第29話 有心≒無心

「『絶望大公』って常に絶望しているから、そういう名前なんじゃ無いでしょうね?」

「いんや、本人は全くそういう感じじゃない。どっちかというと虚無に近い感じだな。にいるときは平穏でいられるから、こちら側に出てきてしまった時は、

ただ嵐が過ぎ去るのを待つかのような心持ちらしい。本人がそう言ってた。」

「......会ったことあるんですか?」


 フツーにあるぞ と亜子先輩が肯定する。


「『因果律』とやらのせいで、適合者の周りにから基本的に一年に1度は遭遇するぞ。保持者ホルダーはほぼ全員面識がある。その内、伊吹の周辺にも出てくる。まぁ見たらわかるから忘れてていい。」


 話が長くなってきてのどが渇いたらしく、亜子先輩は部室にある冷蔵庫から2Lペットボトルのお茶を取り出した。コップを2つ取り出して、僕の分も準備してくれた。


「話がそれたけど、協会の話だろ?さっきも言ったがあれは『色欲の眷属』が基になってる。日本中のそこかしこに繋がりを持っていて、我々の活動の裏方を一手に担ってくれている。金銭面だったり、巡回の予測だったりな」

「どうやってそんなことが・・・。」

「わからん。機密とやらで詳細は教えてくれない。恐らくは限定魔術リミテッド・アーツとか、過去の保持者ホルダーが作った遺産とかの効果なんだろうけどな。」

「......なるほど。」


 サポートをしてもらっているが、実態は謎だと。


「ちなみに、『色欲の眷属』は直接の戦闘に関する限定魔術リミテッド・アーツを一切保持していない。これは保持者ホルダーなら常識として知っている位の情報だ。」

「......戦えないってことですか?」

「いや、そんなこともない。ただ、巡回には出てこない。実質的にそういう事を請け負うのは『愉悦』、『憤怒』、『恐怖』の三大公の眷属達だ。」


 本当に完全なる裏方、という事らしい。それにしてもたくさんいる保持者ホルダーのその全てが、非戦闘系の魔術アーツしか発現しないだなんてそんなことがあるのだろうか。


「......『色欲の眷属』はどうしてそんな魔術アーツに偏りが出るんですか?」

「ん?・・・あぁそういう事か。それなら伊吹には限定魔術リミテッド・アーツの成り立ちから話しておこうか。」


 亜子先輩は僕の質問に対して、一瞬怪訝な顔をしたがすぐに僕の疑問に気づいてくれた。


「そもそも悪魔との契約というのは、はるか昔から連綿と続いてきた。魂を差し出す代わりに、この世の全ての快楽を望んだ奴なんか典型的だな。それ以外にも、おおよそ伝承に伝わる奇跡の力とやらは、その時代の適合者達が得ていた力だ。

 悪魔達は、契約によって力を与え、それに伴う対価を得ていた。だが、その時代の契約は悪い意味で自由だった。差し出す対価もばらばらなら、得られる力もまちまちだった。そして、悪魔達は共通したある悩みを抱えていた。」

「悩み ですか?」

「そうだ。これは我々にも、悪魔達にも原因がわからないが、世界にはバランスをとるような強制力が働くときがある。その力を我々は『因果律』と呼んでいる。

 この『因果律』がどうして存在するのかはわからないが、一つ明確な現象として、 という事象を発生させていた。」


 亜子先輩が一息入れる。


「契約が強制的に『因果律』で解除されると悪魔達は力を与えただけで、対価が得られないという事が起きる。力を失った悪魔は消滅する。

 これにほとほと困ったわけだ。原因が理解できないから対処ができない。

それでも犠牲を出しながらも多くの契約を繰り返し、一つの結論に達した。解決できない結論に。」

「......それはいったい?」

「契約が解除される事象は、契約を望む人間側と、力を差し出す悪魔側のつり合いが取れていないときに発生していた。人間の魂を共通して要求していても、その人間のの価値がそれぞれ違う。ある一人にはよかったことが、別の人間には全く足りないか、過大なものとなってしまう。試行錯誤して何とか法則を解明しようとしたそうだが、無為に終わった。」


 悪魔達には人間の欲望というのが、理解の出来ないものだったからな という。


「そして悪魔達は、妥協することにした。魂すべてではなく、必要な量の『感情因子エンパシウム』を得ることのみに注力した。生き残る為に自分が適合する『感情因子エンパシウム』を集める集団で集まり、お互いの存在を溶け込ませて合一を図った。

 その結果、『因果律』によって解除される契約は劇的に減った。合一した悪魔達はいつしか『大公』と呼ばれるようになり、対価として与える力が魔術アーツと呼称されるようになった。」


 以上が現代にいたるまでの悪魔と人間とのあらましだな と先輩が言った。


「そして最初の話に戻るわけだが、実の所今現在でも細かい条件は調整が繰り返されているわけだ。『因果律』が反応しないことはもちろんとして、差し出す感情因子の量や魔力の量。こういった細かい部分は日々改善が続けられている。」

「…改善ですか」

「そうだ。ひとつ笑い話にもならない話をしておく。

 今は、我々『愉悦』の眷属は羞恥の感情因子を差し出すが、羞恥心を完全になくすという事はない。羞恥を感じてから、魔力に転換されるまでにもラグがあるし、一定量以上の感情因子は、転換されずに過剰生成オーバーフローを引き起こす。これはもう体感としてわかるよな?」


 僕は頷く。


「だが昔、それこそ何十年か前の時代に、実験的に魔力転換の事があるそうだ。

羞恥を感じる状況があった場合、タイムラグ無しで感情因子が魔力に転換される。

 過剰生成を引き起こすことなく、すべての感情因子を魔力転換してしまうという条件で、大公達が実験的に契約を成立させた。これがよくなかった。」

「......どういう事ですか?別に問題があるようには思えないですけど。」

「はじめはよかった。魔力の生成も問題なく、対価として今より強力な魔術アーツも得られた。

 だが、人間というのは慣れる生き物だ。段々と、羞恥心が発生しない状況に慣れてしまい。感覚が麻痺し始めた。崩壊の始まりは、とある保持者ホルダーが社会のルールを守ることをやめたことだ。ルールを破ることを恥と感じなくなった。極端な話、裸で出歩いても何の羞恥も感じないからな。それは次第に周りの眷属に伝播した。人を傷つけ、物を奪う事に一切の罪悪感を感じなくなる。恥という概念をすべてなくしてしまったんだ。」


 ・・・筆舌に尽くしがたい状況だった。


「当然、他の大公達の眷属から抗議が殺到するが、もはや彼らには何が悪いのか理解ができない。『愉悦大公』も人間の行動の善悪などには干渉しない。

 膠着状態かと思われたが、ここで問題が起きる。恥という概念全てをなくした彼らは、感情因子が生成できなくなった。そしてとうとう魔力が欠乏した保持者ホルダーが、廃人になるという事態が起きた。」


 ・・・・・・・


「ここに至って、『愉悦大公』も問題を認識した。せっかく契約した適合者が、このままだと全て廃人と化す。それは、あいつにとっても望むところではなかったから、

契約を調整することにした。恥の概念を復活させ、感情因子を生成できるようにする。奴はただそれだけのつもりだったんだろうが、そうはならなかった。」


・・・・・・どうなったのか薄々想像がついた。僕が苦い顔をしたのがわかったのだろう。亜子先輩も苦い顔をする。


「そうだ。もうわかったと思うが、恥の概念が復活してしまった彼らは、自分達が仕出かしていた事の記憶に発狂した。」


 ......想像通りだった。


「発狂して精神崩壊したものは、そのまま魔力欠乏で廃人になった。

そうならなかった保持者ホルダーは全員自殺した。

 以来、『眷属』の契約には、感情因子の制限が設けられている。」

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