長く垂れ流した横髪に、色々と未発達な華奢な身体。
歳は十五そこいらだろうと推測しつつしげしげと見続けた。
「あの?」
「あっ!」
(しまった! 見すぎた!)
「そう言えば、まだ名乗って無かったなって思って!」
「あっ申し遅れました。私は魔道士協会所属の魔道士ステラ・メイセンと申します」
(魔道士……って事はやっぱり魔法使いとか魔女とかそういう類なんだな)
そんな事を思いながら今度は自分が名乗る番だと彼は口を開けた。
「あ……れ?」
しかしその口から名前は出なかった。
きっとまだ混乱しているのだ、でなければおかしいと自分に言い聞かせる。
(名前が……出てこない――⁉)
額から汗が流れる。
不思議な事に何かに書き記した記憶も、誰かに呼ばれた記憶さえ最初から無かったかのようにすっぽりと抜け落ちているのだ。
「何で……」
不安は恐怖に変わり、心臓は早鐘を打つ。
「大丈夫ですか?」
震える手をステラが優しく包み込む。
「ごめ、なんか、自分でもよく分からなくて。だって……おかしいだろ? 自分の名前が思い出せないなんて」
彼にはそれが凄く怖く感じた。
次第に汗と涙が混じり合い、ポタポタ地面に落ちていく。
「では付けちゃいましょうか」
「へ?」
「名前ですよ。だって名前が無いと私、貴方の事を呼べないじゃないですか」
まるで光が差し込んだようで、救いの言葉だと思った。
ステラがふっと空を見上げたので釣られて彼も上を向く。
「うわ……」
飛び込んできたのは幻想的な夜空だった。
星はこんなにも力強く輝きを放つものだったか。幾千光年先から瞳に差し込むソレは目眩がする程煌々と光り輝き、親子の様に寄り添う二つの月が優しい光で二人を照らしていた。
「アスター」
「え?」
火にくべた枝が爆ぜた時、ステラがその名を呟いた。
「私と同じ、“星”という意味を持つ名前なのですが、アスターはどうでしょう?」
「アスター……」
唐突に付けられたその名は、日本人要素ゼロであるにも関わらず、彼にとってもうそれしか無いと思わせる程しっくりきた。
嬉しさのあまりアスターの目尻に涙が溜まる。
「駄目ですか?」
「いや、凄く気に入ったよ。ありがとう……アスターか。うん、いい名前だ」
笑顔を取り戻したアスターに彼女は微笑む。
(あぁこの子は知らない。君のおかげで心も体も俺がどんなに救われたかを。このよく分からない世界で最初に出会ったのが君で良かった)
彼の心は温かな感情で満たされていた。
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