第6話 ここは乙女ゲームの世界かもしれないけれど
森岡はもうだめだ。森岡は完全に落ちている、海堂さんに落ちている。だって、さっきも二人で楽しそうに話してた!
完全に自信喪失。邪魔するとか、そういう話ではどうにもならない。
森岡が海堂さんをすでに好きなら、これ以上私がデートに誘いまくっても太刀打ちできると思えない。これが乙女ゲームの力か。
どうして私が森岡のヒロインじゃないんだろ。私は所詮悪役、敗北してしまうのか。
梅雨が明けて、一気に暑くなった七月。期末テストが終わると夏休みが待っている。浮き立つ教室と正反対で、私はずーんと沈みきっていた。
三限が終わってお腹もぺこぺこになる時間に、気持ちも身体も満身創痍でぐったり机に突っ伏せる。
「友子ちゃん、元気なくなーい? どしたー?」
ガタッと音がして、顔を上げると前の席に陽キャ木瀬が座っていた。
海堂さんが森岡ルートなら、木瀬がゲームのキャラだなんだと配慮しても無駄の極み。普通に接してしまえ。
「元気ないよー。もうだめだー」
「ネズミー行っとく?」
「今お金ないよー」
「年パスあるじゃん。いや、友子ちゃんスイーツ食べまくるから金かかんのか」
あはっと笑って、木瀬が覗き込むようにこっちを見てきた。木瀬の影が私に落ちる。距離がぐっと近くなってびっくりした。
「友子ちゃんってさ、最近可愛さ増した?」
「え!?」
「ぶはっ、急に大声出すじゃん」
「な、なに、突然」
「んーん。ねえ、好きな人とかいんの?」
急に恋愛トークとか。どうしたんだ、木瀬。本当にどうしちゃったよ、木瀬! 距離の近さも手伝って、私は謎に心臓がドキドキしてきた。
まさかまさかまさか、木瀬ってば私のことが。
「俺はさ、時葉のこと、好きなんだけど」
「ええっ!?」
好きなのは海堂さんかよ! 心の中で全力でツッコむはめになった。何もしてないのにてんやわんやさせられた。あーあ、疲れた。
なんだ、海堂さんが好きなのか。所詮木瀬もゲームキャラということだ。
……いや? 木瀬、いつの間にか海堂さんを呼び捨てする仲に進展してる。森岡は海堂さんのことをなんて呼んでたっけ。
空振った期待と驚愕の新情報に、私は混乱してきた。海堂さんは森岡だけじゃなくて木瀬もめろめろにしている。
森岡ルートじゃなかったの?
「木瀬ってば、海堂さんとそんな良い感じだったの?」
「まぁな。んなこと言わせんなよ、恥ずかしい」
「や、でも、そんな風に見えなくて」
「教室ではなんかいつも時葉と守で喋ってて、話しかけづらいというか」
「それ、めっちゃわかる! あの二人仲良しすぎる」
「だよなー! 俺、夏休みの前に告ろうかと思ったけど、正直自信なくてさー」
「あの仲の良さ、不安になるよね」
「そうそう」
木瀬も同じことを考えていたんだ。森岡と海堂さんに他の人が入る隙間なんて、これっぽっちもない。本当に嫌だ。その気持ち、よーくわかるよ。
あーあ、いっそのこと、木瀬が海堂さんとくっつけばいいのに。
「あ、やっぱ友子ちゃんもそう思う?」
「…………声に出てた?」
「出てた。やっぱりね。友子ちゃん守のこと好きなんだろうなって思ってたわ。最近、可愛いさ増したの、そのせいかなって思ってた」
「……や、あの」
こちらを見据えるようにして、木瀬が真顔で言ってのけた。超可愛いとか言われたら色んな意味で赤面してしまう。木瀬さんはそういうのに照れないタイプですか? 私は照れるタイプです。
溶けるように、再び机に顔を伏せた。
「えーっ! 友子ちゃんめっちゃピュアじゃん。耳まで真っ赤とか、かわいーとこあんね」
くっ。小バカにされている。褒められなれてない私と、褒めなれている木瀬。これが陽キャパワーか。
木瀬は私をけらけら笑っていたが、不意にその声が途切れて、誰かが近付く気配がした。
「きっ、木瀬くん、水崎さんと何話してるの?」
凛とした鈴の音に、私はガバッと顔を上げた。海堂さんだ。突然顔を上げた私を見て驚いている。
海堂さんが木瀬に話しかける声はわずかに揺れていた。よく見ると、手も少し震えていて、顔も赤くなっているようだった。声をかけるの、すごく緊張しましたというオーラが全身から出ている。
あれ。彼女がヒロイン?
「俺らは友子ちゃん可愛いねって話してたよ」
「そ、そうなんだ……。確かに、水崎さんは可愛い、よね」
「最近もっと可愛くなったよなー」
「……う、うん」
「ちょっと、木瀬」
海堂さんがめちゃくちゃしょんぼり顔になっていく。それとも、元からそんな顔してたっけ。いや、そんなことはない。声も手も若干震えていて悲しそうだ。
私は今回邪魔してない。なのに、海堂さんは私が邪魔したときと同じしょんぼりフェイスになっている。
本当に、彼女がゲーム通りに動いてるっていうの?
私は海堂さんが私たちに声をかけてきた理由、わかるよ。私と木瀬のこと、気になってたんでしょ。
私も、海堂さんと森岡が仲良くしてるの見て、気になってたよ。
彼女がヒロイン? なんてね。
チャイムが鳴る。今から始まる四限目。
「ねえ、海堂さん、お話しよう」
「えっ、水崎さっ」
「木瀬! 私と海堂さん体調不良で保健室行くから!」
「お、おう!」
私は海堂さんの手を取って教室を飛び出した。だんだんと教室に入っていき、ひとけの減っていく廊下を駆けて行く。
邪魔とか悪役とか、多分そういうものは元々存在していなくて。
私も木瀬も、おそらく海堂さんも、ゲームなんて関係なしに、恋してて。
ここは乙女ゲームの世界かもしれないけれど、私も森岡も木瀬も、海堂さんだって、紛れもなく自分の意思で動いている人間のはずなんだ。
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