第18話  会うべき人

 翌朝、宙たちは仁の車で駅に向かった。仁仁が自宅に置いてきて、今は夏美が使っている。樹も風太も荷物を持参していた。

「家もいいけど、三日で十分」

「早く東京に帰りたい」

 樹も風太も口々に言う。

 今朝は二人とも、いつもより親密な感じだ。

 付き合って五年たっても熱々というか、仲がいいのだ。昨夜、仁や由宇の話を聞いて、自分たちが恵まれていることに改めて気づいたこともあるのだろうか。

「送ってくれてサンキュ」

「また東京で」

 嬉しそうに車を降りる樹たちを見届け、宙はやれやれと実家に戻る。

 宙は、昨夜の話し合いを経て、つくづく思うのだ、当分、誰ともつきあいたくないと。

 ちょっといいかな、と思う女性はいるが、家族との関係がこじれたらと思うと、別にいいか、となってしまう。

 結婚となれば、両家の親とのつきあいも出てくるが、想像するだけで気が滅入る。

 父も樹も、出会ってしまったから、という言い方をする。宙はまだ誰とも出会っていないし、そのうち出会うのかもしれないが、進んで相手を探す気には全くなれないのだった。

 もう仕事は始めているが、まだ学生だ。しばらく、面倒なことは考えたくない。



 松が取れ、日常が始まった。

 仁と暮らし始めて、まだ二か月にならない、毎日が由宇には新鮮だ。

 朝、起きてくると仁がいる。正も笑顔で挨拶してくれる。家族に恵まれないできた由宇には、それだけでも夢のようだ。

 こんな新年を迎えるなんて、一年前には思いもよらなかった。仁と再会し、同居開始、という現実が、まだ信じられない

 一月末には二級ヘルパーの資格が取れ、近くの介護施設に見習い勤務も決まった。来月から働けることに、由宇はほっとしている。いつまでも居候はイヤだったから。

「よかったな」

「しっかり務めなさいよ」

 仁も正も祝ってくれた。

 その夜、正が引き上げてから、仁はまじめな顔になり、話がある、と言った。

「仕事が決まってよかったな」

「はい。給料が出たら、ちゃんと部屋代を払いますから」

「いや、それは必要ない。できるだけ貯金しろ」

 老後のことを考えれば、それが一番だ、と仁は言う。

「なんなら、家賃の分を積み立ててもいい」

「でも」

 由宇は納得できなかったが、仁は必ずそうしろよ、と念を押す。


 同居しているだけでは互いに何の保証もない。自分の身に何かあって、また一人になった時、お金は役に立つのだ、と仁は力説した。

 確かにその通りだと由宇は思った。夫婦なら社会保障があるが、別居したまま仁に何かあったら?

「心筋梗塞っていうのは、心臓の筋肉が死ぬんだってさ。俺の心臓、一部は死んでいるわけだ」

 もちろん運動や生活の改善でダメージを埋めることは可能だというが、油断は禁物だ。

「由宇のためにも、健康には気を付けるよ」

「はい」

 仁の思いは嬉しいが、由宇には、気がかりがあった。

 今後、いつまで別居が続くのか、このままでは自分たちは不倫関係でしかない。

 仁が言うには、離婚成立したら、自分と養子縁組したいと。同性婚が望めない日本では、以前から用いられる方式だ。

「別居したままでも養子の道はあるけど」

 仁は意外なことを言った。

「オヤジの息子になるんだ」

「えっ」

 それは、仁の弟になる、ということか。

「まあ、無理だよな」

 仁は苦笑した。

「そうですよ」

 関係を隠したまま、由宇を息子にしろなんて無茶もいいところだ。離婚が成立しなくても、正の同意が得られれば成り立つのが利点ではあるが、由宇との関係を隠したままでは無理だろう。


「離婚、できないんでしょうか」

「夏美はうんとは言わない。お義母さんが世間体にうるさいからね」

 夏美本人が離婚したくても、母の反応が怖くて出来ないだろう、と仁は思うのだ。

「このあたりもそうだけど、世間体を気にして、自分を縛ってるんだよな」

 自己責任という冷たい言葉。普通でない、と見なされた者への差別意識。相互監視に息が詰まる。

「とにかく結婚して子供をつくって、親を安心させつ。それが自分の義務だと思い込んできた。

 でも、由宇と出会って、やっと本当の自分に会えたんだ」

 仁がまっすぐに由宇を見る。

「由宇と、死ぬまで一緒にいたい、それも今のままではイヤだ、せめて離婚は成立させたい、いや、させるよ」

「仁さん」

 改めての仁の決意宣言に、胸がいっぱいになる。

 仁の気持ちに応えるには、どうしたらいいのか。

 やはりあれしかない、と由宇は思った。

 仁の眼を見つめて、

「俺、やっぱり奥さんと会います」

「えっ」

 正直、驚いた。

 ふっと息をつき、

「夏美は絶対に会わないよ。俺の顔も見たくないって言ってるのに」

 家庭をぶち壊した相手と顔を合わせるなんて有り得ない、と仁は言う。だが、由宇はあきらめなかった。

「奥さんに会って謝りたいんです。それだけでいいんです」



「冗談やめてよ、て言っちゃった。なんで私がその男に会わなきゃいけないの?」

 夏美の反応は、仁の予想通りだった。

「謝りたいっていうんだけどさ」

 今日も夏美は佳代子と藍を呼んで女子会中である。

「うーん」

「会いたくないよね、やっぱり」

 佳代子も藍も困惑している。

 この家には絶対に入れない、と夏美は息まく。

「離婚なんて有り得ない、何年でも別居する」

 とんでもない男だ、人の家庭を滅茶苦茶にしておいて正妻に会おうなんて、何考えてるんだ、と、昼間だから酒は飲んでいないが、コーヒーを飲みまくっている。

 怒りが収まらない夏美だが、言いたいだけ言ってしまって、やがて黙った。

「別の場所でなら、会える?」

 藍が静かに言った。

「はあ?」

 夏美は驚いたが、藍は、

「ウチで会ってもらってもいいよ」

 あっさりと言った。

「いいんじゃない」

 佳代子も乗り気みたいだ。

「どんな顔してやってくるのか。見てやるだけでもいいじゃない。あれこれ想像してイライラするよりは」

「そうだよ。目の前で思い切りののしって、言いたいこと言って、すっきりしようよ」

 藍も夏美をけしかける。。

「簡単に言うけどさあ」

 悪友ふたりに唆されて、夏美は考えこんでしまった。

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