第30話 教訓∩訓戒


 重くなった室内の空気を、断ち切るかのように亜子先輩が一つ手を鳴らした。


「まっこれはあくまで過去の失敗の話で、起きてしまった事だからな。今の我々がどう悩んだって解決はできない。教訓として覚えておくことだけが、彼らへのせめてもの慰めだ。

 我々は、もう悪魔と契約したんだ。だからといって自分まで悪魔にならないように気を付けないとな。」

「そうですね。肝に銘じます。」


 かたいかたい と亜子先輩がケラケラ笑った。


「そんなのだから青葉に心配されるんだぞ。もっと人生に楽しみを見つけないと。」

「......先輩は人生楽しそうでいいですね。」

「それは楽しもうとしてるからな。」


 あっけからんと先輩は言う。


「眷属になったことで、それまでの自分と変われたんだ。それを楽しまないでどうする。」

「......そんな早々に変われたら苦労しません。」

「そうか?もう随分と変わってるはずだぞ。少なくとも一週間前ここに来た伊吹は、私の対面でもっとオドオドしてたな。それに比べたら今のお前は、堂々とそこに座って私と話してる。これだって大きな変化だろう?」


 まぁそれはその通りだ。僕だってこの一週間、何もしなかったわけではないし。


「何かを変えるっていうのは、小さな変化の積み重ねだ。伊吹は、そう簡単に変われないと思うかもしれないが、そんなことはない。今の些細な違いが、ゆくゆくは大きな差になって表れる。

 早めに自分のを定めないと、変化が大きくなった時に困るぞ。」

「だから楽しみを見つけろと?」

「そうだ。自分にとって大切なもの、楽しめるもの。そういうものをきちんと見つめなおす、いい機会だと思え。それが見つからないまま、流されるようにこちらの世界に来ると大抵碌なことにならない。」


 先輩が、何かを思い返す様に僕に言った。


「私は、それを見つけられたから今も自分でいられる。こうして眷属としての役割を果たした今でも、契約を後悔せずにいられる。」

「・・・後悔したらどうするんですか?」

「契約を果たした後、適合者の能力と引き換えに、眷属だったことの記憶の一切を封じることが出来る。これは自分で選ぶことになる。まぁ割合としては記憶は残す方が多いな。」

 

 現に私はそうした と先輩は言った。


「たまにいるんだ。手に入れた限定魔術リミテッド・アーツに依存してしまう奴が。それまで得られなかった力に酔って、それが自分自身の力だと勘違いしてしまう。貸し与えられた力であるという事を忘れて、永遠にそれが自分のものであるかのような錯覚に陥る。そして最後にその力がもう失われる時に、そのことに耐えられなくなる。やけになった後とる行動は必ず同じだ。」


 力を失うことが怖くなって、記憶ごと丸ごと消すんだ。


「せっかく変わるチャンスを得られたはずだったのに、すべて忘れて契約前の自分に戻るなんて、そんな虚しいことはない。私は伊吹にそんな風になってほしくはない。」


 昨日、青葉先輩が、僕に言いたかったことがようやく理解できた。先輩は僕が、眷属としての活動にのめり込んでしまう事を危惧していたのだ。

 人生の目的がそれしかなくなってしまう事を心配していたから、あえて連れ出して、他にも楽しみを見つけられるようにとアドバイスをしてくれていた。

 僕は、今更ながらそれに気が付いて恥ずかしくなった。


「......青葉先輩に、心配をかけてしまいました。」  

「それに気が付いたんならいいさ。後輩の心配をするのは先輩の務めだ。」


 亜子先輩がニッと笑った。


――――――――――――――――――――――――――――――――

   

 先輩はそのあと用事があるとのことだったので、今日の会はお開きになった。

僕も今日は、実家の手伝いアルバイトをする予定だったので、都合がよかった。

 いつもと同じように裏から入り、店番をしていた茉莉さんと交代してレジに立つ。

今日は、お客さんもいない暇な日だったので、考える時間はたくさんあった。


 僕は、悩んだ。人生とは何か。それこそかの有名な「考える人」の如く、

自分の人生というものについて考えていた。

 

 どれくらいたったのか、裏口の方から出入りする音が聞こえたので、僕は思索を中断する。そうだ、こういう時は誰かに相談すべきなのだ。

 

 最近は、もはや定番になりつつあるが、我が従妹の出番である。

僕は、レジに入ってきた美玖を見ていそいそと声をかけた。


「......なぁ、ちょっと相談があるんだけど――」

「嫌よ。」

「......せめて話位――」

「嫌」

「ちょっとだけ――――」

嫌」


 取り付く島もなかった。


「......なんで嫌なんだ?この前はよかったのに」

「そのこの前の事で学習したの。幸兄ぃがそういう顔して相談があるっていう時は、どうにもくだらないことを私に聞いてこようとしてくる時だってね。」


 言葉の棘がすごい。


「今の顔、どうせ『人生に悩んでる』とか『僕が生きるのに大事なことは何だろう』とか、ポエムみたいなことを私に聞こうとしてたでしょ。」


 ......鋭い。押し黙った僕をみて盛大な溜息をつく。


「そんなこと私に聞かれたって、わかる訳ないでしょ。」

「......いや、ほんとに悩んでるんだ。」


 美玖が無言でレジを出ていくと、一冊の本を引き抜いて戻ってくる。

戻ってくると、バンッと本を叩き渡された。

 本のタイトルは「武器になる哲学」だった。税込1,760円。


 これでも読んで自分で考えろ という事らしい。

仕方がないので、すごすごと引き下がる。


「本代は、バイト代から引いておくようにお母さんに言っておくから。」


 美玖はとてもしっかりしていた。


「これからは自分で何とかすることを考えて。なんのために悪魔とやらと契約したの。」


 ......発生した羞恥の感情因子は残らず、魔力に変わった。

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