第31話 安穏=平穏

 翌朝、僕は珍しく寝不足だった。

昨日、美玖に渡された本が意外と面白くてついつい読みふけってしまったのだ。


 大学が2限目からで助かった。1限目からだったら絶対に講義中に寝ていた自信がある。

のそのそと起きだした僕は、とりあえずコーヒーでも飲んで目を覚まそうと、電気ケトルでお湯を沸かした。

 インスタントのコーヒーを淹れ、熱いので冷蔵庫から牛乳を取り出してしこたま入れて冷ます。キッチンからマグカップ片手に部屋に戻る。


 適当に座椅子に腰かけて、ボーっとしながらコーヒーをちびちび飲んでいた。

僕はこの朝の何とも言えないアンニュイな時間が好きだ。何をするでもなく、ただ無心になれるというのがたまらなく気分が落ち着く。昔は、田舎の祖父母の家の縁側でよく同じような事をしていたな と思う。


 祖父母の家というが、祖父も祖母も僕とは血のつながりはない。伯父の達也さんの生家なので、高尾家の本家という事になる。意外と家系は古いらしく家系図なんてものが残っていたりするのだ。

 子供の頃は、夏に帰省する度に実家を探検したものだ。祖父は男子に厳しかったので、本家の達也さんのお兄さんの子供達共々扱かれていた覚えがある。ふとそんなことも思い出した。

 

 段々と頭が冴えてきた。普段よりも起きるのが遅かったので、そろそろ出ねばなるまい。さっとマグカップを洗ってかごに入れる。

 いつも通りの準備で、僕は出かけた。


 大学へは徒歩で15分程かかる。最寄りの駅からはバスも出ているので、美玖はそれで通学しているはずだが、生憎と僕の住んでいるアパートから、駅までと大学までがほぼ等距離なので、毎日歩いて大学に行っている。

 

 歩くというのは嫌いではないが、雨の日などはやはり憂鬱になる。最近は晴れの日が続いているのでいいがあとひと月もすれば梅雨入りだ。などと、つらつらと考えながら歩いていた。


 大学へ向かう道は川沿いを通る。春には桜並木になるその道は、もう時季外れで緑一色になってしまったが、これはこれで綺麗だ。


 大学について、いつも通り講義棟に向かう。

まだ、この講義室にはまばらにしか人がいなかった。定位置で席を確保して、

空いた時間にまた読書を始めた。

 新しいことを勉強するというのは、意外と楽しい。これだったら、講義を選択するときに、もう少しそういう講座を選択するのも面白かったかもしれない。

 一般科目以外も、特にそういう講座を選択しなかったのが今更ながらに悔やまれた。あの時の僕は、まだ極力人との関わりをする機会を増やしたくなかったので、

最低限の必修単位と、卒業に必要な単位だけ取れるように講座を選択してしまったのだ。ちなみに涼は最も合理的に最低限の単位が修得できるという理由で、僕と全く同じ講義の選択をしていた。あいつのその生き方も今更ながらに徹底していると思う。

 

 そんな事を考えていたら、いつも通りのきっかり5分前に涼が隣に来た。

2限目からなので普段より1時間以上は遅い時間だが、相変わらず眠そうだった。


「おはよ、コウ。」

「なんでお前は1限だろうが、2限だろうが変わらず眠そうなんだ。」

「そりゃ来る時間に合わせて朝起きるようにしてるから。」


 いつも思う。やる気を出せば出来るのに、徹底してやらないことにやる気を出すのは逆に疲れたりしないのだろうか。


「それよりコウが、講義前に本読んでるなんて珍しいな。なんの本?」

「大した本じゃないよ。哲学入門 みたいな本だ。」


 へぇ と涼が片眉をあげて珍しがる。普段と違う という事が涼にとっては何より興味をひかれる対象なのだ。


「講義前に予習じゃなくてその本を読んでるってことは面白いのか?」

「どうだろうな。初めてこういう類の本に触れたからそれが面白いのかもしれない。まぁでも、本だけじゃなくてそういう系の講義も取っておけばよかったなとはちょっと思ってる。」


 ふ~ん と、気になるんだかならないんだかわからない返事をしていた。

涼がふと口を開く。


「まぁほんとに興味があるなら、聴講だけでもすればいいんじゃないか?」

「......そういうのはやったことがないから、勝手がわからない。」

「別にそんな難しい事でもないよ。その講義の時間に講義室に潜り込めばいい。

実習が伴うならまだしもそういう系統の講義ならゆるいだろうしね。」

「そういうものか?」

「そういうもんだよ。意外と簡単だ。」


 涼が眠そうに笑う。


「じゃあ、悪いがいつも通り寝る。後は頼んだ~。」


 僕もまた、いつも通りのため息をついた。


―――――――――――――――――


 お昼は今日は、一人だ。涼は先約があるとかでどこかに行ってしまった。

交友関係が広い というのはすごい。いったいどこでどう知り合ったのか。

あいつはサークルに加入しているとかでも無いのに、気が付くと知り合いが増えているそうだ。


 自分には、今の所縁遠い事だと思いながら、一人で学食に向かう。

今日も席の埋まり位はまばらだった。

 

 今日は、日替わりのAセット。鯖の唐揚げ定食を選択。ワンコインなので、だいぶお得である。席の確保をどうしようかと思ったところで気が付いた。

学食内の端の方でアウラがふらふら飛んでいる。見ると最上先輩が、一人で座っていた。こちらが目を向けたので、気が付いたらしく目線があった。


 軽く会釈する。どうしよう。ここで目が合ったのに席を離すというのは、それはそれで気まずいような気がする。

 心の中で、葛藤しながら僕は最上先輩の所に歩み寄った。


「......こんにちは。先週はありがとうございました。」

「別にお礼を言われるようなことはしてないけど。」


 先輩は気にした風もなく言った。

 ここ、いいですか と了承を得てから座る。


「......普段から、アウラを出してるんですか?」

「別に、いつもじゃないわ。ただ、無闇に視線を集めると鬱陶しいこともあるから。」


 お昼くらいはね と先輩は言う。


「街中でも、無駄にナンパされたりとかもしないから常用したくなるけど。それはさすがに私は自重してるわよ。」

「......なるほど。」


 注目を浴びる という経験はあまりないが目立ちすぎると色々大変なんだな と僕は変な事に感心した。


「青葉君との巡回はどうだった?」

「いろいろと教わりました。先輩にはちょっと心配かけちゃいました。」

「あまり気にしなくてもいいと思うわ。青葉君はいろいろ気を回す方だから。それで伊吹くんが恐縮したって知ったら、そっちの方をまた気にしてしまうと思うし。」


 そうか。それならお礼だけで済ませておこう。


「巡回で疲れたりはしなかった?」

「全然それは大丈夫です。やっぱり権能のおかげで体力の回復が早いですね。」

「それにしては、ちょっと疲れてるように見えるけど?」

「それはまた別件です。昨日は夜更かし気味で。」


 僕は、自嘲気味に答える。先輩は ならいいけど と頷いていた。


「それで、伊吹くんはまだ巡回に行きたいの?」

「?はい。行けるのであれば。」

「なら、あとで研究会に顔を出して。会長から今週末の予定聞かれたからたぶん何かあるんだと思うわ。今日はいつまで講義があるの?」

「4限までです。」

「じゃあそのあとで一緒に会長から話を聞きましょう。」


  わかりました と僕は言った。

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